前世記憶とは何か~クラウドとモバイル機器
基本的なお話です。
「前世記憶」ってどのようなものでしょうか?
通常の肉体の記憶と、どう違うの?
そのような疑問にお答えするため、ここでは筆者の体験や他の方々の話から推測できることをお話ししておきます。
〔この記事は筆者ブログからの転載です。元記事https://ksnovel-labo.com/blog-entry-835.html〕
前世記憶は、バックアップファイルである
これは大人になってから前世記憶を思い出した人の場合※ですが、思い出すときはマンガや映画で描かれているように、脳の奥から無理に記憶を引き出すような感じではありません。
前世記憶は今世中の記憶と違って脳などの肉体器官で保存しているわけではないからです。
※前世記憶を持って生まれた子供の場合とは少し違うようです
私が初めて前世記憶を思い出した時は、どこかに預けておいた記憶を一気にダウンロードしたように感じました。
それが自分の記憶だと分かったのは、ダウンロードの早い段階で「確かに自分の過去だ」という感覚があったから。つまり、今の自分と前世の自分との「深層の人格(魂の自我)」が完全一致したからです。
これはたとえるなら、クラウドに預けていた自分の記憶ファイルをダウンロードするような感じです。その際、「自我」が一致したことによってアクセス権の認証(?)が行われたようにも思います。
クラウドとは:インターネット経由で使えるサービス全般のこと。ここでは自作ファイルを預けておける世界共有の巨大サーバーとしてイメージしてください。
ここで「クラウド」と喩えている前世記憶置き場は、神秘主義者たちから「アカシックレコード」と呼ばれてきたものだと思います。
古くから、次元を超えた場所に世界の全てを記録する書庫のような場があると信じられてきました。
古代では文字通り膨大な本を保管している「書庫」としてイメージされていますが、二十世紀には記録媒体のレコードとしてイメージされ、最近ではインターネット上のクラウドのように説明されることが多いです。
時代によって説明の仕方は変わりますが、多くの人々が証言しているように確かに「アカシックレコード」に相当する記憶置き場は存在するのだと思います。書庫やサーバーのような物質的な場ではないとは思いますが。
私は個人的に、「クラウド・システム」のイメージはアカシックレコードを表すのに最も近いと感じています。何故なら神様などが地上の情報を収集し保存しているのではなく、個々の魂自身がそれぞれ自分の記憶をアップロードし、活用し、結果としてビッグデータとなっていると思われるからです。
ところで、このアカシックレコードへ自由にアクセスできる人たちがいます。
それが霊能者や、透視能力者などと呼ばれる人々です。
彼らはアクセス権がないのに他人の情報を覗き見ることができるのだから、もしかしたら「ハッカー」と言えるのかもしれません。
または、霊的な治療行為など何らかの使命を与えられ、アクセスする権限を持って生まれているのかもしれない。言わばプログラムの修正技術者でしょうか。
いずれにせよ、通常はその記憶ファイルを作成した本人だけがアクセス可能な情報だと思います。
また、本人でも必要がなければアクセスすることはありません。
何故、ほとんどの人に前世記憶がないのか
アカシックレコードに前世のバックアップファイルがあるなら、どうして誰もが自由にアクセスし、ダウンロードできないのでしょうか。
前世があるなら、どうして全員が前世記憶を持っていないのか?
この素朴な疑問に回答するため、宗教は様々な説明をしてきました。
たとえば、
「生まれ変わる際に、忘却の水を飲まなければならないルールだからです。(でも我が宗教会員様限定の水を飲めば、忘れずに来世へ行けますよ。ご入会、いかがですか?)」
とか。
「神でなければ前世記憶を持ち越すことはできないからだ。(我が宗教の教祖は神だから、世界中でただ一人だけ前世記憶を持ち越している。どうだ我が教祖は凄いだろう。入信せよ!)」
とか。
どれもその宗教へ入るよう誘うための勧誘文句のような気がして、嫌ですね。
もっと現実的で、筋の通る話を好む人たちはこう言います。
「前世の記憶を持って生まれたら不都合だから。もし全員が前世の記憶を保ったまま生まれ変わることになったら、大変なことになる。復讐が横行し、殺人事件があちこちで起きるだろう。過去など忘れたほうがいいから、忘れるシステムになっているのだ」
私はこの最後の意見に同感です。
全ての人が前世記憶を持たずに生まれ変わっていて、良かったと思っています。皆が前世記憶を持って生まれ変わっていたら、前世の宿敵同士、お互いに復讐し合って争いが絶えることはない気がします。
(その代わり、今現実で起きている国家間戦争や民族紛争は消え去ると思いますが。全ての人が前世記憶を持っていれば、国家同士や民族同士の復讐し合いはバカバカしいことだと分かるはずです。前世で自分は相手の国、相手の血筋に生まれていたかもしれないからです)
しかし理由はもっと単純、かつ現実的だと思います。
真相をはっきり言ってしまえば、地球上の肉体(脳)の記憶容量が、全ての転生記憶を持ち運ぶには圧倒で足りないからです。
サクサク生きる、のが人生の優先事項
残念ながら、地球に生きる我々の肉体のスペックはそれほど高くありません。
極限まで小型化されたモバイル機器に近いものです。電池はそれほどもたないし、記憶容量もとても少ない体です。
この小さな肉体の脳に、過去世全ての記憶ファイルをダウンロードしたらどうなるでしょう?
