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松下幸之助とはどんな人?経営の神様の評判/資産/偉業の凄さに迫る!

松下幸之助さんは、松下電器産業株式会社 (現在のパナソニック株式会社)の創業者で「経営の神様」としても知られています。

生前は経済活動だけでなく、PHP研究所や松下政経塾を立ち上げ、倫理教育や政治活動にも力を注ぎました。

日本を代表する偉大な経営者として名を残している松下幸之助さんについて、興味のある人も多いのではないでしょうか。
今回は、松下幸之助さんの経歴や実績、評判、資産、家族構成などを紹介していきます。

松下幸之助とは

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松下幸之助さんは、松下電気器具製作所から松下電器製作所、そして松下電器産業株式会社へと、一代で日本を代表する家電メーカーを築き上げた実業家です。
現在、松下電器産業株式会社は、パナソニック株式会社と名前を変え、大手グローバル企業として国際的に事業を展開しています。

1894年に和歌山県で生まれた松下幸之助さんは、94年の生涯を閉じるまで、実業家としてだけでなく、社会奉仕や人材育成にも情熱を注ぎました。
彼の経営手腕に影響を受けた人も少なくはなく、その中には稲盛和夫氏などの著名人も多くいます。

プロフィール

松下幸之助さんのプロフィールは以下の通りです。

本名:松下幸之助
読み:まつしたこうのすけ
生年月日:1894年11月27日
出身地:和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現在の和歌山市禰宜)
性別:男性
国籍:日本
学歴:尋常小学校中退
趣味:夢

松下幸之助の経歴

松下幸之助さんは1894年11月27日、和歌山県で小地主をしていた父のもと、誕生しました。

尋常小学校4年生のとき、大阪にある宮田火鉢店に丁稚奉公に出されます。
後に火鉢店から自転車店に奉公した松下幸之助さんは、16歳の時に大阪電灯(現在の関西電力)に就職しました。

それから7年後、23歳のときに、松下電気器具製作所を創業します。
松下電器具製作所は、1935年に松下電器産業と名前を変えています。

戦後の1946年には「Peace and Happiness through Prosperity=繁栄によって平和と幸福を」との想いを込めてPHP研究所を立ち上げ、出版業にも乗り出しました。
また、1979年には未来を担う人材を育てることを目的に、松下政経塾を立ち上げるなど、後世の育成に力を注ぎます。

1989年、松下幸之助さんは94歳でこの世を去りました。

松下幸之助の実績

松下幸之助さんは、数々の実績を残されました。

■代理店制度の誕生

砲弾型電池ランプはヒット商品となりましたが、全国的な認知度はまだまだでした。
松下幸之助さんは直接販売をやめて、各地に代理店を置くことを考案し、1923年には新聞に代理店募集の広告を打ちました。
その結果、奈良県や愛知県に代理店が誕生し、この代理店制度は好評を得ることに成功しました。

■海外事業への進出

自社の製品が、海外に輸出されるようになったことから、海外進出の必然性を感じた松下幸之助さんは、1959年にアメリカ松下電器株式会社を設立しました。
海外に会社を設立する前の輸出は、売上全体の約7.8%でしたが、会社を設立してから10%以上になりました。

■社会福祉基金の設立

1961年に社長を辞任した松下幸之助さんは、同年に私財2億円を使って、社会福祉基金を設立しました。
授業員に対して労うことを目的とし、育英資金など福祉事業に充てられています。

現代まで伝わる松下幸之助の偉業

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大阪府門真市には、松下幸之助さんの偉業を伝える、「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」があります。
この記念館は、松下電器歴史館が前身で、1933年に建てられた本社を改装した建物の中にあります。
この松下幸之助歴史館には、全国から毎年25,000人ほどの人が訪れるとのことです。
松下幸之助さんの生涯や歴代の広告、さらに生涯や業績がわかる、映像資料も見ることができます。

松下幸之助さんは中国との関係を深めており、北京市にある松下記念館では、松下幸之助さんと中国の関わりについて紹介されています。
記念館のほかにも、松下幸之助さんの偉業を称える記念碑が、縁の地に建てられているのです。
有名なものに、大阪市東成区の「松下幸之助起業の地の石碑」があります。

推定年収・資産

松下幸之助さんの資産や年収については、さまざまな情報があります。
また、経営には浮き沈みがあり、年代によって年収も異なります。
いくつかの資料を調べた結果、長者番付で毎年常連となっていた1950年代の資産は、5,000億円ほどあったそうです。
また、1989年に亡くなった時点での資産は、およそ3,000億円といわれています。
これらの数字は、推定の域を超えていませんが、ある程度の目安になるのではないでしょうか。

家族構成(嫁・子供)

松下幸之助さんには、むめのという妻がいました。
むめのは、松下幸之助さんが電球ソケットを販売した頃から支えてきました。
むめのとの間には子どもを2人授かりましたが、1人は小さい頃に亡くなったため、1人と言われている場合が多いようです。
松下幸之助さんには、「世田谷夫人」と呼ばれる第二夫人がいて、2人の間には4人の子どもがいます。

松下幸之助の評判

松下幸之助さんの評判を一言で表すなら、「経営の神様」ではないでしょうか。
一代で海外にも通じる会社に成長させた手腕は、実業家として見習う部分が多くあります。
また、「相手に与えることで自らも利益を得る」ということを、地で行く人でもありました。
松下幸之助さんがいまだに多くの人々に親しまれるのは、卓越した経営手腕を発揮したからだけではありません。
数多くの名言を残し、後世の育成に力を注いだ彼の活動は、ビジネスマンだけでなく、人間としての生き方に悩む一般の人にも受け入れられています。

まとめ

今回は、松下幸之助さんの生い立ちや偉業、評判などについてご紹介しました。
彼の人生を振り返ると、なぜ「経営の神様」と言われるのか、そして今日もなお、多くの人々を惹きつけるのかについて、理解を深めることができます。

彼の生き方から、経営者とはどうあるべきかを学べるのではないでしょうか。


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