「君」「きみ」「キミ」
二人称である。「君雄くん」の愛称でないかぎりは二人称である。

とわかっちゃいるけれども、歌詞に出てくる「君」、あれはどうも二人称らしくない。
らしくないというか、二人称というのを単純にその言葉の聞き手、読み手のことだと考えると違和感がある。歌詞の場合「君」=リスナーという構造があまり成り立たないからだ。成り立つのは応援ソングくらいではなかろうか。

しかし、「君」は歌い手にとっての「君」ではなく歌詞の主人公にとっての「君」だと考えると、特に違和を感じるようなことでもない。
歌い手が歌詞の主人公のモデルになっていようが、あくまで歌い手は「物語の主人公の台詞」を読み上げているのであり、聞き手は時として感情移入しつつ他人同士の物語を楽しむ。一人称小説と同じである。


まだなんとなくモヤモヤする。
「君」の存在は「物語の主人公の台詞の聞き手」ではないんじゃなかろうか。
「物語の主人公」は「君」に「話しかけて」いるだろうか。「君」は「聞き手」といえるだろうか。

もし「君」が「聞き手」であったなら、「君に秘密で向かうはWINTER LAND」は秘密にならない。
「もう二度と逢えない君」「君はもういない」など、「君」はそもそもその場にいなかったりする。
個人的な感覚として、こういう表現は小説より歌詞の中でよく見かける。

歌詞の主人公の頭のなかにいる「君」は、「あの子」や「彼女」に置き換えても成立する気がする。そういうところがどうも三人称っぽい。

なぜ「あの子」でも「彼女」でもなく「君」だったのだろう。
この場にはいないけれどこうして話しかけられるくらいまざまざと「僕/私/俺」の中に「君」がいる、的感覚の表れなんだろうか。
感情移入のしやすさ、という利点もあるのかもしれない。「あの子」は遠いが、「君」は近そうだ。存在がすぐ目の前にある感じがする。


私は「君」についてかなり前からうだうだ言っているのだが、未だに全部全てまるっとすっきりはっきり理解したとは言いがたい。

今日はここらへんにして、後の考察は君に一任する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?