【ぶんぶくちゃいな】厳しい冬、中国司法が救うのは誰なのか?

2021年が開けた途端、香港では民主派関係者ばかり大事件が起こり、なんとも先が思いやられるスタートとなった。

一方、北京でも、これまで弁護士としてたびたび、冤罪に問われたり、地方の役所など権力を相手に戦わなければならない人たちのための弁護を担当してきた周沢・弁護士が、管轄の北京市朝陽区司法局に弁護士資格の1年停止処分を受けた。これが、法廷関係者に大きな波紋を広げている。

周弁護士は1969年生まれの52歳、弁護士としての経験とパワーという意味では一番脂がのっている時期だろう。

わたしがこの周弁護士の身に起きたことを知ったのはSNSのタイムライン上で、元著名ジャーナリストで今は弁護士をしている人が熱心にこの事件についての記事をシェアしていたからだった。流れてくる記事を読むと、たしかに法曹関係者、特に弁護士たちは危機感を高めているようだ。

だが、こうした事件はどんどん大衆化しているこの国のマスメディアには載りにくい。実際にその元ジャーナリスト弁護士とその友人がシェアする周沢弁護士資格停止に抗議する法曹関係者や学者らのブログやSNSの書き込みは1日もしないうちに削除されていた。わたしも読む前にまずオンラインにアーカイブしてから目を通す習慣がついた。とにかくそれほど過激な内容ではないのに、半日もすればそのURLは空っぽになってしまうのだから。

そこからも、この資格停止事件の反響に当局が神経を尖らせていることが伝わってきた。

記事と情報をシェアし続けてくれた元ジャーナリストは現役時代、数々の著名な調査報道に携わり、一本筋の通ったジャーナリストとして知られ、著名メディアの、日本で言えば専門報道デスクレベルだった頃にメディアの世界からふっと姿を消した。

その後、人伝えで弁護士に転職したと聞いてびっくり。調べてみると、もともと法律系の大学を卒業し、2000年初め頃に司法試験に合格していた後に、メディアの世界に入ったらしい。

日本では司法試験に合格したのにそこからすぐジャーナリストになるなんて、ちょっと考えられないキャリアだが、中国ではジャーナリストは長い間「無冕之王」(無冠の帝王)と呼ばれ、尊敬され、高尚な職業とみなされてきた。特に彼が業界入りした2000年代初頭は、拙著『中国メディア戦争』でも書いたように、中国では1990年代の急速な経済発展と開放的なムードを背景にメディアが活気づいていた。そんな中で知的情報を求める人たちが激増、メディアも次第に政府系機関にぶら下がった状態から独自採算でマーケティングを展開し、購読者によって支えられる「都市報」と呼ばれる若いメディアが次々と誕生した。彼が所属していたメディアもそのうちの一つだった。

だが、2013年に習近平政権が誕生すると、急速に言論や報道に対する規制が強化され、飛ぶ鳥を落とす勢いだった言論やメディアの世界が粛清された。彼が所属していた、詳細な調査報道で人気が高かったメディアも直接、共産党の宣伝部から指導を受け、編集部のみならずメディア全体を大きく揺り動かす記事差し替え事件が起きた。それを経て彼はメディアの世界に見切りをつけたようだった。

その後、「都市報」のほとんどは政府系メディアに再編されたり、廃刊のニュースも続く。かつての賑わいと高揚感を知っている人間からすると、ただひたすら絶望感しかない。

実は今回の主役である周沢弁護士もまた、1990年代から2000年初頭にかけて中国共産党政法委員会の機関紙「法制日報」の記者を務め、その後転身した弁護士である。

●陥れられた弁護士

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