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あなたの鞄にはなにが入っていますか?


こんにちは、ryoです。

最近(1月中旬)、イギリスは日照時間も気持ち、長くなって、冬晴れのような日を楽しめることが増えてきました。

今思うと、日照時間に嘆いていた11月・12月とは様子が異なり、自然と気持ちが前を向いています。

さて、今回は日経新聞の記事で見つけたこの話題。

「鞄の重さが、ぼくの行き先を決めてしまうのです」

この引用は、「笑う月」安部公房(新潮社)からです。
元の日経新聞の記事はこちらhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD087I40Y3A201C2000000/


趣旨は、「自分が知らず知らずのうちに、背負っている鞄ってなんだろう」
「自由と不自由って?」といったことだと解釈しています。

この表現、とても心に刺さった、というか頭に残っていたので、文字に起こしておこうと思いNoteを開きました。

みなさんの鞄にはなにが入っていますか?

身近な例だと、私は鞄にPCを入れて持ち歩くのが癖になっています。
空き時間で勉強しよう、なにか作業をしよう。
つまり、時間を有効に使いたいという気持ちの表れです。

ただ、やっかいなことにこのPCは私の行き先を自然に決めてしまいます。
カフェか、図書館か、どこか作業できる場所へと。

物理的に鞄が重いということもありますが、それよりも。

空き時間を有効に使おうという意思が、空き時間を作り出しているのです。
本来は別のことに時間やエネルギーを使おうと思っていたのかもしれないに関わらず。

なんとなく、鞄に入れた物が自分の行き先を、方向を決めてしまう。

それはいいことかもしれないし、わるいことかもしれません。

ただ、私が思ったのは、その”なんとなく”って意外と自分の方向性を決めているのかもしれないということ。

時には、意図的に鞄の荷物を減らしてみると、違った道が見えてくるかもしれないですよね。

手放す勇気。
これも感情的には怖いけれど、どこかでは必要なんだろうなぁと。

ひとまず今日はここまで。

最後に、フォルケホイスコーレで会った、鞄に関する好きなことばを紹介しますね。

「私は鞄を自分自身だと感じている。私が何をいつも持ち歩いているかを表すから。鞄は新たなことを受入れるためでもあるが、既に私が持っているものでもある」

“I see the backpack as myself, as what I carry. It is a backpack that is ready for new things, but it’s also a backpack that already has things in it.”
(Ines, Mexico, Spring Term 2014)


それでは、また!

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