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“未来”のはなし

僕の最終目標は、“永遠”を叶えることだ。

永遠を望む僕が、その永遠を叶えるために、永遠が存在しないことを知覚している。
大切な人と過ごす日常は、毎日毎日、当たり前にやってくるわけではなくて、そんな日々を当たり前と錯覚してしまうと、大切な人がそばにいてくれることがどれだけ尊く恵まれたことか、忘れてしまう。

当たり前なんてないと思っている僕だけれど、最近の僕は少し変わり始めたように思う。

恋人がまるで当たり前みたいに2人の未来の話をするから、最近の僕は恋人にあてられてると感じる。

“永遠”とか“当たり前があるかどうか”とか、そんなことをわざわざ考えなくても、恋人は未来の話をした。

まるで初めから2人の未来がそこにあったみたいに。

そう考えると、ある意味恋人のほうが僕よりも永遠に近いのかもしれない。

僕には見えていない未来が、恋人には見えているのだろうか。

いや、見えていないというと語弊がある。望んでいる、というほうが適切かもしれない。

疑う余地のないような未来が恋人には見えているとするならば、永遠の片鱗も、恋人には見えているのだろうか。

そんな恋人にあてられて、最近は僕も、恋人との未来を考えることに抵抗がなくなってきた。

不確実性の大きい未来の話をするのは、責任感に欠けると思っていたから。

それでも、恋人はそんなしがらみを突き破って、未来の話をしてくれた。

僕との未来を見据えている恋人の目を、僕は真っ直ぐに見ることができなかった。

不甲斐ないと思った。

だから、僕も未来の話をすることにした。

当たり前じゃないとわかっていても、この世界の時間が滞ることなく流れていくみたいに、僕らの“この先”も、見据えていこうと思った。

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