転生回数が多い魂の場合、情報量の多さによって一瞬でパンクします。
まだ数回しか生まれていない魂はパンクしないまでも、重くてほとんど動けなくなることは避けられません。
そこで肉体を持って生まれ変わる際には、その人生で活動するために最低限必要な記憶と魂のエネルギーだけ持って生まれることにしているようです。
死後世界を記憶している人たちが、生まれる前の準備について語った話によれば、
「魂は地上へ持って行くエネルギーを自分で決めている。エネルギーの分量はその人生によって違うが、マックスで持って行くことはない。肉体が耐えきれず壊れてしまうから」
ということです。
これはたとえばパソコンやスマートフォンでも、使っているうちにファイルとプログラム(アプリ)が増え、重くなってしまうことがあるでしょう。
こうなった場合は「初期化」することと思います。あるいは、新しいパソコン・スマートフォンを買うでしょう。
初期化または買い替えの際にはクラウドなどへファイルを移すはず。
ところで新しいパソコン・スマートフォンを完全に以前と同じ環境にするために、ファイルやプログラムを全て元通り復元しますでしょうか? それではまた前と同じように重くなり使えなくなってしまうから、新しくしたことが無意味となります。
新しい機器ではサクサク使うことが何より大事です。このため過去ファイルの全ダウンロードは通常行わず、不要ファイルは外部に保存したままにしておくはずです。
これと同じことが転生の際に起きているようです。
新しい人生を生きる際には、「サクサク生きる」ことが最優先事項。
身軽になって、今この時を懸命に生きる必要があります。
地上に生きる我々は過去を忘れるということを寂しいと感じがちです。でも大丈夫、過去の記憶は本当に失われたわけではありません。魂は死後世界で自由に記憶を見ることも学ぶこともできます。
前世を思い出す人がいるのは何故か
現世を生きるに必要ないどころか邪魔になってしまうものなら、稀に前世の記憶を持つ人がいるのは何故でしょうか?
前世記憶を持つ人には二つのタイプがいます。
第一のタイプは、幼い頃だけ前世記憶を持っているタイプ。この人たちは物心がつき始めると前世記憶を忘れていきます。スティーブンソン博士著『前世を記憶する子供たち』で収集されたケースはほぼこちらのタイプです。
第二のタイプは、成長してから前世を思い出すタイプ。この人たちは一度思い出すと、そのイメージを再び忘れることはありません。
おそらく第一のタイプは単に記憶データの消え残りです。
このタイプのほとんどのケースで共通していることは、生まれ変わるまでの期間が数十年以内など短いこと。ほんの数か月前に死んですぐ生まれ変わった、というケースもあります。
このことから、新しい人生を得るまでの期間が短いと前世記憶を完全に消しきる前に生まれてくる場合がある、と分かります。
魂の記憶は物質的なデータとは違うので、アカシックレコードには地上の行動とともに瞬時に保存されています。だからデータの移行に時間がかかるわけではないのですが、物質次元で記憶を消し去るには時間が必要なのかもしれません。このため霊魂を覆う物質に近い「幽体(またはその少し内側の衣)」など何らかの次元に記憶データが残ったまま、生まれ変わる場合があるのだと推測されます。
この場合に限り、物質次元の記憶として言語記憶を持ち越す場合もあるようです。それが習ったことがないはずの前世の言葉を話す子供たちです。
(また物質次元に近い情報を持ち越しているからこそ、肉体にも前世で致命傷となった傷が出現しやすい)
しかしもちろん消し損ねた残骸データを保ったまま生活するのは不便ですから、成長するにつれ消えていくわけです。
いっぽう成長してから前世記憶を思い出す第二のタイプは、思い出すことに理由がある人たちです。
ワイス博士著『前世療法』に記されている患者たちはこちらのタイプ。筆者もこのタイプです。
魂は前世の具体的な記憶――行動記憶――をアカシックレコードに置いたまま、初期化された状態で新しい人生を歩み始めます。
しかし実際に行動する魂という「主体」は、決して過去の人生を忘れたわけではありません。行動記憶のデータは外部に残してきているため具体的なことは思い出せないのですが、過去に受けた傷を刺激するような出来事に遭遇すると魂が反応します。この情動が肉体にまで及ぶことがあります。
