捨てられない

ぬいぐるみ
人の写っているポスター
写真やプリクラ

捨てられない。一個も捨てられない。とにかく顔がついているものが捨てられない。
表紙に人が写っている本も捨てられない。

風景がメインで、人物が小さく、なおかつ向こうを向いているチラシなんかであれば大丈夫だ。魔王ごっこでもしながらゴミ箱にシュートできる。
あとは例えば、街頭で配っている政治家のチラシとか、ティッシュについている、学生服を着たモデルの笑顔がこちらを向いている学習塾の広告とか、そういうのは捨てられることは捨てられる。というか、捨てる。
ほぼ全部もらってしまうので、溜めておくととんでもないことになるからだ。

しかし、それですら少し気力がいる。とにかく、顔。こちらを向いている顔がだめだ。

最近では、付箋が二週間ほど捨てられなかった。職場の人が私の机にその付箋を貼ってバカンスに旅立っていったのだが、「ありがとう、よろしくね」の後に、ニコニコマークが描かれていたのである。

いやね、さすがにね、捨てるつもりでしたよ。普通に。抵抗なく。
でもそれができなかったんだなあ。明確に「捨てられない」と思ったわけではないのだが、結局ずるずると二週間ほど机の引き出しの内側側面に貼ったままにしてしまった。

そもそも顔以前に、メモとか、ちょっとした手紙とか、人の手書きの文字を無暗に取っておきがちなのである。

その癖の発露として最たるものが小学生時代の手紙だ。
最早内容や差出人になんの思い入れもないどころか、差出人に関する記憶すら消えているのだが、かなりの数残してある。
なくしたことや、親に処分されたことはあるかもしれないが、おそらく自分では一通も捨てていない。
もらった数も多くはないので、そうしようと思えば捨てずにおけてしまうのだ。

ちょっと話は変わるが、某森のセーブデータもなかなか消せなかった。
別に消す必要はなかったのだから消さなきゃ良い話なのだが、遊ばなくなっていたデータを放置する方が気分がもやもやすると思い、住人の命乞い(?)に大泣きしながら消した。親は完全にあきれていた。

最近、特に頭の調子が悪い時なんかに、食べ物の写真でもそれに近い感覚が発生していて、ちょっと困っている。

すしの広告で部屋が埋め尽くされる日も近いかもしれない。

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