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厄払いにいったら時代の荒波に自分がバグっていると気づいた話

前々から2月生まれの自分はどうして1~3月生まれは早生まれていうか不思議だったんだけど。だって、歳を取るのは後の方だし、学年同じかどうかを考えるのもわざわざ西暦から1つひいて考える必要があるわけで。と、ここまではあまり関係ない話。

そう、それで孔子がいった不惑の年になったのですが、これは厄年的に考えると前厄なわけです。同級生のほとんどは、厄年なのに。

まぁ、じゃあ、自分の厄年は来年で、厄払いは本厄の年っしょ。と粋がっていましたが、ここ最近体調崩したりと、いろいろと人生の節目な気がしているわけで、これは一層、前厄の段階で一旦、払っておこうぜと思い立ったわけで、いざ鎌倉。

そんなこんなで小栗旬さんも「鎌倉殿の13人」の頃に毎日祈祷していたとかいないとかいう鶴岡八幡宮を目指したわけです。

混んでいたら嫌だなぁと、平日の15時過ぎぐらいの遅い時間にいざ鎌倉しましたが、平日の鎌倉はコロナを忘れるほどの賑やかさで、小町通りと言われる出店が並ぶ道も観光客でいっぱい。よく見ると海外の観光客もいれば、制服姿の修学旅行生もちらりほらり。

もはや戦後ではない。

そんなこんなで鶴岡八幡宮で到着。

祈祷の受付はあちらかとそそくさと社務所へ。ほうほう、まずはこの記入用紙に書くのだなといつも面倒だと思う住所のフリガナも神様の前なので落ち着きながら書き終えて、いざ受付。

受付のおじさんに、初穂料お納めくださいと言われて、はいはい、と小気味よく話しているときに、
「あ、お祓いの声って録音してもいいですか?」と何も考えずに私。
「なんか、ご利益ありそうで」と何も考えずに私。

そしたら受付のおじさん、どうにもこうにも「苦」が多めの苦笑の顔をしながら、「うーん・・・・・・」と。

あ、この時、0コンマ何秒かの間に走馬灯のように、昔、なんかのテレビ番組で、いつでも思い出せるようにと中高生がお葬式の棺の故人を写メで撮っているというのを見たことがあって、「その発想、もったことないな」って思った自分を思い出し。「そんな時代なんだ、やばいな」って思ったのを思い出し。

いやいや、
俺もバグってんじゃん。と。

在宅勤務、オンライン会議、アーカイブ時代に完全に飲まれてんじゃん、って。

親切な受付のおじさんは、「撮影はダメですが・・、うーん・・・」となんとか寄り添おうと。
「いや、大丈夫です。録らないです、やっぱり」と。「変な質問してすみません」と。てか、不惑のおっさんが血迷ってすみません、と心でつぶやき、いざ待合室。

って、共生してるしー。
難っ!解釈のライン引き、ムズっ!  

まぁまぁ、そんなこんなで、ざわざわしつつも、本殿でのありがたい御祈祷も終えて、そういえば、お参りした後にご神託としておみくじひくといいって聞いたなぁと、いざ、おみくじ。

凶。

「願望 二つを同時に願ってはならぬ」。

録音しておけば、御祈祷の後にでも聴きなおせるなー、と思っていた小童へ、今を生きろと。

WEBで、データで、便利な時代だからって、
なおざりに生きるなと。

てか、時代の、環境のせいにするなと。

はい、かみさま。

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