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SOL総会に関する作家ホイットリー・ストリーバーのレポート

AAROの報告書が明日公表されるようだ。
内容はUAP現象や米国政府のUFO回収は存在しないとし、デビッド・グルーシュの議会証言を全面的に否定するものらしい。
これに対して、ルー・エリゾンドがロス・コーサートとの対談の中で反駁するなどの動きがあるようで、グルーシュの論説が引き延ばされていることなどもあり、UAPディスクロージャーは再び(何度目?)座礁するおそれが出てきた。これからもしばらく界隈の動きを注視していきたい。

今日は、先日動画を公開したSOLシンポジウムに参加した作家ホイットリー・ストリーバー(Strieber, Whitley)のレポートを紹介する。

彼が1987年に発表したベストセラー『コミュニオン』(邦訳『コミュニオン―異星人遭遇全記録』扶桑社、1994年)は、著名な作家による接近遭遇の記録として強い影響力を持つ書物の一つである。

SOL財団カンファレンス: 大きな成功と直面する大きな課題
ホイットリー・ストリーバー・2023年12月6日

【40冊を超えるベストセラー作家であるホイットリー・ストリーバーは、UAP対話に参加する政府関係者、科学者、学者だけではなく、経験者コミュニティやより広範な文化も発言する必要があると述べる。】

私は、2023年11月17日から18日の週末にスタンフォード大学のキャンパスで開催された最近のSOL財団総会に参加した多くの参加者の一人だった。 この会議は、未確認異常現象(UAP)に対する科学界および政府の対応に焦点を当て、文化的、宗教的のアプローチにも焦点を当てるものだった。

会議には多くの接近遭遇目撃者がいて、私たちは礼儀正しく敬意を持って扱われたが、演壇で発言することはできなかった。当初私はこれについて疑問に思い、イベントの主催者の一人であるギャリー・ノーランに、なぜ私たちが登壇しないのか尋ねてみようと思った。だが、会議の構成や招待された講演者を見ると、私はこのテーマに関する独創的なテキスト「コミュニオン」を含む 9 冊の本の著者であるにもかかわらず、そこに私の居場所はないことに気づかされた。

理由は2つあったと思う。1つ目は、私が正当な資格を持っていなかったこと、2つ目は、何人かの講演者と話して分かったことだが、他の発表者や出席者の何人かは、プログラムで私の名前を見て不快に思い、参加しなかった可能性があったことだ。

私は、私も含めて接近遭遇の体験者全員がこのテーマに関する対話に参加すべきだと考えている。私自身も含めて、接近遭遇体験者は考慮に値する文書を多数残しており、それについての対話の場に私たちが登場するのはごく自然なことに思われる。そしてSOL財団の最初の年次会議で行われていたのは、まさにその現象にどう対応し、それについてどう考えるかについての議論だったのである。

会議では物理的な現象の分析が中心であり、現象の性質や宗教的反応を含むアカデミックな発表もあったが、接近遭遇体験についての報告はまったくなかった。

誤解しないでほしいのだが、私は文句を言っているわけではない。むしろその逆である。SOLはとても貴重なイベントであった。私はこれはおそらくこれまで開催されたUFO会議の中で最も重要なものであると考えており、ギャリー・ノーランとピーター・スカフィッシュ、そしてすべてのプレゼンターの尽力にはいくら感謝してもしきれないと思っている。

しかし、次回の会議では、SOL財団が開催するか別の主体によるかにかかわらず、研究者の観点だけでなく、目撃者自身の観点からも接近遭遇現象を取り上げるべきだと感じている。

経験者のコミュニティとより広範な分野が声を上げる必要がある。 ここで起こっていることは別の知性存在との接触であり、その経験の人間的な側面だけでなく、科学技術や文化の問題にも対処する必要がある。本当に理解が進むことを期待しているのであれば、議論を1つか2つの分野だけに留めようとするのは意味がないことだろう。

両日とも、聴衆から質問を募るコーナーがあったので、私はそこで対話を試みた。私は科学者のパネリストに対し、接近遭遇の話とそのような体験を報告している人々の調査に科学が利用可能なツールをいつ適用するのかと質問し、これまでのところ、実際の物理的な体験がUAP 現象に関係しているかどうかを判断しようとさえしていないと付け加えた。

