たのしい儀式(某文学短編賞応募)

たのしい儀式

 砂色の日干し煉瓦でできた簡素な家屋と、砂埃に覆われて砂色になった貧相な木々と、砂を踏み固めただけの道。長旅の末にたどり着いたのは、まるで砂から勝手に生えて出来たような、地面と同じ色をした集落だった。入り口の両脇には石を積んだ低い垣が組まれていてその影になっている部分にだけなけなし・・・・の雑草が生えている。
 何もかも伝説通りだ。石垣の手前にはバオバブに似たのっぺりと白い幹の高木が一本聳え立っており、砂漠に近い平面風景の中ではそれだけが遠くからでもよく見えていた。今ようやくその木の元に立って、俺は感慨深く辺りを見回した。大気ごと白茶けて見えるほどの強い日射しを透かして空の向こうに目をやれば、彼方の山々が地平からわずかに迫り上がっている。
 「鳥」はどの辺りから飛んでくるのだろう。何とはなしに身震いを感じて目を逸らした拍子に、傍らの木の幹に彫りこまれた「鳥」の図像が視界に入った。絵というよりは記号のように単純化された線のカーブや交錯が、翼を大きく広げた人喰い巨鳥を象っている。確かに「鳥」こそが、地図にも載らないこの干乾びた集落を特徴づける唯一にして強烈なモチーフであるのは間違いない、エントランスのモニュメントを刻むにあたってこれ以上にふさわしいものはないだろう。俺はふらりと木の傍を離れ、低い蟻塚のような家々がまばらに集まって建っている方へ向かって歩き出した。

 この地の噂を聞いたのは、借金でいよいよ首が回らなくなった頃だった。地道な勤めが性に合わず一攫千金を夢見て様々な商売だの詐欺まがいのネズミ講だのに手を出しては失敗を繰り返しているうち、追ってくる取り立て屋の中でも特にタチの悪い奴らに捕まってあわや内臓を引きずり出されかけ、いったんは命からがら逃げ出したものの黴臭いトランクルームに身を隠して幾日も怯えて過ごしているうちにヤケになった。どうせ奴らは諦めない。遅かれ早かれいずれは必ずやって来て俺は捕まり、汚い仕事の片棒を担がされたり危い仕事の鉄砲玉にされたりした挙句に臓物を盗られて売られて野垂れ死ぬのだ。そうはさせるか、一銭だってあいつらに儲けさせずに先手を打って死んでやる。どこのビルから飛び降りようかな、なるべく高いのがいいな、地上までの距離が長けりゃ落ちてるうちに気絶してそのままあの世へオサラバできると小耳に挟んだことがある。まずは情報を集めよう。
 身ぐるみ剥がされていた俺はその時点でモバイル機器のひとつも持っていなかったが、セキュリティの緩そうな家にチャチャッと不法侵入してちょっとしたテクニックでネットに入り(思えばこういう方面でヘンに小器用だったことも身を持ち崩す要因のひとつだったのかもしれない)、適当な物件をあたってみようと検索画面をスクロールしていた時、下方にいかがわしげな〝情報サイト〟の見出し広告としてその〝噂〟の記事のリード文と『人喰い大怪鳥』のイラストが出てきたのだ。曰く、
─── 秘境の謎、戦慄の「鳥葬」は実在するのか ───
劇画タッチで描かれたその怪鳥の〝想像図〟の出来が良かったので「スッゲー、怖ぇ、何これ」と思った俺は何の気なしにそのリンクを開いてみた。
 (─── なるほど。つまり南米の辺りのどっかに人喰い大怪鳥の飛んでくる村があって、その村じゃあ訪ねて来たよそ者を磔にして怪鳥への供物にする、と。生贄は生きながらにして臓物(はらわた)を啄まれることになるのだが、古来からその村に伝わる秘術により一切の苦痛を覚えることなく恍惚と悦楽のうちに死に至る、か)
簡略なその記事を読み終えた俺はフンと鼻を鳴らし、立ち上がって不法侵入した家を出て、その足で件の〝秘境〟について調べ始めた。ビルから飛ぶより夢があっていいじゃないか、と思ったからだ。一切の苦痛を覚えることなく恍惚と悦楽のうちにあの世行き、というのも好ましい。
 どういう巡り合わせが働いたものか、雲を掴むような与太話にしては妙に具体的な情報が、思いのほか早々に複数の筋から得られた。更にはそれが相互に繋がり、いやに信憑性のあり気なその「集落」の所在地が概ね割り出せた時点で最低限の金を工面して(後先の事を一切考えなければ一時の金なら案外どうにかなるものだ)俺は南方へと飛んだのだった。
