【ぶんぶくちゃいな】隠された「不満」と日常化する「不安」

これまでなんどか同じことを書いてきたけれど、わたしの中国ニュースチェックの入り口であるSNS「微信 WeChat」(以下、WeChat)のタイムラインには、中国のメディア関係者の知り合いがたくさん揃っている。それもほとんどがすでにデスクレベル以上の立場にある人たちだ。

海外での留学経験やフェローシップの経験を持つ人も少なくない。彼らはちょうど西暦2000年以降にメディアを襲ったインターネット情報の衝撃(詳細は拙著『中国メディア戦争』参照のこと)を受け、メディアの面白さ、そしてその存在意義に触れてジャーナリストになった人たちばかりなので、いまだに情報流通そのものが「正義」だと信じている。

だから、なにかが起こったときには彼らは真っ先に情報を求め、彼らがフィルタリングした情報がタイムラインに流れる。だが、ここ数年間、急激に政府のメディアに対する規制がきびしくなり、彼らがいるメディアでの情報流通が難しくなったことから、実際にはすでに職業メディアの世界を離れた人も少なからずいる。前述したとおり、情報流通は正義だと信じるからこそ、その可能性が狭まった業界を捨て、彼らは「社会」に船出した。そしてそこでまた、なにか起こるたびにメディア人時代の人脈と情報網にひっかかる情報を発信し続けている。

これまでの経験上、彼らがそうやってシェアした情報は、中途半端な憶測や噂や陰口など、いわゆる「ネット悪情報」だったことはない。たとえそれが「噂」だったり「憶測」であろうとも、たとえばその情報の送り出し手がその情報源を信用できる立ち位置にいたり、やんわりとそこでは開示できないものの「なにかそう言える証拠を持っている」ことが分かる記事がほとんどだ。このフィルタリング力はすごいといつも感心させられる。

とはいえ、わたしの日常のニュースチェックは彼らがぞろりとましましているタイムラインよりも、公衆号と呼ばれるメディア、あるいは個人コラムニストによるニュース記事配信アカウントが中心だ。しかし、その合間にふとタイムラインを見ると、いつもなら世界の大事(たとえばトランプ大統領の大バカぶりとか、世界の大惨事とか、世界メディアで話題の講演とか、自国政府のちょっとした動きだとか)が並ぶ程度なのだが、ときにそこに爆弾が破裂したように感情的になっていることが、まま、ある。

1月8日火曜日午後のタイムラインが、まさにそうだった。そこに書き込んでいる一人ひとりが困惑し、ある人は震え、ある人はショックを受けていることがそこでシェアする記事とコメントからはっきりと伝わってきた。最初はいったいなにが起こったのかわからなかった。そんなときはいつもタイムラインに怒涛のように並ぶ言葉とコメントを遡って読み進めるうちに彼らが見つめる「事件」が見えてくるのである。

そしてわたしは、その日の午前11時過ぎ、北京市西城区にある宣武師範学校付属第一小学校の校舎で子どもたちが襲われ、20人がケガをして病院に運ばれるという事件が起こったことを知った。

●増え続ける、大人による学校襲撃事件

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