私がこのイベントでこの点を取り上げたのは、多くの人には(特に私のような経験者にとっても)驚くべきものに聞こえただろう。 それでも私たちは未だに、目撃者たちが自分たちの身に何が起こったのかを正確に説明しているのか、あるいは彼らが遭遇した存在が未確認飛行物体に関与しているのかについての決定的で議論の余地のない証拠を何も持っていないということは事実なのである。

科学には、この問題を最終的に解決することはできなくとも、問題をより明確にするためのツールがあるのは確かだ。一例としては、体験者の語りを一連の質問に分割し、機能的 MRI スキャン セッション中に証人に脳機能を観察しながらそれらの質問をすることが考えられる。このような状況では、彼らが物理的な出来事をどの程度記憶しているかについて何かを伝えることができるかもしれない。機能的MRIは、特定の記憶が少なくとも部分的に感覚入力に由来するかどうかを明らかにすることができる。十分な数の人々が研究対象となり、ある種の一貫性が観察されれば、接近遭遇がどの程度の物理的体験であるかを判断する上で進歩が見られるかもしれない。

さらに、社会科学、人類学、医学には、経験者に適用できるさまざまなツールが多数存在する。 医学的検査や心理検査、さらには遺伝子分析も可能だろう。接近遭遇と UAP現象報告との間に関係がある場合には、それを示すデータベースを開発できる。

アカデミックな世界においても多くのことが可能であり、独自の観点を提供することができる。 イベントの2日目に、私は次のような質問をした。学会は、天使から幽霊、神に至るまでの神秘的な存在との過去の遭遇を信じる理由があるかどうかについて、詳細な評価を行うことは可能だろうか? またそれらは現在の接近遭遇現象の基礎となっているのか、それともそれを人類文化の新たな発展とみなす理由があるのか?

これは難しい質問である。ただし、それにアプローチする方法は数多くあり、その中にはこれまで試したことのない方法もある。中には、新石器時代から歴史初期まで人類の文化に豊富に存在する大きな目の人物の画像などを、宗教的慣習や文学に表現されているような連続した文化的遺物と関連付けているものもある。

この「目の神」を作った人たちは何を考えていたのだろうか? 画像がそのように表示された理由を説明できる具体的な参考文献は存在するのか? ルネサンスでは、多くの絵画の中にはそこに属しているようには見えない物体が空に描かれている。それはなぜか? これを説明できるような日記やメモを残した芸術家はいるのか、また、なぜこの特定の時代にこのようなことが行われたのかについて洞察を与える可能性のある何かが当時の文学に隠されているだろうか?

このような具体的な質問以外にも、現代の世界観に適合しないため、学術界によって意図的に無視されている膨大な量の人間の経験がある。何千年にもわたる膨大な文学や芸術に収集された人間の経験には、われわれが現実だと認識している世俗的な世界観と著しく異なるものを示しているものがあまりにも多い。 むしろ、それは全体として人間の計り知れないもの、驚嘆すべき魔法のようなもの、そして説明のつかないものの世界であるといってもいい。学術界は、それをただ人間の空想とみなすのではなく、人間の心の謎と現実との関わり方の記録として、それをありのままに扱うこともできるだろう。 現代の UAP現象や接近遭遇体験に見られる無数の具体的な描写を調べるなら、私たちはこの未知のグレーゾーンで、私たちがこれまで誰であったか、誰であるか、これからどうなるのかについて、いくつかの新しい洞察を発見し始めるだろう。

結論として、私は接近遭遇に関する豊富な文献、特にその著者であるトレバー・シカゼ(Trevor Shikaze)が会議で私に手渡してくれた『Terrible, Glorious & Useful』という本から引用したいと思う。この本には次の極めて重要な言葉が含まれている:「The alien is your option to invent a better welcome. エイリアンは、より良い歓迎を生み出すための選択肢である。」

それは私たち全員の目標の核心とみなす価値のある言葉だと思う。



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