 とはいえそこから先はまあ相応の苦労もあった。言葉も電波も通じない地域での〝約束の場所〟探し。正直、あの腕の立つガイドに出会っていなかったらここに辿り着けたかどうか分からない。
 街道沿いのドライブインで仲介人から紹介されたその案内人(ガイド)は、ずんぐりと背の低い、浅黒い肌にむさ苦しい髭を生やした現地の男だった。一見して特段頼りがいのある風には見えなかったものの、「通訳兼」ということで、賃金の大半は後払いだと説明し、微々たる前金を払って「雇う」と言ったら頷いた。人喰い怪鳥についてもその集落についても彼自身はまるきり何も知らない様子だったが、行く先々で首尾よく情報を仕入れては道案内を続けてくれて、車を借りる算段もその乗り捨て時の見極めも、市街地をぬけてからの食料調達、吹っ掛けられた宿代の値切り交渉、野宿せざるを得なかった夜の防寒等々、何から何まで抜かりがなかった。余計な喋りはしなかったが、交渉事をする時の捲くしたてかたには気迫があって負け知らずだったし、荒くれ者らに囲まれて金品を奪われそうになった折には大立ち回りで相手を伸した。実に使える男だった。旅路の終盤、目印として目当てにしていた例の高木が砂丘の向こうに見えた時点で俺は彼の飲料水に睡眠剤を仕込んで眠らせ、炎天下に置き去りにしてきたのでその後の生死は定かではないが。まったく、胡散臭い後払い仕事なんざ引き受けるものじゃない。奴さんも生きてりゃそんな教訓を得ている筈だ。

 集落の中ほどにまで進んだ辺りで、さてどうしたものかと立ち止まって見回す。
 ここまでは砂岩と土で拵えた家々が蹲るようにぽつぽつと建っていただけで目ぼしい生活施設のようなものは何もなかったし、さりとて道の行く手に目をやっても似たようなものだ。更にその先には、来た方角にあったものと同じ低い石垣が見えている。おそらくあそこが集落の出口なのだろう。ということはここにあるひとつきりの井戸と幾らか間の広い周辺スペース、つまり今俺が立っているこの辺りが、便宜上の〝広場〟的な、集落の中心地点だと見做さざるをえない。
どうしたものか。
人がいない。まるで廃墟、というか本当に廃墟なのかもしれない。シンと静まり返った砂埃の舞う路上で俄かに全てが疑わしく思えてきた。事前に調べた〝噂〟では、旅人がここを訪うと着いたそばから住人総出でだだっ広い講堂のような所へ案内されてすぐに儀式が始まる、という話だったのだがそもそもそんなに大きな建物などどこにも見当たらないし。やっぱり噂はしょせん噂だったか。そりゃそうか。
(けど、わざわざこんな所にまで来て普通に首吊りってのもなぁ)
と冴えない気分でバオバブ似の木を振り返る。(あれって縄の掛けられそうな位置に枝とかあったっけ)、と一応確認するつもりで何気なく肩越しに顧みて───目を瞬かせた。一瞬、空の一角が何か黒っぽいマントのようなもので覆われているように見えたのだ。けれどすぐにそれが何らかの意思を持つもの、生きたものであるという直感にその正体を突きつけられる。
〈鳥〉だ。
 こちらに向かって高度を下げながら真っ直ぐに滑空してくる「それ」は視野の中でどんどん広がっていき、その間中ずっと俺は(これが、あの、)と芯の痺れた頭の中で切れぎれのうわ言を繰り返すしかなす術がなかった。身が竦み、指先一本動かせない。バサァッ、とそれが天空で一度羽ばたくと、地上に立って見上げている俺の顔にまで風が届いた。
 巨きい。あまりの巨きさに部分部分(パーツパーツ)がバラバラにしか認識できない。
 風切羽の、黒に灰色の混じった斑模様。折れ曲がった脚の表面の金色の鱗。こわい鉤爪。そして確かに頑強な意思を宿しながらも、こちらとは決して疎通の叶わなそうな猛禽の目。それがぐんぐんこちらに向かって迫ってくる。やばい。金環に囲まれた漆黒の瞳が円く見開かれたまま、既に獲物おれを捕えているのが分かる。こんな重量物が中空に在るのが信じ難い。ドリルカーの先端を巨大化させたような嘴の先を見つめたきり、俺は恐怖で身体が硬直して動けずにいた。
が。
あわや突かれる、というその寸前に、いちばん近い家屋から数名の人間が走り出して来て俺の手足を素早く掴むと屋内に引っ張り込んだ。外で、「キェーッ」というような鋭い啼き声が響いている。
助かったのか?