「理由は分からないが、なんだか苦しい」
「何故かとても怖い」
という状態です。
人によってはこの反応が過剰となり、新しい人生を生きる支障となっていることがあります。
あまりにも生活が困難となり、自殺を考えるほどになれば「エラー」と言え、修復する必要が出てきます。
これはパソコンで喩えると、ショートカットの残骸だけデスクトップに残り、クリックしても起動できないのでパソコンが混乱してフリーズしている状態です。こうなると元データの一部を復元したうえで残骸と繋げ、フリーズしないようにしてあげる必要があります。
この場合、指導霊などの判断で問題となっている過去世(一つ前とは限りません)の人生の一部を見せられることになります。
つまりアカシックレコードから古いデータをダウンロードし、エラーを起こしている箇所と繋げるわけです。こうすることでフリーズしなくなり、スムーズに動くことができるようになります。
なお、修復のために必要最低限のデータのみ再ダウンロードするので、言語記憶など余計なものが蘇ることはありません。ほとんどの人は人生全ての記憶を思い出すことはなく、恐怖の原因となっている一部の場面のみ思い出しています。
また必要最低限の最小データだけ持つことになりますので、生活の妨げになることもありません。再ダウンロードした過去の記憶は今世の記憶として持ったまま生きることができます。このため、こちらのタイプが一度思い出した前世記憶を忘れることはないのです。
もちろん、必要がないといって忘れてしまう人もいると思いますが。
人によりけり、今世での使命によりけりです。
私は多くの人に輪廻転生の真実を伝える使命があると感じるので、この通り忘れることなく生きています。
前世記憶という勘違いに注意
最後に注意点を書いておきますが、前世記憶を持つ人はほぼ上の二パターンに分けられると覚えておいてください。
このパターンで分けられない場合、たとえば
「成長してから唐突に前世を思い出した。そこから急に前世の言葉が話せるようになり、急に恐怖を感じるようになった」
などという時は前世記憶ではなく憑依(ひょうい)だと思います。
上に書いた通り、幽体などは準物質であるため、記憶媒体としての機能も持ちます。死んでからも現世に留まり、生前の記憶を持ち続けています。
この幽体が生きている人の肉体に入り込むことがあります。この状態を「憑依」と呼びます。憑依されると、当然ながら幽体の記憶も肉体に取り込まれます。するとその時点から別の人生記憶が脳内で再生されるようになります。
これがあたかも「前世を思い出した」かのように感じられることがあります。
つまり、自分では前世記憶だと思っているけれども、実は他者の記憶だったということがあるわけです。
カウンセラーのもとへ通い、思い出す必要もないのに無理やり前世を思い出そうとすると、憑依したがっている霊体の思うつぼでとり憑かれてしまう可能性があります。
日本で「前世療法」を看板に掲げるカウンセラーたちの中には、憑依と前世記憶との見分けが全くついていない人もいるので注意してください。
前世記憶か憑依か見分けるポイントは『前世を思い出す方法 自催Ver.』に詳しく書きました。参考にしていただきたいと思います。
上記事から抜粋しておくと、急に見知らぬ国の言語を話せるようになった、などは簡単に見分けられるポイントです。幼少期ではなく、成長してから思い出した前世で他国の言語が話せるようになることはまずありません。言語記憶は特に再ダウンロードの必要がない、邪魔なデータだからです。(稀に自分や親しい人の名などキーワードだけ思い出す場合はあるようです。→記事下の補足2、「音声について」参照)
記憶を思い出してから唐突に恐怖を感じるようになった場合、これは間違いなく憑依です。前世記憶なら逆にその時点から恐怖が和らぎます。
また、人格に変化があるかどうかは最も重要です。
謎の記憶が頭の中で再生されるようになった頃から、親しい人たちに
「なんだか最近、感じが変わったね」
などと言われ始めたら要注意です。
憑依されると悪い行いへ誘導されることもあるようですから、意識を強くもって何らか対処してください。
生まれ変わりは別人になることではありません。
だから前世記憶を思い出しても別人に変わってしまうことは絶対にありません。
この点、勘違いしているために「憑依」を前世記憶と誤解してしまう人がとても多いと思います。
