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「自分から挨拶できる人は仕事もできるよね」という話

先日、友人のライブに行った時、
メンバーの一人がいろんなお客さんに
挨拶している姿を見かけた。

もともと顔が広い人なのは知ってたけど、
一緒にライブを聴きに行った友人が、ふと
「挨拶できる人って仕事もできるもんだよね」
と漏らした。

確かにそのイメージはある。

ただその意味は、挨拶ができるなら仕事もできる
というような因果関係ではなくて、
仕事ができる状態の人は、挨拶もできるだろうという、
包括的な関係に感じた。

ということは、
仕事ができるようになりければ、
挨拶ができる状態になればいい、
のかもしれない。


私の挨拶ができなかった理由

私自身は愛想がそんなに良い子供では無かったので
挨拶をためらう理由はたくさんあった。

・相手に話しかけるタイミングが難しい
・自分のことを覚えてくれてるか自信がない
・久しぶりすぎて話す話題がない
・もともとそんな親しかった訳ではないし。。
・自分なんかが挨拶しても喜ばないかもしれない
・今一緒に来ている友達を待たせてまで挨拶は必要?
・特に話しかける理由がない(お客さんで参加している場合)
・間が悪いから、気づかないふりをして済ませたい

挨拶をためらう理由

いろんな理由を並べて、時間が過ぎるのを待って、
挨拶しなくていい状況になったらホッとしていたように思う。

変なタイミングで話かけてキョトン顔をされたり、
自分が恥ずかしい思いをするのが嫌で
相手と接触しない方を選んでた。

全部、自分を守ることばかり考えていた。

その頃の私は仕事もできなかった、と思う。


挨拶の価値とは?

「お久しぶりです!」という言葉に
何の価値があるんだろうか?

もちろん、自分がお誘いした場合は、
来ていただいたお礼を伝えればいいけど、
自分もお客さんで参加したイベントでは、
お礼を言うこともないし、話す必要性はない。

必要性や合理性で考えると、
挨拶なんてそもそも不要かもしれない。


例えそうだとしても、
挨拶は相手の承認であり
その人の存在を受け入れることだと思う。


相手のリアクションによって、
空回りしたような会話になるかもしれないけど、
いっときの自分の恥よりも、
相手を受け入れることを優先
することは
挨拶の言葉以上に、伝わるものがある。

「あなたの存在を覚えてますよ」
「そこで出会えたことを喜んでますよ」

そこまで考えていない人がほとんどだろうけど
挨拶ができる人は、その重要性を
体感か思考かで理解している人。
自分に安心しているからこそ、できるのだと思う。


仕事ができたければ挨拶から

”仕事ができる”能力はまた別かもしれないけど、
自分の空回りや恥よりも、相手を尊重したり、
本来やるべき目的のために行動できること、
そういう心持ちが、いい仕事につながるのだと感じる


という私も、まだ挨拶ができない人がいる。
相手の存在に気づいても、前述の葛藤の中、
声をかけそびれる人はいる。

いつでもどんな状態でも、
出会った人に挨拶ができるようになること
安心して自分から声をかけられるように。

40代になっても、
まだできるようになりたいことがたくさんある。

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