───そうらしい。とりあえずは。
 やっと認識が追いついてもその場の土間床にへたり込んだまま、ガチガチと鳴る歯の根を合わせられず顔も上げられない。
何なんだ、あの絶望的な恐ろしさは。あんな、あんな嘴に突かれて喰われるくらいならビルから飛んだ方がマシじゃないのか。
俺は奥歯と後悔を噛みしめる。
来るんじゃなかった。怖いっつーの。
そのときスッと目の前に水の碗が差し出され、思わずその先を目で辿っていくと、細く毛深い(白い産毛の密生した)腕があり、その先には奇妙な顔があった。顎の尖った小さな顔の、パッと見半分くらいはあるんじゃないかと思ったほどの大きな目。半分、というのは大袈裟にしても異様にデカい。そして嘴。一瞬視覚がバグって先ほどの〈鳥〉の残像が蘇り戦慄する。しかしよくよく見ればそれはおそらく陶器か何かで作られたペストマスクのようなもので、つまり俺の眼前に立っているのは嘴に似せたマスクを装着した人物なのだった。小柄だけれど子供にも見えない。ゴワついた生成りのワンピースのようなものを着ていて、白い頭髪は長くもつれて逆立てられて膨らみ、それこそ鳥の巣のようになっている。白髪だからといって老いているふうでもない、いや、逆にそうだと断じられれば老人にも子供にも男にも女にも見えてしまうような、そうでないと言われれば人ですらないような、如何とも言い難い面立ちだった。その人物(仮)が碗を更に突き出して来るので、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、中身はどうやらただの水らしいと判断して碗を受け取りそのまま口をつけて全部飲んだ。そういえば喉がカラカラだったのだ。助けてくれたんだから多分親切な相手で多分危険は無いだろう、多分。喉が潤い、やっと僅かに人心地がつく。
 空いた碗を返そうと再び顔を上げてはじめて、ここが随分だだっ広い、講堂のような場所であることに気づいた。田舎の小学校の体育館ほどの面積はありそうだが、外を歩いている時そんな大きな建物を見ただろうか?腑に落ちない気分で内心首を捻りながら器を返すと、目の前の人物はそれを受け取りざまに勢いよく後方を振り返った。動きにつられてそちらに目を向ければ、その人物の背後には似たような格好をした者たちがそこら中に二、三人ずつ寄り集まって立ち、見るともなしにこちらの様子を窺っているようだった。全部で四、五十人はいるだろうか。もしかするとこれは噂に聞いた〝住人総出〟というやつなのでは。とすればひょっとして、「儀式」とやらがいよいよこれから始まるのかもしれない。
 俺の前の人物が返された器を逆さに振って示すと、それまで何をするでもなくただ所在なげに佇んでいた住民達(と思われる集団)が一斉にはっきりとこちらを見た。
俺はゴクリと唾を呑む。
誰も何も喋らない。何か言われたところで通じないかもしれないが、これだけの人数が一堂に会して無言というのも妙なもんだ、助けてもらった礼のひとつもこちらの方から言うべきかとも思ったものの、彼らが揃ってこちらを見ながらじりじりと近寄って来る様子の曰く言い難い薄気味の悪さに言葉が詰まる。どうせ死にに来たんだからそんなもの恐るるに足らずだろうと思ってもらっちゃ大間違いだ、こちとら此岸と彼岸の間の、なるべくエンタメ寄りな楽ちん川渡りコースを求めてこんなド辺境までやって来たんだ、痛いのも怖いのもナシで逝きたい。早いとこ何かその、〝儀式〟とやらが始まらないものかと視線を辺りにさまよわせる。と、ググっと迫り寄ってきていた人垣が目前で止まり、俺の正面でパックリ割れた。つまり、人垣が左右に分かれて細い通路が出現したのだ。その道の向こうに「山」が在った。いや、「山」でなければ───他に何と表現したものか。
