【ぶんぶくちゃいな】中国「00世代」の冬季オリンピック

北京冬季オリンピックが終わり、3月4日のパラリンピックの開幕式まで約2週間の調整期に入った。

わたしは今季のオリンピック、中国のSNSで流れてくる一部の、本当にほんの一部を切り取った映像以外は競技を観ておらず、それ自体を語ることはできないが、ふと流れてきた記事を読んでいて、オリンピック開幕・閉幕式を取り仕切った張芸謀・総監督が閉幕式のテーマ曲に、日本でも「旅愁」として知られる米国人作曲家J.P.オードウェイ作「Dreaming of Home and Mother」をロック歌手朴樹が中国語の歌詞を載せて歌った「送別」が使われたことを知った。

調べてみると、第九が流れたこともあり、日本人観客は「年末感」「終末感」「終了感」を感じた人たちも多く、華やかなイベントの閉幕としてみると戸惑いも少なくなかったようだ。わたしが目にした中国語の記事によると、張芸謀氏はこの曲に込めた思いをこう述べていると言う。

他の国々と違い、中国では亡くなった人や生命に対して楽観的で前向きな思いを持っている。中国人が故人に対してかける言葉に「一路走好」(ご無事で歩み続けてください)というものがあるが、我われは故人を偲びつつ、同時にその涙を拭い、生きている者は元気に暮らしていかなければと考える。

中国人が死者に対して「楽観的」かどうかについて、わたしはあまり同意できないものの、少なくとも自分の家族や親しい人、あるいは悲惨な亡くなり方をしたわけでない限り、わりとあっけらかんと受け止めるという一面は確かにある。ここでも引用されている「一路走好」(中国語の「走」は「歩く」の意味)はたしかによく使われる言葉で、この世から去った後も「道を歩き続けている」と想像することで、そこにいない人を「どこかにいるのだ」と中国人は考えていることで心の整理をつけているのかもしれない。そういう意味では「楽観的」と言えないこともない。

張芸謀氏は、ここ数年の新型コロナの大流行による死者や家族を失った人への思いを込めてこのテーマを選んだのであろう。

但し、この記事では張芸謀氏がこの「送別」を選んだのは悲しみの表現ではなく、希望に向けた表現だったとわざわざ述べているが、一方で朴樹さん自身が以前この歌を歌いながら泣いている動画もネットにアップされており、少なくとも中国語でこの歌を聞く中国人でもすべての人が「希望」を感じるわけではないこともわかる。つまり、閉幕式を観ながら「終末」を感じたのは日本人だけではなかったはずで、加えて張芸謀氏の71歳という年齢を考えると、ますますこの曲の「暮れ」感は濃厚である。

わたしは中国が今回もまた張芸謀氏を総監督に起用したときから、「暮れ」感を感じていた。2008年の夏季オリンピックのときはまだ、「まぁ、『百年の悲願』とも言われていた初めてのオリンピックだから仕方ないよね」と思うことができた。張監督も当時はまだギリギリ50代でかつかつ「働き盛り」といえなくもなかった(中国では一般に50代を超えた人のイメージはすでに「老人」に属するのだが)。

だが、今回の総監督もまた張芸謀に任せたと聞いたとき、またそのことに何の疑問の声も起こらなかったことに、政府が安心して任せる人が他にいないのだろうという事実に納得する一方で、「やはり中国の『老人国』というイメージはいつまで経ってもくつがせないなぁ」とも感じた。

だが、時代は変わる。オリンピックが終わってその後流れてきた感想やそれにまつわる報道を見ると、冬季オリンピックはまったく別の視点で観られていたようだ。それは2008年に「悲願!」をたっぷり降り注がせたオリンピックの文字通りの「儀式感」とはまったく違う、「別物世界」として楽しまれていたようだ。

この冬季オリンピックに本当に熱狂した中国人観客にとって、老人監督が重々しく描く死生観などはほぼなんの意味も持たず、もしかしたら開閉幕式も観られていなかった可能性がある。

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