【ぶんぶくちゃいな】帰ってきた「殺馬特」

今週はわたしが毎日チェックしている中国語圏のSNSで、偶然に立て続けにドキュメンタリー映画が2本話題に上がった。

まず昔ながらの繁体字を使う香港・台湾圏で注目されていたのは、11月21日に台湾で行われた、「中華圏のアカデミー映画賞」と呼ばれている金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞を獲った「迷航」。

監督の李哲シン(「シン」は「日」偏に「斤」)さんには以前香港で何度かお会いしたことがあった。作品をまだ見たわけではないので報道の受け売りになってしまうが、この作品は2011年に広東省の漁村、烏坎(うかん)で起きた「民主選挙」事件の顛末を記録したものだという。

当時烏坎で起こった出来事は、中国でも大きく報道され、注目を集めていた。ことの始まりは村の幹部が香港系の不動産会社と結託して、村民の共同用地を勝手に売り払い、それで得た収益をほとんど自分のフトコロに入れ、その土地を農耕に使っていた村民には雀の涙ほどのお金しか渡さなかったことだった。「農地を売れば我われはどうやって生活するのだ?」と怒った農民たちがたびたび市や県など上級政府に陳情に行ったもののらちが明かず、そうするうちに陳情活動の中心に立っていた人物が見るからに不審な形で事故死したことから村中の怒りが爆発、村幹部を罷免して民主選挙を行おうとしたのである。

その活動の中心になったのが都会に出稼ぎに出ていた若い世代で、事態の悪化を聞いて次々と帰村。そして村民たちにネットを使って自分たちの訴えを広げていく手段を教えつつ、彼ら自身が運動の中心に立ち、メディアに直接訴え、また取材に来るメディアを出迎えて、自分たちの要求を大きな声に換えていった。そして知る限り国内さまざまのメディアが憑かれたように「烏坎へ、烏坎へ」と向かった。

実際に現地で取材した人たちによると、村では外からやってきたメディアを受け入れる体制が整っており、もともと宿泊施設すらないような農村だったのに村人が手分けしてメディア関係者を自宅や空いている家に受け入れ、宿泊料も取らなかったらしい。もちろん一部メディア関係者はそうやって情にほだされることに危惧を抱いていたものの、村人の訴えや活動に対する中国当局側の粗暴さのほうがずっと目に余る状態だったと言った。

烏坎の村民の自主的な活動、そしてクリアな主張が広く伝えられるにつれて、見守っていた多くの人たちがこの烏坎が新しい中国の公民社会モデルになっていくのでは、と期待した。ときは2011年から2012年に入る頃で、2012年には政権も胡錦濤から習近平に移るという過渡期にあり、多くの人たちが「新しい時代」への期待を探し求めていた。

だが、村民たちが自らの手で新しい村民代表を選出しようと選挙を行なうための準備が始まると、それまでは遠く近く距離感を持って「見守っていた」当局が強硬手段に出始めた。まず中国メディアに報道規制を出し、それでも選挙の様子を取材しようと現地に向かうメディア関係者を途中で設けた「関所」で遮って追い返す。それに対抗して村民たちは協力して船を出して海伝いに、あるいは「関所」を回避して断崖絶壁からの入村を案内した。

「迷航」の監督、李さんもそんな取材陣の一人だった。彼女は当時、香港の電子雑誌「陽光時務週刊」(先週号でご紹介した張潔平が勤めていた雑誌である)の記者で、同誌の取材で烏坎に入った。そこで村民たちの持つ熱気に圧倒され、その後も香港と烏坎を行き来しつつ、撮影を続けた。だが、選ばれた新しい村代表はその後当局に拘束され、活動の中心人物たちも逮捕、あるいは村の外へ、あるいは海外へと逃亡した。

烏坎事件は胡錦濤体制から習近平体制への過渡期に期待を寄せていた多くの人たちの心にいまも傷となって残っている。

「迷航」は上下編それぞれ2時間の大長編だそうだ。中華圏のドキュメンタリーはときに破格な長さのものがあるが、彼女は2016年まで何度も往復して撮影した烏坎の様子をそこに詰め込んだとメディアに語っている。是非見てみたいと思う。

(金馬奨上映後の監督とプロデューサー座談会)

さて、もう1本は中国国内の簡体字圏で話題になっていた「殺馬特我愛ニー」(「ニー」は人偏に「爾」の俗字)である。

農村から都会の工場地帯に出稼ぎに出てきた青年たちの生態に焦点を当てた作品で、その背景になっているのは「迷航」と同じ2010年代前後の中国だ。さらにその舞台は烏坎と同じ広東省内にある、それこそ烏坎から出稼ぎに出た人たちも多く集まる深センや東莞などの都市。偶然情報を手に入れて、オンライン上映された「殺馬特我愛ニー」を見ることができたので、そこに描かれた若者群像についてまとめておきたい。

●それは反逆から始まった

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