 白っぽい砂岩を固めたような講堂の床が、楕円の形に盛り上がって小山のように見えている。大きさで言えば、そうだな、田舎の児童公園なんかで今でもたまに見かける滑り台のくっついたコンクリートマウンテン、あれくらいのサイズ感だろうか。ついさっきまでこんなものは無かったはずなんだが。見落としていた?いやまさか、そんなことはあり得ない、いくら何でもこんなクソデカタマゴを見落とすなんて、と考えかけてハッとした。
タマゴ。
表面はつるりとして見えるけれど近寄ればきっと少しザラついている。温みを感じる白色の、片方の端が僅かに伸びてすぼまった球体。「山」というよりあれはまるで、半分地に埋もれた巨大な卵のようだ。続いて(ハハーン)、と俺は思った。さっきの水かな。あれに何かドラッグ的なものが盛られていたのかもしれない。だとすれば幻覚のひとつやふたつ見えても不思議じゃないだろう。するといよいよ〝儀式〟の始まりなのか。俺の想像ではその儀式とやらは怪しいハーブを焚いた煙が充満する中、ヘロヘロにラリった俺が酒杯と美女を両手に抱え、その周りを住人たちが太鼓や手拍子を打ち鳴らしながら輪になって踊り狂っているような、なんかそういう感じのやつだ。何だかんだ言いつつこれまでのところ経緯はだいたい噂通りで合ってるし、よしここからどんどんハイになって、超盛り上がってブッ飛びハッピーになってる間にトリに喰われてあの世行き、ってことになるんだな。まぁビルから飛ぶよりはエンタメ度は高い気がする。そんなことを考えながらしばらく意識の混濁を待ってみたけれど一向に「ブッ飛ぶ」感覚はやってこない。
───なぁ頼むよ。水一杯じゃあ効きが足りないんじゃないか。床から卵が生えた程度ではゴキゲンに喰われてやるのは無理だ、と心でかぶりを振ったとき、さっき水を寄越した人物が人垣に挟まれた〝道〟の向こうに現れた。住民達のの風体にやや目が慣れたせいか、その人物はその中では比較的細身で女性的であるように見えた。巫女のような役回りなんだろうか。今度は何やら鉄製の、バールのようなものを手にしている。
 俺の目の前まで歩いて来た女が差し出すそれを訳も分からず受け取って、更に促すように踵を返した彼女について卵の方へと(その短い花道の両脇から住民達にガン見されつつ)歩いて行く。いいだろう、ここまで来たからには何でもやってやる、さっさと事を進めようぜという心境だった。
 卵の前で女が止まり、「打て」とばかりにその殻を示すのでバールで打った。緩やかな膨らみを持つ壁のような表面に、尖った鉄先が食い込んで小さな罅が入る。まさかいきなり人喰い鳥の雛が生まれたりしないだろうな、と打った後から思い至って身構えたものの、罅の隙間から洩れ出てきたのはドロリと黄色い、箸でかき混ぜた後の卵液のようなものだった。女がそれを碗で掬って俺の肩口に掛けようと迫ってくる。なんかイヤだったので咄嗟に身を引こうとしたけれど集まっていた人だかりに背中を押されて逃げきれず、卵の中身を被ってしまった。生臭いかと思いきや無臭、と認識するそばからそれは揮発して、後にはひどく粒子の細かい金色の粉が残った。女は何度も罅から出てくる卵液を俺に掬っては掛け掬っては掛け、胸から頭から長旅でよれたスニーカーのつま先まで、丹念に覆っていく。その都度液は金粉に変じて、今や俺は全身金のパウダーにまみれ、輝くばかりの黄金人間と化していた。
 人だかりが引いていく。皆そろそろと後ずさり、いつの間にか通路の垣ではなく俺を取り囲む輪になって、円のぐるりから一斉にこちらをうっとりと見つめている。彼らの眼つきは老いも若き(その差はこちらの当てずっぽうだが)も胡乱に細められていて、表情の読み取りにくいながらもこの超常現象に興奮し、互いの熱気に浮かされて無言のうちに陶然となっているのが分かる。
待てよ。
置いてけぼりかよ。
