【ぶんぶくちゃいな】大ヒット映画「流浪地球」は中国SF大作時代の前兆?

2月5日、春節初日に封切られた中国国産SF映画「流浪地球」がさまざまな騒ぎを引き起こしている。

封切りからわずか9日ちょっとで興行収入は30億元(約490億円)を突破、この勢いなら最終的には50億元(約820億円)達成も夢じゃないと言われている。ちなみにこの興行収入50億元の壁を初めて突破したのは、「流浪地球」の出資者としても名を連ねている俳優、呉京氏主演の前作「戦狼II」(2017年7月公開)で、「流浪地球」はその「戦狼II」よりも1日早く30億元の壁を突破した。

とはいえ、今年の春節興行は入館料が軒並み引き上げられ、「高い」という声もあちこちから上がっている。単価が引き上げられた上、「流浪地球」は同期に上映される他作品に比べても同じ映画館内で複数のスクリーンを使って大々的な興行を行っており、数字だけがぐんぐん上昇するしかけになっているといわれている。

それを「映画の人気」と見るか、「配給会社の力」と見るか、それとも「数字を追求するための茶番」と見るかは、中国の業界内でもさまざまな見解がある。なお、同じく春節に公開されたジャッキー・チェンの新作はあっという間に話題から転がり落ち、「時代の変化だね」とあっさり片付けられてしまっている。

また、2008年の北京オリンピックの開幕式の監督まで務めた、国民的映画監督のチャン・イーモウ氏の新作「一秒鐘」(One Second)がベルリン映画祭での上映直前に出展を取りやめた理由について、外交部の定例記者会見で外国人記者が華春瑩・報道官に尋ねたところ、華報道官が「今大人気なのは『流浪地球』ですよ、あなた見た? お薦めですよ」と答えをはぐらかしたことも話題になった。

チャン監督作品は文化大革命時代の混乱を描いために当局からストップがかかったという噂もあり、チャン監督といい、ジャッキー・チェン作品といい、かつての栄光が過ぎ去ったのは間違いないが、そこにわざわざ「流浪地球」を引き合いに出したのが嫌らしいというわけだ。

これは余談なのだけれど、わたしも「流浪地球」の話題を追っていろんな記事を検索して読む際、中国語入力で「流浪…」と打とうとすると、指が滑って(?)「流浪北京」と打ち込んでは慌てて消す、という動作を何度も繰り返した。

流浪北京」も中国の映画である。北京の自由派ドキュメンタリー映画の始祖といわれる呉文光監督の作品で、1989年に天安門事件が起きた直後の北京で暮らす芸術家たちの群像を描いた作品だ。

約30年前の中国ではまだ、国が認める組織に属さず、また自分が生まれ育った土地を離れて北京のような大都市で暮らすのは大変なことだった。住むための部屋を貸し借りする、という意識もない時代だった。「流浪」という言葉は当時そのまま、社会を踏み外したかのように思われていた人たち(そして、雲南省出身の呉監督自身も)に向けられた言葉だった。

当時は国(公的機関)が個人に配分することになっていた所属や生活区域を勝手に離れて暮らすことは「体制の外に暮らす」ことを選ぶことを意味し、社会主義制度における体制の外とはつまり、本来なら社会が人々に与えてくれるはずのなんの福利も受けられないことを意味した。そしてそうした道を自ら選んだことに対して、体制は彼らを目の敵にし、さらには危険視して、さまざまな手段で体制内に戻るよう責め立てた。

「流浪北京」に登場する芸術家たちは自由な心と表現手段を求めつつ、そうした体制に押しつぶされそうになっている小さなアリのような存在だった。実際、そうした圧迫感の中で精神のバランスを崩していく人たちも描かれている。とにかく「体制」の壁から解き放たれるだけで大変な重荷を背負い込むことになる時代だったのだ。

その「流浪北京」の「北京」が「地球」に変わった「流浪地球」(←おっと、また打ち間違えた…)は、「誰かが地球を流浪する」という意味ではない。「地球が流浪する」を指しているようだ。

同じ構成なのに主語と目的語がひっくり返ってしまっている。げに、中国語はわかりやすそうで難しい。

「流浪地球」自体は、小説も映画もわたしはまだ目にしていないので評価はできないが、映画作品を巡って起きた騒ぎが社会事象になりつつあるのでここでご紹介しておきたい。

●紛糾する作品評価、アプリストアに飛び火

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