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中島伸子は井村屋初の女社長!経歴や実績・家族で助け合う子育て術!

中島伸子さんは、あずきバーなどで有名な井村屋グループ株式会社の社長です。1978年に入社してから40年以上、井村屋で数々の実績を残してきました。
中島伸子さんが役員に就任した当時の女性役員は2%ほどでしたが、現在は様々な取り組みによって15%近くまで増加しています。

今回は、そんな中島伸子さんの生い立ちや経歴、実績、井村屋について調査してみました。
また、女性管理職を増やすための取り組みや、3人の子を持つ母親としての子育て術、家族の絆についても紹介していきます。

中島伸子とは

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中島伸子さんとは、井村屋グループ株式会社の代表取締役社長、その他グループ企業の役員を務める人物です。
20代の頃にアルバイトとして入社した中島伸子さんでしたが、66歳で井村屋創業以来初の女性社長に就任したことで注目を集めました。

その活躍は凄まじく、「あずきの日」のアイデアによるコア戦略の強化や井村屋の女性管理職の増加は中島伸子さんのおかげといっても過言ではありません。

また、私生活では3人の子供の母として、仕事と育児の両立に奮闘しました。
今では3人の子供も立派な大人へと成長しているそうです。

プロフィール

中島伸子さんのプロフィールは以下の通りです。

本名:中島伸子
読み:なかじまのぶこ
生年月日:1952年11月8日
出身地:新潟県
性別:女性
国籍:日本
学歴:近畿大学豊岡女子短期大学(豊岡短期大学)卒業
趣味:水墨画/能面作り
資格:消費生活アドバイザー/調理師免許/校正士

中島伸子の生い立ち

中島伸子さんは、1952年11月8日に新潟県にて誕生します。
マラソンをする活発な子供で、中学高校は陸上部とソフトボール部に所属しており、子供の頃の夢は学校の先生になることでした。
しかし20歳の誕生日を目前に、多数の死傷者を出した北陸トンネル列車火災事故に遭遇しています。
目の前に座っていた親子は残念ながら事故で亡くなってしまったそうですが、中島伸子さんは一命をとりとめたものの、事故の影響で2年間声の出ない生活が続いたため、高校教師になるという夢も諦めてしまいました。

その後、少しずつ声が回復してくると23歳の時に自宅近くの井村屋でアルバイトとして働き始めます。

中島伸子の経歴

1978年に経理担当として井村屋にアルバイト入社した中島伸子さんでしたが、4トントラックでの配達もこなしていました。
25歳の時には社員登用試験を受けて正社員として働き始めます。
30歳を過ぎると営業に出るようになりましたが、当時女性のセールスマンはまだ珍しく、「女性」という理由で嫌な言葉を投げかけられたこともあったそうです。
それでも中島伸子さんは諦めずに謙虚な姿勢でお客様の信頼を獲得していきました。

そして1998年には北陸支店長、2006年には53歳で女性初の関東支店長に就任します。
しかし、女性初の支店長に対する部下からの評価は最悪で、退職を考えて上司に辞表を渡すほど辛い思いをしたそうです。

■井村屋初の女性社長に就任

辞表を受け取った上司(現会長)は「男も女も関係ない、評価はお客様からもらえ」と叱ったそうです。
その言葉に吹っ切れた中島伸子さんは実績を重ねていき、2008年には上席執行役員を経て取締役マーケティンググループ長に、2011年には常務取締役に就任し、昇進していきます。
更に2013年には専務取締役に就任、2017年には副社長に就任しました。

そして2018年には、創業120年以上の井村屋グループで初の女性社長に就任しました。
2021年現在も井村屋グループ株式会社およびイムラ株式会社の代表取締役社長、その他グループ企業の取締役を務めています。

中島伸子の実績

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中島伸子さんの実績についてもまとめてみました

■アルバイト時代の提案

アルバイト時代に配達先の小売店で、お年寄りから「アイスクリームのカップのふたがはがしにくい」と言われたと聞きました。
そこで中島伸子さんは、持つところを大きくして強度を高めてもらうよう本社に提案すると、その案が採用されて金一封をもらったのです。
本部にアルバイトの意見を取り上げてもらえたことで、会社に対する好感度が高まり、正社員登用試験を受けるに至っています。

■毎月1日を「あずきの日」に

あずきは古くから健康の源として毎月1日と15日に食されていた習慣があることから、「毎月1日はあずきの日」として制定し、井村屋の主力商品であるあずきバーを食べて暑い夏を乗り切ってほしいという思いから、「7月1日をあずきバーの日」を制定しました。
これは中島伸子さんのアイデアで、日本記念日協会より認定も受けています。