確かにシュールな見世物だろうしタネも仕掛けも見破れないイリュージョンではあるけども。俺の方はまだ全然あったまってないっつーか、変化といえば全身金ピカになってるってだけで(何なら肌に貼りついた金粉が微妙にヒリヒリするし、ただただ普通に不安で不快)意識の方は完全に素面だ。素面も素面、いたって正気なので、住人達が数人がかりで足をよたつかせながらどこからともなく引きずってきた馬鹿デカい木の杭、上端八割ほどの高さのところにやや短めの横木を渡して十字に組んである、つまりあからさまに磔用のそれを見た瞬間に血の気が引いた。
無理だ、逃げよう、話が違う。
 その時ゴゴゴゴゴ、と重い音がして、振り返るとちょうど住人達の別のグループが後ろ側の壁の一面を横に押して大きく開いているところだった。底部に滑車がついた可動式の横引き扉になっていたらしい。
ちょうどいい、あそこから。
走って逃げるべく腱に力を込めて身を翻しかけた瞬間、四方から伸びてきた何本もの手に掴まれて、踏ん張った足がたたらを踏んだ。金粉まみれの袖を強く引かれ、向き直らされた目の前にバサリと黒い毛羽立ったものが広げられる。布というか、羽根の塊というか。その背後から総じて顔つきの似た老若男女がニヤニヤ笑いを浮かべて迫ってくる。彼らが容赦のない力で更に腕を引っぱるものだから俺は暴れた。
何だ。何をしやがる。
押さえ込まれて取られた腕を、さっきのワサワサ・・・・とした黒い塊に空いた穴にくぐらされると、どうやらそのワサワサ・・・・は羽根を繋いで作られたベストのようなものだと分かる。仕立ては粗いが素材の光沢は素晴らしい。その色艶に目を奪われているうちにもう片方の腕も通された。途端、何ということだろう。頭の中で脳がグルンと一回転したような感覚があったかと思うと不安と怖れがパッと消え、いきなり愉快な気持になった。
あはは。
何だこれ、ハハハハハ。
笑いが勝手にこみ上げて、踊り出したいような衝動に駆られる。折しも「ルー、ルルー」というような小鳥のさえずりめいたか細い歌声が人垣の中のどこかから聞こえてきたかと思うとすぐにそれが幾重にも重なって次第にリズムを早め、更にやや低音のパーカッションを連打するような声も加わってグルーヴが生まれ、ムズムズするような俺の衝動をいっそう昂らせた。
そうだな、踊るか。
踊っちゃうか。
その場で二、三度跳ねてみる。ジャンプするたび、羽根をたっぷり使った生地が空気を孕んで膨らんだりしぼんだり。まるで羽ばたこうとしている鳥のようだ。
なんだか俺、こうやってるとあの怪鳥のコスプレでもしてるみたいだな。脚は金色、羽根は黒。
住人達は再び俺を取り囲み、微笑みながら歌っている。
ルー・ルルー。
何という一体感だろう。彼らはもう不気味な秘境の未開人とかではなく優しい同胞のように見えるし、真正面でこっちを指して笑っている子供だって可愛い。跳ねたり回ったりしながら近づいて、羽毛ベストをバサバサいわせて「キェーーーッ」なんつって鳥の啼き真似なんかしてやると、子供は更にキャッキャと笑う。
そうか坊主、楽しいか、俺も楽しい。笑いながら逃げる子供をこちらもふざけて追いかける。走り回って遊び始めた俺の肩を叩いて、大人たちがニコニコと杭で作った十字架を指す。
あ、そうか。
うん。そうだな。
もっと完璧に鳥になるには喰われちまうのが早道だな。
まさにそれこそ完全無欠の同化コスプレ。

 比較的力の強そうな男たちが磔台を真っ直ぐに立てて支え、別の誰かがその前に四肢を屈めて跪く。
え、踏ませてもらっていいの?痩せて見えるかもしんないけど俺けっこう重いよ?悪いね。
踏み台に立った俺の背後に杭があてがわれ、左右の手首と纏めた両足がそれぞれ結わえつけられる。踏み台が退くと縛られた靴底が宙に浮いた格好になり、ヒューゥ、俺いまマジで飛んでるみたいじゃん、と更に気分が高揚した。
