希望のにおいがする…裕次郎映画のなかの裕次郎②
石原裕次郎さん(1934年-87年)の映画について書く。
私がこれまで見た裕次郎映画は合計20本余りだろうか。
(多くはかなり以前にテレビ番組の「〇〇映画劇場」で鑑賞した作品である)
今回、この欄を書くにあたって、新たに「鷹と鷲」(1957年)「夜霧のブルース」(1963年)「夢来たり去る」(1967年)の3本を見た。ていねいに流れを追った。
(アマゾンのプライム会員になっているので手軽に…)
まあなんと申しますか…。
いま2022年、60歳代後半になっている、私の目からすると、
この3本は全体として〝しょうもない映画〟である。
(失礼)
話の筋が荒っぽ過ぎるし、各種の設定に荒唐無稽的な部分が多い。共演者は、例えば浅丘ルリ子でも芦川いずみでも、三国廉太郎でも、相手役・脇役ほどの重みはなくて、脇役と引き立て役の間ぐらいである。
◇
しかし、その分裕次郎自身は、その〝らしさ〟を、思う存分膨らませている。
映画の隅々まで、裕次郎が浸透して裕次郎を演じている。
不思議な見事さだ。
興行上の狙いも当然あっただろう。
◇
「日本人が最も愛した男 石原裕次郎」という言葉がある。
出演した映画は合計102本。昭和30年代の前半は、年に10本近い映画を撮り、多くが数億円の配給収入を得たという。すごいなあ。
今回その伝記・評論類を5冊読んだ=上の写真。
裕次郎映画のなかの裕次郎キャラの魅力を私なりに挙げると、次の7つだ。
①心のどこかにキズを持っている。
②人の気持ち(男も女も)をつかむ直観的なセンスあり。つまり気がきく男。
③情にもろいが、喧嘩に強い。弱い者の味方。
④筋を通すが、機転もきく。
⑤無鉄砲だが、結局運が良い。
⑥友は少なくないが、基本的に一匹狼。
⑦希望のにおいがする。
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〝しょうもない映画〟と、先に無礼なことを書いた。
しかし、たとえば私が、裕次郎さんとほぼ同じ年齢か、
少し下の世代だとする。
さらに、都会のニオイにあこがれる地方の町の実直な勤労青年だとする。
だとすると、裕次郎映画を封切りと同時に全部見て、
映画が終わると、ポケットに手を入れ、肩を揺らしながら主題歌を口笛で吹いて、街路をどこまでも歩いたかもしれない。
なぜか?
裕次郎さんには希望のニオイがするからだ。
(この項終了)