【ぶんぶくちゃいな】なぜ? 党がびびった民間映画評

年末年始の2週間を香港で過ごした際に、ちょっと映画でも観ようかという気になった。日本での学生時代にはあまり映画に行く習慣がなかったわたしも、香港で暮らすようになってからよく映画館に足を向けた。

香港は洋画が日本よりずっと早く入ってきたし、娯楽豊かな香港映画は広東語の勉強や香港人の思考方法を知るのに役立った。何よりも、その時に公開されている映画は初めて会った香港人との間でも貴重な話題になった。そして朝一に映画館で安く上映される古い映画は香港人の思い出話を聞く時に役立った。さすがアジア映画の都といわれた街だけあって、香港人は映画が大好きだった。

だが、実のところ、香港返還前後あたりから香港映画は失速を始めた。わたしは2001年に香港を離れるまでの数年間、毎年映画の台本翻訳を頼まれることがあった。面白い映画なら翻訳していても台本をめくるたびにワクワクするが、その頃の台本は次のページを開く前に展開がわかってしまう…それが観客を喜ばせるわけがなかった。

もちろん、わたしが手掛けたのが駄作ばかりだったかもしれないが、明らかに映画界全体の勢いは落ち始めていて映画の不況が嘆かれていたが、わたしは人材の枯渇だと思った。香港が豊かになり、人々の生活体験の平均化が面白いものを生む動力を失わせていたように感じた。

一方で、中国は1990年代の経済成長を経て、2000年代には娯楽市場として爆発的な勢いを見せるようになった。エンターテイメント業界にいる友人たちは忙しくなり、かつては文字通り冷や飯を食っていたロックバンドの友人たちも慌ただしく国内だけではなく、海外を飛び回るようになった。

香港でも中国国内業界との協業が始まり、香港の持つ経験や技術でこじゃれたスターたちがグラビアを飾るようになった。同時に香港のエンターテイメント業界関係者が中国で仕事をするようになり、それによって中国からの資本も流れ込み、香港の業界はまた活気を取り戻した。

だが、香港人の観客には不満が募っている。そうやって香港人娯楽関係者が中国市場を満足させるために作った作品には、かつての香港映画界にあった「香港らしさ」「身近さ」が全く感じられなくなったからだ。香港の人気スターたちは中国でも人気で引っ張りだこだが、彼らが演じるのはもう香港の英雄や街角の小人物ではなく、どこぞの都市の「カッコいい人」なのだ。

80年代、90年代の、なんだかよくわからないし、つじつまもいい加減だけれど楽しかった香港映画はすっかり姿を消してしまった。

そこに昨年末からお正月映画として、王家衛(ウォン・カーワイ)監督がプロデュースし、梁朝偉(トニー・レオン)や陳奕迅(イーソン・チャン)といった香港人が大好きな面々が並ぶ映画「擺渡人」(See You Tomorrow)が公開されたので、せっかく香港にいることだし、行ってみようかな、と思った。

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