 大きく開け放たれた出口に向かって、男たちに担ぎ上げられた十字の杭が俺を乗せて進んでいく。屋外に出ると日の光はキラキラと輝き、周囲の家々の白亜の壁がまばゆいばかりだ。集落を貫く一本道メインストリートを住人達が小さな群れになって行進していく。列の中央には両腕を翼のように広げ、高々と掲げられた俺。先頭を歩いているのは、俺に水を飲ませて卵をかけたあの女だ。何と、よくよく見れば彼女は絶世の美女じゃあないか。
 高く担ぎ上げられているのでここからは何もかもがよく見渡せて気分がいい。そして目に映るものすべてが冴えざえと輝くように美しい。そういえばさっき居た建物がどんな風だったのか、ふと気になって振り返ってみようとしたけれど、ガッチリと杭に身体が固定されているのでそれは叶わなかった。美女の先導する栄光の隊列が集落の端(俺が入ってきたのとは反対側)の石垣を出ると、そこにも一本のバオバブ似の木が立っていて、幹にはやはり鳥の図像が彫りつけてある。それを目にすると胸の裡から一気に光が溢れだすような誇らしい気持でいっぱいになった。もうじき俺はあのどデカい、神の如き偉大な鳥と一体化してこの集落シャングリラの象徴となるのだ。
 更にちょっと行った先の地面に小さい穴が掘ってあって、住人達はそこに杭の先端を慣れた調子で息を合わせて差し込んだ。径は狭いが深い穴だったらしく、俺を磔にした杭は僅かに後方に傾いだもののちゃんと立った。少し見上げる角度のせいで、空が広く見渡せる。雲ひとつない濃い青は、遠い山端に接する辺りだけがほんの少し色淡く澄んでいて、見ているうちにちょうどその正面にぽつりと黒い点が現れた。
 ル・ルー、と歌う声は一刻いちどきひときわ高くなり、それからサーッと浜辺の生き物が波に浚われるように引いていった。振り返って見られなくても、彼らが背後の集落に急ぎ戻っているのが遠ざかっていく声で分かる。
いいだろう。これは鳥と俺との一対一の魂の交歓なのだ。
そうして俺は鳥になる。いま着ているような矮小な偽の羽根ではなくて、本物の翼を得て〝神〟と一体になるのだ。
 こちらに向かって近づくにつれ小さな黒点だったものは刻々と大きさを増し、今は鷹くらいのサイズに見えている。悠々たる翼を広げたままで滑空してくるその姿に胸が大きく高鳴りはじめる。
いよいよだ。
俺を喰え。
命の中に俺を取り込め。
己の生命が鳥の飛来に呼応して輝きを増し、膨張していくのが感じられる。視界全体が黄金色の光に満たされた。風鳴りの音が止む。
 ドクンドクンと脈打ちながら膨れ上がる黄金の発光の中で巨鳥の姿だけがくっきりと鮮明に、次第に大きさを増していく。黒々と広げた翼、こちらを捉える鋭い眼、鉤のように曲がった嘴。この地の〝神〟にふさわしい威容を見おさめてうっとりと瞼を閉じた、次の瞬間。
 ジャキン、と耳許で音がした。急に肩口が軽くなる。驚いて目を開けると同時にもう片側でもジャキンと音。黒い羽毛ベストが剥ぎ取られる。混乱する俺の目の前に、ぬっと突き出された髭面にはしかし見覚えがあった。賃金未払いのまま砂漠に置いてきたあの現地ガイドだ。
巨鳥トリの羽毛は高値で売れる」、と男は言った。肩口を切って取り上げたベストを掲げ、大きな鉄鋏で示して見せる。
「俺はまだ金を受け取っていない。だからこれを貰っていく」
簡潔な説明のあと彼は俺の目を見て一度頷き、無駄のない所作でサッと身を翻すとベストを携えて走り去った。
 残された俺の目の前には紺碧の空。そのど真ん中から鳥が飛んでくる。
 ぐんぐん大きくなってくる大怪鳥にはもはや神性など感じられず、その姿はただただバカでかい野生の猛禽でしかなかった。
 その嘴がこちらに向かって大きく開くのを見たとき俺は、粗末な木杭に縛りつけられたまま絶叫した。                   〈了〉

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