【ぶんぶくちゃいな】香港民族党禁止で枷をしょいこんだ香港政府

香港特別行政区政府保安局は9月24日、香港の独立を主張し、香港共和国設立を目標とする政党「香港民族党 Hong Kong National Party」(以下、香港民族党あるいは民族党)を違法組織とみなし、その香港における運営を禁止するという、公式の政府見解を発表した。

昨今の動きで多少その可能性が噂にはなっていた。しかし、イギリス植民地時代において過激な襲撃事件など刑事事件につながった政治組織への活動禁止処分はあったものの、刑事事件を起こしたわけでもない同党の活動を禁止するという判断を実際に香港政府が下したことで社会に衝撃が走っている。

香港民族党は、2014年に起きた雨傘運動が「(中国政府の介入による候補者選別を受けない)本当の意味での直接選挙導入を!」という目標を達することができなかった挫折感から生まれた、いわば「雨傘チルドレン」の一つだ。

「雨傘チルドレン」たちの活動は、雨傘運動という市民が現状で考えうる最大の平和的な請願行動に対して「ノーを突きつけた」、というよりその声を完全に無視した上に暴力を使って排除するという「権力」の傲慢さに対する怒りがそのモチベーションになっている。またもう一つの特色として、そこに関わる大半の人たちが雨傘運動以前においては社会運動や政治の世界にほぼ関わったことがなかったという背景を持つ。

だいたい、香港人は暴力的なもの、そして対立することを大変嫌う人たちだ。かつて50年代、60年代に中国国内から政治闘争を逃れてきた人たちとその家族が多いことが大きな背景にある。また、その後の香港がずっとそれでも中国と西洋社会の文化や経済の橋渡し役として栄えてきたという理由も大きい。しかし、その末裔として香港に生まれ育った「雨傘チルドレン」たちはそんな親たちの世代の習慣に敢えて反抗する態度を見せ、極端に人の神経を逆なでする言葉を選ぶという特徴を示す(そして実際に雨傘運動をきっかけに、親たちと決裂した若者も少なくない)。

香港民族党もまた、雨傘運動をきっかけに政治活動に身を置くようになった元ITエンジニアの陳浩天氏らによって、2016年春に設立された。同年9月に行われた香港立法会議員選挙にも、陳氏が立候補の動きを見せた。しかし、香港選挙委員会(日本の選挙管理委員会に相当)は同氏の香港独立を目指すという主張が「香港は中華人民共和国の不可分な一部」と明記した「香港基本法」に違反しているとみなし、その立候補を拒絶した。

それ以降、最終目標にはっきりと「香港独立」を掲げる同党の政治活動に対して、香港政府がいかなる行動を取るかが注目されてきた。それが今回、香港の主権返還後初めて「社団条例」(社会団体条例)が適用され、香港民族党の運営が禁止されることになった。

●「雨傘チルドレン」たち

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