“不屈の武士”坂口の歌を忘れたくない
「不屈の魂で――」
その歌い出しはあまりに強烈だった。
そして、今もなお色褪せない。
2022年10月3日。
神宮球場にて行われた、東京ヤクルトスワローズ対横浜DeNAベイスターズ第25回戦。このシーズン最終戦を節目として、三人の名選手が球界を去った。
各々が球史に名を残す選手だったことに違いはないが、私にとって一番記憶に残る存在こそが坂口智隆である。
「応援歌」と出会ったあの日
2019年のある暑い初夏の日、野球についてほとんど何も知らない、右も左もわからない状態で予約した甲子園のビジター応援席。
初めて生で見た打席には坂口が立っていた。すなわち、初めて生で耳にした応援歌も彼のものである。
「なんだかわからないけれど、とにかくかっこいい」
それがテレビ越しではない野球の、そして坂口個人の応援歌に触れたときの直感的な感想だった。
当時はYouTubeに動画があることも知らず、行き当たりばったりの球場で、鳴り物と周りの歌唱で曲全体を把握していく。
それでも、坂口が1番打者で打順が回りやすかったこともあり、たった二日の観戦ですら曲がかなり記憶に残って、帰路でははっきりしたメロディとおぼろげな歌詞がずっと頭の中で巡っていた。
その歌詞にどれだけの願いや祈りが込められているかは当時の自分が知り及ぶところではなかった。
だが彼が引退した今だからこそ、その言葉の重みはとてつもなかったと理解できる。同時になんとなく、初めて聞いて、そして歌えるようになった応援歌が彼のもので良かったと心の底から思う。
以降その応援歌はもちろん、選手としての坂口や彼の人柄に惹かれた私は、いつの間にかヤクルトの中でも特に坂口を応援するようになっていた。
新しい知人に好きな選手を聞かれ「坂口や青木!」と元気よく答えると、「歳のわりに渋いね」と微笑まれることが何度あっただろうか。
愛された応援歌たち
そんな彼はオリックスやヤクルトを経由したこともあって、とにかく応援歌に恵まれたといちファンながら勝手に思っている。
キャリアを始めた近鉄の汎用テーマは明るく、文字通りドラフト1位こと「近鉄の星」を想起させるものだった。
オリックスで作られた初めての専用応援歌は1番打者らしく、臆せず相手へ切り込んでいく「武士」らしい勇ましさが脳裏に情景として浮かんだ。
そして最後のヤクルトでは「不屈の魂」という表現で、何度苦境に立たされようが、それでも這い上がってくる彼の執念を年が経てば経つほどに感じた。
歌詞もメロディも素晴らしい応援歌は当然歌っていても楽しかったが、残念なことに、ユニホームを脱ぐ彼をその応援歌で送り出すことは叶わなかった。
厳密には歌詞を声にして届けられなかったのだ。
沈黙で見送るレジェンドと歌
2020年から2022年までの間、球場は沈黙を強いられていた――言わずもがな、COVID-19の影響である。
手拍子や太鼓は鳴らせ、ホームであれば録音の応援歌を流せたが、どこであろうと声を出すことは許されなかった。
もちろん、安全面を考えた結果なので文句はない。
だが惜しむ気持ちは別に存在しうるものなので、彼自身を見送る寂しさと共に「応援歌すら最後に歌って見送ることもできないのか」と切なさも尽きなかった。
幸か不幸かシーズン最終戦は自宅で見ていたので、あの晩は思う存分応援歌を口ずさんだ。
「不屈の魂で――」「新たな場所で――」「勝負に懸ける――」
切ない気持ちは無論、坂口に対してだけではない。嶋も、内川も。最終的にヤクルトに辿り着いた彼らを、歌で送り出すことは終ぞ叶わなかった。
もっと言えば彼らの応援歌は一度も声に出せなかったので、その観点だと坂口は恵まれているのかもしれない。
だが長年親しんできたからこそ、最後に歌えなかった悔しさも比例して強かったのだとも思う。
歴史と愛着は記憶の中に
私が坂口という選手、彼の応援歌、更に外野席の応援という文化に触れて早四年が経つ。その間も新たな応援歌が作られ、そして過去のものへとなっている。
畠山や雄平といった歴史や応援歌が眠りにつき、今年は長岡と内山に未来と応援歌が託された。
ヤクルトファンではなくとも覚えている曲がある。
ヤクルトファンでも満足に歌えていない曲もある。
きっと各々愛着の強い曲が心に刻まれているだろうし、ヤクルトファンでなくてもそういった存在に心当たりはあるはずだ。
たまたま、私にとってそれが坂口の応援歌だった。
やはりあの初夏の打席は忘れられないし忘れたくもない。
当時チームは大型連敗の折り返しというどん底だったが、それでも輪郭の無い歌詞もどきを叫ぶのは楽しかったし、その中でも確実に聞き取れた「不屈の魂」という言葉を一生忘れないだろう。
もう二度と打席に立つ彼へ歌を届けることは叶わないが、せめて、いずれ中断中にファン一同で歌うことができればと祈っている。
やはり外野席でファンが一丸となって歌い、失ったあの頃を取り戻したい――そんな願いがあるのだ。
その日まで、いいやその日以降もずっと、私は坂口智隆の応援歌をふとした折に口ずさむだろう。
不屈の魂は今もなお、この耳と喉で炎えている。
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