赤の他人だから話せること
前回、自分自身を好きになる話を書きました。
この中で、
と書いたのですが、
家族や親しい友達に聞いてもらうのでは
なぜダメなんだろう?とふと思いました。
ありがたいことに、私の両親はいつでも
応援して味方でいてくれる人です。
それでも、自分を好きになる過程では
それだけでは足りなかったんだと思います。
赤の他人からの客観的な意見
家族や親しい友達が、
自分を励ましてくれることはありました。
ただ、それはひいき目というか、
どうしても冷静に客観的にかけられた言葉なのか
疑ってしまっていました。
今思うと、身近な人からのその言葉自体には
揺るぎない愛情が含まれていたと思うけど、
自分は、100%客観視できる人からの
承認が欲しかったのだと思います。
自分の将来について思い悩んでいた時期に
赤の他人の方にフラットに聞いてもらう機会がありました。
私は「自分にはこんな欠点があるんだ」と熱弁し、
「だから自分の人生は難しいんだ、険しいんだ」と
証明したかったのかもしれません。
それでも、「しょうごさんは、そう思うんですね」と
ただ、受けてもらった瞬間に、
その思い悩みは自分の特徴の一つに過ぎなくて、
自分の視野が狭かったことに気付きました。
自分が欠点と思い込んでいるものは、
ただの特徴なんだということ。
身近な人には言いにくいこともある
職場での悩みは、状況のわかる同僚に話したいこともあれば
退職に関わったり、今後の人生含めてに広がると
社内の人には話にくい話もあるかと思います。
一緒に住んでる家族には、心配かけたくないとか
世代が違うことで相談しにくい話題もあります。
そして、身近な人だと心配のあまり
いろんなアドバイスをくれるかもしれません。
知識や技術的な情報は役に立つこともあるけど、
心が感じることについてのアドバイスは
本人にしか解決できないことがほとんどです。
聞き屋が、誰かのちょうど良い赤の他人として
フラットに客観的に話せる存在になれるよう、
これからも活動を続けていきたいと思います。
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