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「話したってどうにもならないこと」でも他人に話した方がいい

他人に話してもどうにもならない事を
自分の内に秘めたままの人は多い。

我慢強くならなきゃいけない、
周りに心配をかけたくない、
相手を困らせたくない、いろんな想いから、
話さない方が合理的だと、いつの間にか判断している。


誰だって、他人に話してもどうにもならない事は、ある。

自分の出身地や名前が好きになれない
過去にどうしてもやり直したい事がある
仕事の辛さ、体の痛み、心の叫び。

話してもどうにもならないこと

もしかしたら、過去に一度くらいは話したけど、
聞いた人も、何も助けたりアドバイスもできないから
会話がそこで終わってしまう。

「ああ、話しても無駄だったな」
と感じたのかもしれない。

そうだとしても、話したってどうにもならない事は、
内に秘めたままよりも、他人に話した方がいい。


内に秘めたままと、他人に話すことの違い

人と会話する目的は、
情報交換議論して課題を解決するに注目されがちだ。

どうしても、普通の会話では、
相談事にはアドバイスをしたくなるし、
自分の体験から解決のヒントを提案してしまう。

聞き手は、他人の役に立ちたい、と思う一方で、
話し手からすると、100%解決できるアドバイスは
なかなかもらえる事は少ない。

人と会話する別の価値は、
自分の考えて・感じていることを
自分自身が認め、他人に聞き入れられることで、
その感情を承認することにある。
ただの会話から、お互いに向き合う対話になる。


体の痛み、心の辛さがあった時、
他人はこの痛みや辛さを引き受けることも
解決することもできない。

そうだとしても、人に話さないことには、
「この痛みは自分で背負うしかないんだ」
「この辛さは黙って乗り越えるしかないんだ」
と、自分の痛い・辛い気持ちを押し殺して
その感情をなかったことにしてしまう。

自分は今、痛いんだ、辛いんだ、ということを
言葉にすることでその感情を自分自身が認める
そして、それを聞いた他人も
「あなたは今痛いんですね」「辛いんですね」と、
ただ、受け止めるだけでいい。
アドバイスはできないし、する必要もない。

心からの安心とは、
自分の感情が、感じたままでいいんだ、と思えること。
社会にとって、他人にとってメリットがあるないじゃなくて、
自分の感じたまま、生きていいいんだ、と感じられた時に、
自分の存在と生きることに、安心できるのだと思う。


誰かが誰かの話を聞いてあげる

どうしても、現代はコスパ・タイパと言われるように
効率重視の時代になっている。

会話の時間をとったなら、解決しないとコスパが悪い、
失敗したくないから、それを解決する最適解を
情報から見つけようとしてしまう。

令和の時代であっても、IT技術が進んだとしても、
安心感、自己承認の気持ちは、
まだまだ対話と心からのコミュニケーションからしか
得られないものが多い。


どんなにくだらないことでも、
どんなに話して意味があるかわからなくても、
自分の感情を認めること、他人に知ってもらって
承認されることで、救われる気持ちがあるから、
それぞれの信頼できる人に、
ぜひ話してみてください。

そして、相手の話も、解決しようとせず、
ただ、聞いてあげてください。



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