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転がるヘヤピン、君に朝が降る

こんな夢を見た。
その夢の中で私は京大文学部志望浪人生だった。私はただひたすらに暗闇の中を歩いていた。道程(京大文学部志望浪人生は童貞であるが、ここでは意味通り道程とする)は懐かしいものであった。顔の横を流れる景色は闇に紛れてもなお私を感傷的な気持ちにさせ、足先を岩が転がった。
感傷──何故だろうか、以前ここを訪れたことが?どこか思い出深い場所へ向かっているのか?──稚拙な推測が脳内を蛇のように駆け巡る間も、決して私の足は止まることは無かった。
長いながい暗夜行路であったが中腹(これは恐らく、なのであるが)にたどり着いた時ふと、ここが子宮では無いか、という考えが過ぎった。

子宮、確かに我々が一度は通ったことのある道。けれど誰しもがその記憶を遠くの彼方へと置き去ったままである道。
なるほど、ここが子宮であったなら至極納得がいく。京大文学部志望浪人生こと私はそう考えた。
もし、今足をつけている場所が子宮内であるなら、出口はひとつしかない、厳しい受験戦争を経た二浪がそんな結論にたどり着くまでに時間はそうかからなかった。
つまるところはそうそれは「まんこ」だ。
私は「まんこ」へと向かうべきなのだ。
「まんこ」、「まんこ」、なんと快活な響きだろう。私は口内で反響する女性器の名称をこぼさないように先を急いだ。

出口と同時に判明したことがもう1つ。周囲は全くもって暗闇などではなかったということ。長い前髪が私の視野を塞いでいただけだったのだ。そこで何故か周囲に生えていたヘアピンの助けを受けることで私が全快の視野を確保すると、単純明快な道筋が眼前にはあった。
一本の長い長い道。その周囲をヘアピンが群生していた。あまりに壮観な景色を前にして私は「ぼっちちゃんてブラジャーつけてるのかな。普段自分は陰キャだとか社不だとか言っておいて、形が崩れるとか男の視線とか気にして、健常者の女らしくブラジャーをつけているのかな」などと俗っぽい事柄に考えをめぐらせていた。

我に返ると不思議なもので早くこの場を逃れなければならない、そんな危機感が私を襲い始めた。歩く。歩く。足の裏にはEちゃんのまんこの感触がのこる。歩く。歩く。歩き続ける内にもう、心は焦燥に溶けていた。何も知らないものが見たら私は何か恐ろしい化け物に追われてるような様であっただろう。
歩き続けるしか私に残された道はない。
共通テスト後の一週間。単調な作業の中でそれに似た速さで時間はすぎた。

もうかなり外界が近い、そんな直感を私にもたらしたのは二月の風が優しく頬を撫でたから。恐らく「まんこ」の「ま」の字の部分にはもう到達しているであろう。天啓めいた考察が脳裏をよぎる。
気づけば遠くで木琴の音が鳴っていた。何だか5時のチャイムを思い出すような、そんな懐かしい響きだった。不思議なことに木琴は歩けば歩くほどその音量を上げた。
木琴。足音。さらに大きくなる木琴。足音。
自分一人しかいない世界。さらにさらに大きくなる木琴。歩き続けた疲労と募った孤独で私の心はもう既に限界だった。ぼっちざまんこに耐えられなくなった私が、我を失って走り出した時、現実がその輪郭をなぞる感覚があった。それはちょうど寝汗で張り付いたTシャツが浮き彫りになるように。
もう考えるまでもなかった。今までの歩みは全て怪奇な夢で、それでいて目を開けたらいつもと何ら変わりのない天井が待っている、それは火を見るより明らかだった。

けたたましく朝を告げるアラームを止めて一呼吸。生唾を飲み込んで乾ききった喉に潤いをもたらす。
思い返すと馬鹿らしくなるような夢だった。けれど、どうだろう。あの場を楽しんでいた自分もいた、それは確かに事実であった。最短距離だけでは人生を楽しむことにはならないのでは無いか、そんなことを実感させるような幻影がそこにはあった。
もそもそと布団から這い出してスマホを手に取る。京都は4月になってもまだ、朝は寒くて慣れない。
Twitterを開くとタイムラインには見慣れたアイコンが並ぶ。妙な安堵とともに、「元京大文学部志望浪人生」と書かれた自分のプロフィールを一瞥する。ちょうどいい名前が思いつかなかったな、などとこぼして瞳を閉じると私はまた浅い眠りに落ちた。
部屋にはまだ、ヘヤピンが落ちたままだった。