見出し画像

斎藤一の膳について

引き続き、話を小説の食事シーンに留めようと思う。
食事シーンがいいのは、やはり浅田次郎だ。

思いつくままに書き連ねてみると、

短編「冬鰻」のヱビスビールと鰻重
中原の虹で張作霖が食べている白酒と羊肉
プリズンホテルの雑炊
憑神の蕎麦
流人道中記のどんぶりの盛り切りに納豆汁。沢庵に梅干。目刺しが三匹。

お腹が減ってきた。

秀逸なのは、一刀斎夢録の斎藤一の膳だ。

時代は大正、乃木将軍が明治天皇に殉職した頃の話。
近衛兵の梶原中尉は剣術の達人であるのだが、どうしても警視庁の榊警部に試合で勝てない。

そんな折、明治天皇が崩御し、時代は大正に変わる。
一切の儀式を終えた後、近衛兵には8日間の特別休暇が与えられ、梶原は警視庁道場で剣術稽古を終えた後、榊を一献誘う。

そこで榊からある爺様の話を聞く。
旧会津藩士であり、西郷征伐にも従軍した警視庁の先輩。

梶原は多摩の出身で、剣は天然理心流。
その後、梶原が伏見の酒を持って、爺様の家を訪ねると爺様はこう言うのだ。

かつての名は新選組副長助勤、斎藤一である。あまたの変名のうち、いずれに愛着するかと自問すれば、やはり近藤や土方に親しく呼ばれた、その名であろうよ。

これではたまらない。
大体からして、斎藤一は実は熱い男なのだ。
僕はもちろん、新選組が好きだ。
しかし、よくよく突き詰めると斎藤一が好きなのだ。

近藤は局長になった後の振る舞いが鼻につく。
土方は男前すぎるし、立ち回りが役者のようで、今一つ共感できない。

一方、斎藤一には分別がある。
会津で負けた後、堪え難きを堪え(でも涼しい顔をしている)、警視庁に入り、西南戦争で官軍として旧薩摩藩士に戦いを挑む。
もちろん、この小説のストーリーはそんな単純なものではないが。

8日間の特別休暇、梶原は斉藤宅に毎晩通い、酒を飲みながら懐古譚を聞くのである。

前半は話の進みもゆっくりしているので、導入の状況が丁寧に描写されている。

初日の酒は梶原が持参した伏見の下り酒。
箱膳には二合徳利と大ぶりな盃、そしてわずかな香の物。

二日目の肴は冬の鍋。
底に昆布を敷き、割り大根と豆腐を煮ただけの具に塩を振る。

三日目は鮒鮨

四日目は秋刀魚の塩焼。醤油は使わずに酢橘を使う。

話が佳境に入ってくる後半、膳の紹介はなくなってくるが、それは特段気にならない。話は抜き差しならない内容になってくるから。

斎藤は梶原にこう言う。
風流を知らぬ剣は相手に読み切られてしまう。
いかに腕が立とうと、欺計なき剣は敗れる。

斎藤は洒落者で風流で見栄っ張りで、矜持があり、道理をわきまえている。
本人の思いは別のところにあると思うが、維新を生き延び、薩摩の田舎侍に西南戦争で一矢報いてくれただけでも、僕は感涙なのだ。
死んでいった近藤と土方に、ほら見ろと。
本当の侍の生き方は、こうでないのか、と言ってやりたくなる。

浅田次郎の時代小説は、他の小説とは一線を画していると思う。
時代小説によくあるような、事実ベースで、大きな事件をメインに淡々とストーリーが進むことはまずない。
歴史上の重大な事件よりも、登場人物にとって重要な出来事を丁寧に描写する。

一刀斎夢録に池田屋事件はない。
中原の虹に、義和団事件も辛亥革命も詳しい描写はない。

浅田次郎の時代小説を一度読んでしまうと、他の時代小説が読めなくなってしまうことは確かだ。希代の小説家だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?