前世療法が変身願望を満たしたい人たちの遊び道具となっているのは残念なことだし、実際に危険なので注意していただきたいです。
上記事から抜粋しておくと、急に見知らぬ国の言語を話せるようになった、などは簡単に見分けられるポイントです。幼少期ではなく、成長してから思い出した前世で他国の言語が話せるようになることはまずありません。言語記憶は特に再ダウンロードの必要がない、邪魔なデータだからです。(稀に自分や親しい人の名などキーワードだけ思い出す場合はあるようです。→記事下の補足2、「音声について」参照)
記憶を思い出してから唐突に恐怖を感じるようになった場合、これは間違いなく憑依です。前世記憶なら逆にその時点から恐怖が和らぎます。
また、人格に変化があるかどうかは最も重要です。
謎の記憶が頭の中で再生されるようになった頃から、親しい人たちに
「なんだか最近、感じが変わったね」
などと言われ始めたら要注意です。
憑依されると悪い行いへ誘導されることもあるようですから、意識を強くもって何らか対処してください。
生まれ変わりは別人になることではありません。
だから前世記憶を思い出しても別人に変わってしまうことは絶対にありません。
この点、勘違いしているために「憑依」を前世記憶と誤解してしまう人がとても多いと思います。
前世療法が変身願望を満たしたい人たちの遊び道具となっているのは残念なことだし、実際に危険なので注意していただきたいです。
補足
補足1
前世記憶がある人のうち、第二タイプの記憶についてどんな感じなのかもう少し詳しい話。
このタイプの人たちが前世記憶をいったん再ダウンロードした後は、ダウンロードした部分に関して今世中の記憶と全く同じように再生することができます。(私はそうなのですが、他の人もそうだと思います)
最初だけ特別にニュース映像のようなリアリティを伴いますが、その後は常に神秘的な世界から引き出して来るような感じではありません。
まったく素朴な日常の思い出と同じトーンで思い出されますので、今世の記憶と混同してしまうことさえあります。筆者の場合は兄弟のことについて、今世のつもりで話していて前世のことだったという間違いがよくあり少々困ります。
他の人が前世に関して想像するようなファンタジー感がないのはちょっと残念です。笑
現世の記憶がそうであるように、記憶の色褪せと時間経過は必ずしも比例していません。(追記 これは数式で表されるように全ての記憶が時間経過という法則に従って薄れるわけではない、という意味です。概ね時間と距離は似ています。一つ前の人生よりもっと前はボンヤリしか思い出せません。)
筆者はだいたい幼少期の思い出と同じくらいの色褪せで前世記憶(一つ前の)を思い出します。
全ては淡く白いフィルターがかかっているように遠く感じられるが、感情を刺激されると昨日のことのように思い出されることもあります。
月日など具体的な記憶はほとんどないので、現実で具体的な話を知ったとき「そうだったのか」と驚くことはあります。これは幼少期のおぼろげな思い出について、親戚から「あの時こうだったんだよ」と現実の話を聞かされて驚く感覚と完全に同じです。
思い出の細部が間違っていることがある点も、幼少期の思い出と同じ。大枠のこと、肝心の全体的な経緯は合っているという感じです。
補足2 音声について
私は以前、「はっきりとした音声の場合は幻聴の可能性があるから注意」と書きました。何故なら精神医の意見もそうであるし、私自身が音声で言語を記憶していないからです。
補足1で書いた通り、ダウンロード後の前世記憶は「幼い頃のおぼろげな記憶」と同じです。皆さまもご自分の幼稚園時代のことを思い出せば分かると思いますが、お友達との会話は全て音声として再生されるのではなく、意味だけで覚えているはずです(その子がどんなに可愛い声をしていたか、という付随情報は覚えているかもしれませんが)。前世記憶もこれと全く同じで、音が現に耳へ響くわけではなく会話内容を思い出しているだけです。
ただ人によって、夢の中などで「自分の名を呼びかけられた」と仰る方はいます。この場合は、夢なのですから記憶を素材として音声が作成されることはあるでしょう。
いずれにしても目が覚めた状態で、正確な外国語の発音で過去の言語を発声することはできないはずです。このことこそ、「言語記憶は不要だからダウンロードされない」という証拠です。