食卓の時代

みんな、いつも何時代で飯食ってる?


ブロックのような栄養補助食品や疑似肉をディストピア時代で食べるのは定番プランだが、なにぶんこちらを見る何者かの目が気になっておちつかないので急いで食べてしまう。
胃に悪いので、今はあまりやっていない。


私には、めちゃくちゃ喉が渇くまでその渇きを認識できないという深刻なバグがあるので、夏場はふと気づくとカラカラになっている。
そういう時はポストアポカリプスあたりまで時間を進めてから、言葉に尽くしがたい味の水道水を手で酌んでやたらめったら飲む。それはもうやたらめったら飲む。
その水というのがとにかくうまくてたまらない、ということにしておく。

都会の水はおいしくないなどうそぶいた、惨劇を知らなかった頃の自分を思い出し、この水こそ「生」なのだなどと死に沈んだ都市に詩情を見たりする。

これはわりと早い段階で飽きる。


最近のお気に入りは稲作あたりだ。
この時代で食う飯が一番おいしい。多少生臭かろうと、塩が薄かろうと、自分でとって焼いた魚ならいつでもおいしい(注:自分でとって焼いていません)。塩漬けにして保存した魚もまた良し。
野菜は子供が採ってきたものだ。多少熟れすぎているものなんかもあるが、ご愛敬である(注:子供がいません)。
野菜と魚と、そして手間暇かけて育てた米。やっと収穫できた喜びと、でんぷんから生まれる甘みを村人全員でかみしめるのである(注:村に住んでいません)。

食べ終わるとようやく日が暮れてくる。(想像上の)太陽が(想像上の)地平線をオレンジ色に染める。
今日も食べるために働き、こうして家でおいしい食事にありつける。マンモスと闘わなくていい時代というのはいいものだなあ。


他の時代に行く元気がないときは、現代の自宅に帰る。
一万円を用意する。
架空の店員に支払う。
席に着くと、化学的に分析し構築した「おいしさ」の塊であるところの「分子ガストロノミー」が展開される。

「分子構造おいしい」と言いながら食べる。

食事の終わりには驚きの全額キャッシュバックだ。架空の店員はいつのまにか脳からいなくなっている。誰はばかることなく一万円を財布にしまう。



タイムトリップして食事する方法の唯一の欠点は、多くの場合最後には食器を片付けに現代に戻る必要があることだ。

食洗器買おうかな。

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