SNSと客観的に付き合うと見える世界が変わる。
去年から、Facebookと距離をおいています。
色々思うことがあって、強制的に自分から遮断しました。
それまでは、常に覗いている状況で、見ない日はまずなかった。
やむにやまれず的なことがあったのですが、結果、見える世界がガラリと変化したんです。
井の中の蛙、大海を知らず。
Facebookの世界って、広いようで本当に狭かったんだなと。
結構発信していたので、知らない人から、私のことを知っていますと言われることもとても多かったんですね。
それも狭い世界にいることに、気づけない一因だったのかと思います。
確かに、友達の友達という風に広がりはしますし、仕事の依頼も来たりします。
実際、NHKのラジオ出演のお仕事をいただいたりもしました。
ただ、それはFacebookという名簿のようなものから見つけてもらっただけのこと。
繋がっている世界とは別です。
最近では、以前より使用者が少なくなったように思います。
オンラインサロンに利用されたりしているようですが、出会いや新しい繋がりというより、仲間との情報交換がメインになっているのかな。
成り立ちを考えれば、そもそもそういうものなのかもしれません。
Instagramへの民族大移動
Facebookから距離をおいたので、得意ではないもののInstagramを覗いてみました。
すぐ挫折したけれど。
若者のSNSなんて言われてたのは、以前のはなし。
今は年齢がどんどん上がっています。
Facebookはもう古いとこぞってInstagramへ大移動が起きているわけで。
写真という明確なコンテンツは、盛り安く、現実を装飾しやすいことも人気の秘密なのかもしれません。
私の年代に近い人たちが移動してきたとなると、そろそろどうなんだろうと思っていたところ、タレントの藤田ニコルちゃんが、インスタ映えってもう古い的な発言をしていて、やっぱりなという感想です。
https://twitter.com/0220nicole/status/1119450192472788993?s=19
という事でTwitterを恐る恐る覗いてみる
私的には居心地は悪くないのです。
眺めているだけでたまにメモがわりにぶつぶつ独り言を呟いている程度。
今はこれでちょうど良い感じ。
ツイッターランドは魑魅魍魎。
なかなかの魔境です。他のような虚飾なキラキラはないですが、突っ込みどころ満載の情報で溢れかえってます。
バブルを知ってる身としては、どこか懐かしい香り。
昔、昭和から平成にかけて、お立ち台で羽のセンスをフリフリしていたお姉さんたちがいた時代。
新宿や渋谷や池袋などでは
何にもないどころか、マイナスから年商ウン億円!
とか
サラリーマンで消耗いつまでしているの
とか
40歳までに生涯賃金稼いで、海外(アジア)に移住して悠々自適に
とか
このエステ(ダイヤモンドだったり、映画が見放題になる謎のチケットだったり、よく分からない絵画だったり)を今、手に入れないとあなたの人生は豊かにならない!とか言いながら電話をかけてきたり、町でキャッチされたり、
というようなことが沢山、リアルな世界で繰り広げられていました。今とは違い、対面でです。
そう、あの頃の弱肉強食な空気を感じます。
懐かしいのです。Twitter。
昔話を織り混ぜて語り出すと、止まらなくなる年齢なのでこの辺りにしておきます。
SNSから離れてみたら見えたこと。
みんな見せ方が上手だな。
本当に上手です。そしてそれが虚飾だとわかっていても、心をザワッとさせる魔力がある。
そのなかにいると、麻痺して鈍感になるんですが、ハリボテを眺めながらわざわざ、心、乱している人の多さ。自分もそうだったのだなと思って、スマホからふと顔をあげてみたら、とても世界は広く見えました。
というより、元の自分自身の人生に戻った感じです。
わざわざ、自分の子供の顔にスタンプ押して隠しながら、ニックネームで子供を晒すことになんの意味があるのでしょう。
仕事の打合せで忙しいけどがんばります。
仲良しのなんとかさんと、情報交換のランチをしました。
なんのための発信なのか。
それにいいねを押していくなんて無駄な作業。
どちらかと言えば、キラキラランチや朝活を鼻で笑ってたタイプで、私は違うと思っていましたが、たいして変わりはしませんでした。
距離感は、今年の私のキーワード。
SNSというツールは、特に距離感を意識して上手に付き合っていきたいと思っています。
サポートは、鷹の目で世の中を見ることが出来るように、本などに使わせていただきます。