「コミュニケーションに技は不要」説



はじめに



先日、卒業した大学の学科のOB・OG/現役生/その学科を志望する高校生が
集まるイベントに参加してきました。

もう大学を卒業して14年…

毎年行われるこのイベントに、高確率で参加しておりますが、
今回はコロナ明けの5年ぶりの開催となりました。

さらに学科の父であり、今年度で退職されるH先生の最終講義を含む
プレミアムな回でした。
昔で言う所の「三倍ではなく標準録画する回
今でいうところの「神回」ってやつですね。

当日は
①    現役生の卒業論文発表
②    OB・OGがこの学科で学び役立った経験の還元
③    H先生の最終講義~学科創設秘話、これからの学科生への期待~
といったプログラムになっており

プログラムの最後になるにつれて参加者は増えていくような感じでした。

コミュニケーションと聞いて期待すること

僕の卒業した学科はコミュニケーションを学ぶ心理学科なのですが
入学当初は「効果的なコミュニケーション」を学べると思っていましたました。

それもそうです、大学というのは社会人になる前の訓練の場ですから。
ビジネスで役立つ、会社の利益に繋がる、自身の販売成績が上がる様な
コミュニケーション技法が学べるものだと思っていました。

しかし4年間通してそのような勉強、座学は少なかったように感じます。

実際の勉強は、H先生の最終講義にもあったように現場での実践です。
教育の現場、農業の現場、建築の現場、はたまた自分たちで企画したイベントの現場
で企画・実践・反省(・飲み会までが反省会)を通して
社会人になっても机上の空論ではなく「現場で生きる人材の育成」になるためのフィールドワークでした。
これを意図してこの学科を創設されたそうです。

それらを通してコミュニケーションを体験する、体感する、学ぶといったところでしょうか。
必死に動いていれば一人で出来ないことがほとんどで、
人の協力を得るために周りとコミュニケーションをとって
やりとできなきゃね。
だから色んな世代、キャラクタの人とコミュニケーションをとることに
慣れておこうね。
社会人になっても同僚も先輩もお客様も色んな人がいるわけだから!
みたいな感じです。

H先生の想いでは
「周りの人、日本の、世界の幸せを願い、最終的には宇宙の幸せに繋がる
人材育成の研修を4年間した」
と言ったイメージでしょうか。
その話を今回のイベントで最後に伺って、なるほどなと思わされました。

僕が入学当初に学べると思っていたコミュニケーションスキルというのは
この学科の父であるH先生の想いからすれば大変に小さい、
ドーム3階席で見る米粒ほどのアイドルのような小ささで、
小手先のような醜い話に感じます。

なぜコミュニケーションに技は不要と言いたいか

そんな僕がコミュニケーションの学科を卒業して、
雨の日も風の日も、雪で車のタイヤが埋まりながらも、
残業しても「仕事の組み立てが悪い」といわれ申請が通らないながらも
十何年社会で働いてきた中でコミュニケーションについて学び、
皆に伝えたいことが見つかりました。

それは

「こと、コミュニケーションにおいては技は不要」ということです。

技というのは平たく言うと「騙す」ということです。
サッカーのフェイント、相撲の猫だまし、お笑いのノリツッコミ、
鶏むね肉に片栗粉をまぶす、絶対にほどけない靴紐の結び方…
この世の中には色々な技や術に溢れていて、中には大変役立つものも多いです。

ただ、ことコミュニケーションにおいては技は
「肚を割らないための欺瞞・壁」に思います。
自分の思ったことを思ったように言える、伝えることができる
それこそがコミュニケーションにおいて最大の価値があるように思います。

笑いでごまかさないほうが良い、嘘をついて壁を作らないほうが良い、
涙で騙さないほうが良い、相手を傷つけないために我慢して自分を傷つけないほうが良い。
そんな風に思います。

ミスチルさんの歌でしょうか?
「きっと世界はあなたに会いたがっている…」という歌詞にふれ
全くその通りに思いました。
今世界は大げさではなく本来のあなたに会いたがっています。
通り一辺倒のマナー講習で学んだ小手先だけの、
形骸化しただけで熱い血の通わない行動ではなく
あなたのふと思う行動・言動・感情・発明を世界は待っている。

それで相手が喜怒哀楽の感情を示したら、相手はそこから学べるのです。
あなたもそこから学べるのです。
あなたが好き勝手して、実はその姿を見て背中を押された隣の人も好き勝手出来るのです。

…そう考えながらも実践は難しい

僕は今、障がい福祉の現場で働いていますが、結構好き勝手ふるまっていますw
分かりづらくても好きに冗談言っていますし、
カラオケでは年代問わず好きな曲を歌います、
自分の好きな分野の話ばかりすることもします。
それでも周りは受け入れてくれていると思います。

でも僕とは対極に、相手を楽しませるのが大事と思い自分を表現せず、
話を聞くばかり、相手に歌わせるばかり、いつも質問しかせず、
自分のパーソナルな話にはあまり踏み込ませない人もいます。
それが親切であり、相手が喜ぶと思って相手を立たせています。

もちろん、それはその人のやり方と思っています。
実際それで喜んでいる人もいるので構いません。
僕のやり方じゃないだけです。
あくまで僕は、コミュニケーションに技が必要無いと思うだけで押し付けません。
押し付けると戦争につながります。

でも自分がもし福祉サービスを受ける側と置き換えた時に
いつも周りの職員が僕に「昨日食べたもの」「好きなアイドル」「今の体調」「趣味」「休日の過ごし方」など聞いてくるけど、その質問してくる人のことは何も知らない。
聞いても「私の話はいいから、あなたの話を聞かせてよ」とはぐらかされてしまう。
何も知らない人から、いつも何か聞かれて引き出されている
…と感じると怖く感じましたw

専門科によっては「コミュニケーションは聞く力が大事(9割!)」
など謳う人もいるかもしれませんが
それを全世界の人がやったらコミュニケーションがなくなります。
耳でっかちの人が増え、最終的には人間の耳と口は無くなるでしょう。
そんな極端にはならないかw

お互いに損得勘定なく腹を割ることで
気持ちよくコミュニケーションができ
風がおき、木の葉が揺れ、摩擦で火が起きるのではないかと思います。

だから僕はことコミュニケーションに関してはお互い100%で接していたい
と理論的には思っています。

まだ実践中で全然完ぺきではないですけどね!
こんなことに気づかせてくださったH先生大変お疲れさまでございました!
全人類・全宇宙を幸せにするためにバトン、落とさず引き継ぎます!!


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