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無駄な苦労はいらない

2022年5月からの目標。1個1個ゆっくりやる。
どういうことかと言いますと、私の動きをみていると2倍速らしいんです。自分では気づかなかったんですけど、1の動作をしようとしているときに2を始めているらしく、かといって、PCのキーボードうちながら人と話すことはできず、PCやってるときに話しかけられても聞こえてないため、返事しなかったり(新聞読んでるお父さんに話しかけても生返事と同じ状態)、運転してるときに、自分が話すのはいいけど、人の話をきいちゃうと、曲がる所通過しちゃったりということがあります。

二つのことを平行してはできないし、メール打つときは全部音源落とす(動画音声とか)し、周りがうるさいと電話で話せないし(よく友達とかと話してて向こうがうるさくても集中できない)ということがありまして。

そういうディスアドバンテージからか、車のドアを開けたと同時に荷物をだしたり置いたりしながら、ドアももう閉めて、ハンドル握っているという、料理も包丁できりながら、水道の蛇口をあけ洗い物をしながら、鍋に材料をいれて、と、1から2にいくときに、1が完了していないのに2の行動に移っているという、しかも動作が早い為、けっこうばちゃばちゃ散らかったりします。

結局それらの野菜くずや、事務文書がおっこっちゃったりという、無駄な作業の処理をしなくちゃいけないので、トータルで考えたら、合理的ではない部分もあったりするんですが、とりいそぎ!な作業に関しては早いので、仕事早い人と思われてしまいます(そのあとの残骸処理が大変)。

でもですね、最近思ったんです。ひとつひとつをゆっくりしてみようと。あまり、時間も変わらない。けっこう焦っちゃうために、1から2の動作を進めてしまっていたわけで。

その焦りが事故や怪我を呼んだりするので、一呼吸、あわてないあわてないを心がけてみようとおもいました。結構ちっちゃい火傷どか、きりきず、擦り傷が絶えない人だったもので・・・。

あわてないあわてない

いっきゅーさんの画像でも貼っておこうかな。

話変わって、日本は苦痛してなんぼっていう風潮が、私がこどものことはあったような気がしますが、これは間違っていると思います。無駄な苦痛はする必要はない!がんばっていれば、おのずとつらかったり、大変だったりすることはあるので、それ以外のよけいな苦痛をわざわざ受け取る必要はないと思うのです。

いや、苦痛を耐えてなんぼだ!!!なんていう、頭が石のような考え方を今も持っていて押し付ける人がいたりして、その影響を強く受けて洗脳されそうになって、現代ではそんなのおかしいから、心が折れちゃう若い人とか

自分を無駄に痛めつける必要はない!自分を大事に、自分を甘やかすこともときにはおっけーで、その上でがんばったらよいのです。必要なことにエネルギーを使うことで効率よく仕事も人生も進むのであって、妙な偏見や固定概念は捨てるべきです。

これが正しい、っておもってたことを、今一度洗いなおしてみるといいと思います。

私も、そのむかし「おそかったらぎゅーでもできる」つまり、ゆっくりやっても意味がない、っていうのを刷り込まれていたきらいがあったため、早くてなんぼっていうのを目指していたんでしょうね。無意識に。

そこで、ただ早いんじゃなくて、しっかりきっちり、確認しながらやって、深呼吸する。そうすれば、間違いも減るし、間違っても慌てずに修正できるよね、ってことが、よくわかりました(いまごろかよ、ですが)。

スピード出して追い抜いても信号で追いついちゃってますけど?っていうのと同じです。結局、無駄にスピード出して、ガソリンと排気ガスまき散らして(電動の人は該当しないかもだけど)、危険因子となるファクターを作る必要はないのです。

そう、私自身に言っていることで、おちついて、ひとつずつ丁寧に。

を心がけよっと、思ったのであります。長距離も早くつくんじゃなくて、休みながら、充電しながら進みましょ

と、自戒の念を込めての書き込みでした。

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