日本の過ちから中国包囲網を見る

■主要メディアが報道しない
 欧米は中国との対立を続けているが、主要メディアの多くが報道しない。ウイグル人への強制労働などは、各国の指導者が発言したら、ようやく報道される程度。さらにフランス検察がウイグル人への強制労働に関与する企業を捜査したら、隠しきれないので報道する。法律関係で騒ぎになれば、企業活動が困難だから隠せない。

欧州各国大使が中国側と激しい応酬 外交関係などめぐり 北京の国際フォーラムで(大紀元)
https://www.epochtimes.jp/p/2021/07/75698.html

 だが大使レベルでの対立になると、報道は無いに等しい。実際は欧米と中国の対立は深刻化しており、公式な発言だけでは実際の危機を知ることが難しくなっている。

■関係改善が見られない現実
 欧米と中国の大使レベルでの応酬になると、関係改善の方向へ向かっていないことは明らか。大使は政府方針を使うだけだから、悪く言えば政府の使い走り。個人の裁量で実行できることが限られているから、大使同士の応酬は隠すことができない現実を雄弁に示す。

 3,000年の世界戦争史を見ると、国家の代理や大使の対立は戦争の予兆。米ソ冷戦時でも、双方の大使の応酬で、次に発生する悪化と融和を示している。欧米は中国に譲歩を求め、中国は譲歩しない。

 戦前の日本は明治から近代化したが、急速な近代化を選んだことで、国際社会のマナーを学ばなかった。集団的自衛権の意味すら知らず、日本独自の理解で国際社会に対応した。これで日本が意図的に白人世界を怒らせたのではなく、気付いたら白人世界を怒らせていた。

 その結果としてアメリカを中心としたABCD包囲網が形成され、ハル・ノートとして日本に最後通牒が突き付けられた。戦前の日本は国際社会のマナーを理解せず、白人世界との関係改善を選べなかった。だが今の中国は、意図的な覇権拡大が欧米を敵に回している。

妥協案 :相手国に餌を与えて自国が譲歩する(受動的・等価交換)
最後通牒:相手国が譲歩するならば自国が餌を与える(能動的・押し売り)

典型例:ハル・ノート
「餌を与えての譲歩の要求は妥協案であるが、譲歩すれば餌を与えるという条件は最後通牒である」

 戦前の日本は無理解から怒らせたが、今の中国は意図的な覇権拡大で怒らせた。この違いは有るが、欧米の妥協案と最後通牒の使い方は変わっていない。だから戦前の日本の経験は、今後の中国への対応をしる手掛かりになる。

■知っておくべき国際社会のマナー
 国際社会のマナーを簡単に説明すると、日露戦争での中立国の仲裁が挙げられる。戦争で仲裁する国が出るが、世界平和は建前。本音は仲裁国が当事国から利益を得ることが目的。当時のアメリカは急成長の新興国。そんなアメリカは、当時最強国のロシア帝国を仮想敵国にしていた。

 仮想敵国と日本が戦争開始し、予想外の奮戦。そこでアメリカは、日本を交渉で有利にして利益を得ようと画策。アメリカは日露の仲裁国になり、最初から日本有利の仲裁を進めたのはシベリア利権が目的。

 アメリカの仲裁で日本は、日露戦争の勝利国に認定されたのは歴史の事実。その後のアメリカは、民間人であるハリマンを使い日本政府にハリマン構想を伝えた。これはアメリカが求めたシベリア利権を、日米で共同運営することが目的。

 国際社会では直接的なアプローチは嫌われるので、間接的なアプローチを使うのが基本。だからアメリカは、民間人であるハリマンを使った。間接的なら問題視されないのが国際社会の現実。だが戦前の日本は知らなかった。仲裁国に手数料を支払うことを。

 アメリカとしては、日本が獲得した満州から共同運営で利益を得ようとした。アメリカ独占ではなく日米の共同運営。仮想敵国であるロシア帝国から利益を奪うのだから、日米共同運営は理想的。アメリカは日本から手数料を得られると思いこんでいたが、国際社会のマナーを知らない政治家により頓挫。これでアメリカを怒らせる遠因になる。

 中国で蒋介石率いる軍隊が、1926年に北伐を開始。1927年になると、南京で生活する外国人が襲撃される血生臭い外交事件が発生する。後世では第三次南京事件と呼ばれるが、当時のアメリカとイギリスが軍事力で外交を行うことを主張。

 だが当時の日本は単独行動を採用。これは悪意ではなく無知が原因で単独救出を選んだと思われる。更に悪いことに、当時の日本は中国に対して宥和外交で対応した。これは穏便に対応すれば、中国は日本人に対して手を出さないとの願望から出た発想と推測できる。しかし現実の国際社会は軍事を背景とした外交だから、日本の宥和外交は弱腰と認識された。

 国際社会の現実は、強国が軍隊の派遣を求めたら、派遣するのがマナー。これは強国主導の軍事行動に参加することで、自国は火事場泥棒ではないことを示す。国際社会では軍隊を派遣して血と汗を流すから信用が得られる。これは利己的ではなく利他的な国であることを宣伝もしくは証明することが目的になっている。同時に、集団的自衛権の意味でもある。

 だが当時の日本はマナーを知らず、単独行動で火事場泥棒と認識された。しかも弱腰外交により、中国各地で日本人が襲われる事件が多発した。この時の日本側の中心人物が幣原喜重郎だった。「寛容と忍耐の幣原外交」は弱腰外交だから、中国に住む日本人の生命財産を保護できなかった。

だが第三次南京事件の日本の外交と後の軍事行動から、アメリカは日本を敵視するようになったと推測できる。その根拠は、アメリカ視点の軍事史百科辞典では、「日米戦争の開始は1937年の盧溝橋事件」としているからだ。

 ライシャワー元駐日大使のライシャワー氏は、「ライシャワーの日本史」において1937年の第二次上海事件を日米戦争の開始として認識。つまり、日米戦争の遠因を作ったのが幣原喜重郎ならば、敗戦憲法を率先して受け入れたのも幣原喜重郎。

 当時の日本は意図的に欧米に喧嘩を売っていない。だが、国際社会のマナー無視を続けたのは事実。戦後日本では日本からの戦争開始と認識されているが、間接的な戦争は1937年からアメリカが開始していた。

■最後通牒を選んだ欧米
 国際社会の戦争は、軍隊同士の直接的な戦争だけではない。日本と対立する蒋介石に物資を供給して戦わせることは、間接的な戦争になる。国際社会の現実は、第三国を使い仮想敵国と戦わせる間接的な戦争が多用される。

 間接的な戦争は多様で、テロ・ゲリラ・宣伝戦・経済封鎖など。戦前のABCD包囲網が間接的な戦争だから、今の中国に対する包囲網も間接的な戦争。さらに中国が行うウイグル人への強制労働で叩くのも、間接的な戦争になる。つまり戦前の盧溝橋の様に、欧米は中国に対して間接的な戦争を実行中。

 国際社会では、軍隊を用いた開戦は今の平和を否定する行為。だから戦前の日本は、悪の国にされた。今では中国に対して包囲網を実行し、中国から開戦する様に仕向けている。しかも外交の場で中国に譲歩を求めることは、間接的な最後通牒に該当。欧米は意図的に行っているから、中国から開戦するまで続けることになる。だから戦争は回避できない状態なのだ。

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