■井村屋で数々の女性初を経験

老舗企業で女性初の社長に就任したことで大きな注目を集めた中島伸子さんですが、営業所長に始まり、北陸支店長、関東支店長、営業本部長など、そのキャリアのほとんどが井村屋で女性初でした。
また、経理、人事、営業など幅広い業務をこなすことで実績を積み上げていきました。

女性管理職を増やすための取り組み

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中島伸子さんは女性管理職を増やすための取り組みとして、女性社員から希望があった本社敷地内にある託児所の開始時間を早めることから始めました。
30分早めただけで、ほとんどの女性が始業時の朝礼に間に合うように出社するようになったそうです。

また、当時は総合職でなければ役員になることはできず、高卒の女性社員が中心となっている一般職は管理職になることができませんでした。
中島伸子さんはこの制度の見直しを行い、2015年に一般職、エリア総合職、総合職を一つにすることで誰でも管理職に就けるようにしました。
また、女性社員だけの管理職研修を5年間実施してきました。

こうした取り組みが女性管理職を増やすことにつながり、井村屋では2021年現在、課長級の14.5%が女性社員で構成されています。
また、その下の主任、副主任クラスでは女性社員が30%を超えており、時代に沿った会社へと進化していきました。

母親としての中島伸子

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中島伸子さんは井村屋入社前に結婚していて、3人の子供がいます。
旦那さんとは出産後も仕事を続ける上で1つだけ約束をしており、それが「子供たちのお弁当を必ず作ること」でした。

男性社員と同じように働いてきた中島伸子さんは毎日20時まで仕事をして22時頃に帰宅、土日には子連れ出勤をする日々でした。
そんな中で一度寝坊してしまい、子供のお弁当のおかずが野菜だけだったことがありました。
しかし子供達は文句を言うのではなく「約束したことにこだわらなくていい。生き生きと働いているお母さんが好き」と言ってくれたそうです。

■家族の支えに救われる

共働きだった中島伸子さん宅では、子供達がお手伝いの役割分担をしていました。
長男はお風呂の支度、長女は茶碗を並べる係、次男は玄関の靴をそろえるなど、手伝いをすることで家族で助け合う習慣が身についていきます。
子供達が成長するとお弁当作りを手伝ってくれるようになり、その日の予定を夫婦とも必ず白板に書いてから出かけるなど、家族の支えがあったからこそ仕事を続けることができたのかもしれません。

中島伸子さんは私生活より仕事を優先してきたため、家族だけでなく祖母や近所の人、会社の人の支えも大きかったようです。

中島伸子さんが社長を務める井村屋について

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井村屋は、あずきバーなどのアイスクリームや肉まん、赤飯やおしるこ等の小豆商品で有名な会社です。
1896年に菓子舗「井村屋」として誕生し、2017年には創業125周年を迎えた老舗企業で、井村屋グループは東証一部上場しています。

三重県に本社を構える井村屋は、日本のみならず中国に3社、アメリカに1社の海外拠点があり、グローバル企業として事業展開を進めています。

日本の老舗企業は同族経営が多いものの、現社長の中島伸子さんがアルバイト入社であるように、井村屋では実力者が役員に就いているという特徴があります。

■会社概要

中島伸子さんが社長を務める井村屋グループの会社概要は以下の通りです。

会社名:井村屋グループ株式会社
本社所在地:三重県津市高茶屋七丁目1番1号
代表取締役会長(CEO)(CMO):浅田剛夫
代表取締役社長(COO):中島伸子
創業:1896年
設立:1947年4月
資本金:25億7,653万円
グループ企業:井村屋株式会社/井村屋フーズ株式会社/イムラ株式会社/井村屋スタートアッププランニング株式会社/北京京日井村屋食品有限公司(JIF)/ 井村屋(北京)食品有限公司(IBF)/ 井村屋(北京)企業管理有限公司(ICM)/ IMURAYA USA, INC.

まとめ

今回は、井村屋社長の中島伸子さんについて紹介しました。
井村屋では中島伸子さんの取り組みによって女性管理職が増え、現在ではほぼ100%の女性社員が出産後も職場復帰を果たしているようです。

日本政府も「女性管理職30%以上」を掲げており、ベンチャー企業では多くの女性社長や役員が活躍しています。
しかし、昔ながらの老舗企業ではこういった取り組みに後れを取っているのも事実です。
創業100年を超える井村屋が実績を作ることで、それに続く企業も出てくるのではないかと期待しています。

また、中島伸子さんは2021年で69歳になりますが、これからも第一線で活躍し続けてほしいです。

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