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こんな人いますよね①

「こんな人、いますよね」ということで

思いつくままに気になってしょうがない人のことを書いみようと思う

シリーズ化しそうな予感がするので
タイトルに早々と①と書かせていただいた。


あらかじめ言っておくが、
これは愛情をもってディスらせていただきたいと思う。


全く持って勝手な言いぐさだとは思うが。ご勘弁。


➀堂々と言い間違えたり、勘違いしてる人

これに関しては私も例外ではない。

幼い頃、アルプス一万尺♪の歌詞で

「アルプス一万尺♪ 小やりの上でアルペンを踊りをさぁ踊りましょ♪」


小やり
子ヤギだと思ってた。

なんて、残酷な!

子ヤギの上で踊るなんて!

と思いつつも、リズムに合わせて歌いながら、友達と手遊びをしていた。



「ダイングメッセージ」を「ダイングメッセージ」とも思っていた。

キッチンで死んだ人が残すメッセージなのか。

恥ずかしながら堂々と言い間違えていた。



私の友人は以前あった「ジャパネット銀行」を
「ジャパネット銀行」だと思っていた。

あの、通販会社のジャパネットが銀行までやってるのか!
と真剣に思ってたらしい。

実現したら金利手数料無料か…



うちの義兄も間違えて覚えてる言葉を
堂々とデカい声で話すので気になってしょうがない。

今さら注意もできない。

「御用達」を「ごようた」と。正確には「ごようた」。


「一刀両断」を「いっとうりょうん」と。

もはや漢字まで変わってしまうじゃないか。


「俺ならそんなやつ、いっとうりょうざん、ばっさり言ってやるけどな」

てな具合だ。山でも切る気か!


確定申告の話題になって「青色申告」を「青空申告」とも言っていた。

なんて清々しい確定申告なんだ。


でも、こんなことを書いてると

私の日本語も指摘されるところがたくさんあるだろうからこの辺でやめておこう。




②話のオチを説明しなければいけない人


こんな人は本当に困る。
私みたいなふざけた人間は特に。

ただただ、ふざけて言ってる冗談の意味をわかってもらえず、
必死にそのオチの説明をしなければいけないことほど悲しいことはない。


うちの母がそうだ。
「今の話は結局何が言いたかったの?何が面白かったの?」
って顔でキョトンとしてる。

ふざけた話に深い意味などない。

だから頼む、オチの説明をさせないでくれ…母よ。



③鏡をしょっちゅう見る人

カフェで知り合いと話してると、
その人は私ではなく、私の後ろの鏡に映った自分ばかり見ている。


街中を歩いていても店のウィンドウに映し出された自分を見ている人がいる。


そんな自分大好きな人は話してても上の空で
映し出された自分の髪ばかり気にしてる。

まぁ美意識が高いと思えばいいのか。


それにしても、視線がチラチラ鏡に行ってこっちの話を聞いていないことを、
私が知らないとでも思っているのだろうか。



④指をなめる人

これは特に田舎の年寄りあるあるだが、

声を大にしてこれだけはやめて欲しい。

手がカサカサで乾燥して紙をめくれないのかもしれないが、

お札、新聞、用紙を配ったりめくったいする時などなど、指をなめて湿らせて触る。


75歳を超えた田舎の人の八割は指を舐めているように思う。

幸い、うちの母は残り二割の舐めない派だが、
嫁ぎ先の両親は二人とも舐める。


一番に新聞を読む義父は必ず丁寧に指を舐めて
一ページ一ページ丁寧に新聞をめくる。

だから私は新聞は家では読まない。
店に来てから見るようにしている。


お正月のこと。届いた年賀状

しまった! 義母が真っ先に受け取ってしまった。

呑気にニューイヤー駅伝にハマってる場合ではなかった。


たっぷり舌で指を湿らせ、年賀状を仕分けしていた。

何を隠そう、私宛のが一番多かった。

そして、仕分けされた端っこが湿った私宛の年賀状が「ハイ!」と手渡された。

正月早々、うううぅぅぅと声にならない何とも言えない気持ちだった。

そして、これはあくまでも私の勝手な統計だが、

指を舐める人は飴玉を口に喰わえると

チョッチョッチュパチュパとわざとのように音をだして舐める。


その音は露骨に耳を覆いたくなるほど苦手だ。



好き勝手に、気になってしょうがない人を書いてしまったが、

私自身も気をつけなければ、知らず知らずのうちに誰かを傷つけたり、

不愉快にさせてるかもしれない。


「かもしれない」じゃなくて、

「させてるよ」という声がどこからか聞こえた気がした。


ご勘弁。


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