僕が福山和人さんを推す理由

京都という街は、類まれなる「ムラ社会」です。これはいい意味でも悪い意味でも。だけど、そのムラ社会というものの中で育まれた、伝統産業や町家に代表されるような建築物。実際、京都に観光に来る人はそういうものをみたくて来ている人が大半ではないでしょうか。

しかしながら、実際の京都の街はどうでしょうか。
仁和寺の前に巨大ホテルは建てようとするし、京都の地下に北陸新幹線を延伸しようとしているし、それでいて、市民サービスは続々と切り捨てていくそんなまち。京都に住む人たちの大半の交通は市バスか自転車なのに、自転車は気軽に止められない(たった5分止めただけですぐに撤去される)し、かといって駐輪場があるわけでもない。市バスや地下鉄の料金もどんどん値上がりする(実際には黒字計上されている)し、ゴミ箱やベンチはなさすぎるし、子育て世代の目線に立てば、保育園料や学童利用料の値上げ、中学校給食もない。そんな街で、子どもも育てたいと思えるでしょうか。

僕は、そんな「観光産業」一色の京都、言葉汚く言えば「外面ばかり気にする京都」を変えたいと思う。

そのためにはまず、京都の街に住む「普通の」人々の暮らしが安定し、子どもたちが安心して育つことのできる環境を作らないといけないと思う。

そこを蔑ろにして、観光産業なんて絶対に成り立たないと思うし、実際に市民の人々と観光客との間で軋轢も生まれている。
そもそもそんなギスギスした街で観光なんてしたいとは僕は思わない。

 僕は、京都の舞台芸術界隈の末席を汚している者として声を大にして言いたい。
対立候補の松井候補は演劇好きで、平田オリザ氏とも仲良くてきっと舞台芸術環境をよくしてくれるだろうと期待する演劇人がいると聞いた。
それはそれでいいんだけど、本当に彼が市長になって舞台芸術関係のことを環境をよくしてくれるとは到底思えない。

舞台芸術環境をよくするためにどうしたらいいのか。

大きなハコモノを作るだけでいいのか?(北山アリーナ問題&府立文芸廃止問題)

僕の答えはNoだ。

いくらハード面を誂えたって、肝心の観に来てくれる客がいなければいくら面白い演劇、演芸を作ったって、意味がない。
最初に言ったように、市民の生活があまりにも苦しい。苦しいとどうなるか、何を削ればいいのか。真っ先に削られるのは、娯楽費だ。
たまの休み、面白い人形劇がある、みたい演劇がある、子どもに見せたいものがあると思っても、そこに捻出する余裕がない。いくら演劇人側が、小学生無料、学生半額と言ったような対策を作ってもそもそも演劇を楽しむという根本が育っていない。(もちろんそもそもその演劇や舞台芸術自体がくそおもんないということもあるので一概に言えないが)
 また、客を育てるという点に立つと、僕ら世代ではほぼ当たり前だった学校公演の数はどんどん減らされていて、半強制的に舞台芸術に触れる機会というのもなくなっている。
(かつて、あの劇団☆新感線は学校公演をしていたらしい)
その一つの要因として、学校教育での教員不足やそれに伴う教員の負担増
が考えられる。そこに力を入れるくらいなら、もっと生徒を管理して「強い学校」にしたいという考えも働くのではないだろうか。

松井候補が演劇好きなのは、歓迎しよう。むしろどんどん演劇人を支援してくれ。
(でも実を言うと、松井候補は舞台芸術に関する公開質問状に明確に答えていないんだけど、それをどう思っているんですかね。松井さんを応援する演劇人の方は。福山和人さんは明確に質問状に答えています)
 だけどその前にまず、舞台芸術を楽しむ環境の根本を作り上げないといけないと僕は思う。
 今のまま、市民サービスを削り、市民が疲弊し、伝統産業は衰退し、賃金は上がらない、ということが続けば長い目で見て、京都の舞台芸術界なんて木っ端微塵に壊れてしまうのは目に見えている。

100年続けたいと言っている東九条の劇場E9THEATERなんて、50年も持たないかもしれない。

だから僕は、いち、舞台芸術界の人間として福山和人さんを応援しぜひ市長になってほしいと願う。そして、市長になったあかつきには、「演劇好き」を標榜している松井候補の意見も取り入れながら京都の舞台芸術を盛り上げていってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?