香港雨傘運動/オキュパイ・セントラル裁判:181212 法学者、戴耀廷(ベニー・タイ)副教授の最終弁論全訳

(メルマガ「ぶんぶくちゃいな」及びnote「ぶんぶくちゃいなノオト」に掲載するために全訳を試みました。参考資料として無料公開します。)

※以下、【】でくくった数字とそれに呼応する説明は訳者による注記。

<民間の不服従>

まず、これは市民的不服従の裁判である。

私は市民的不服従によってここに立っている。

陳健民教授と朱耀明牧師が私とともに呼びかけた「愛と平和によってセントラルを占領する運動」【1】は市民的不服従運動である。市民的不服従という言葉を聞いたことがある香港人はそれまであまりいなかっただろうが、今では香港のそれぞれの家庭で市民的不服従という概念が知られている。

【1「愛と平和によってセントラルを占領する運動」:略して「オキュパイ(占領)セントラル」とも称される。】

最終控訴裁判所は律政司がジョシュア・ウォンを訴えた裁判【2】において、ジョン・ロールズ【3】が『正義論』で用いた市民的不服従の定義を採用した。市民的不服従とは、「公開、非暴力で誠実な政治行為であり、通常は法的または社会的変化をもたらすために行われる違法行為のこと」である。

【2「律政司がジョシュア・ウォンを訴えた裁判」:ジョシュア・ウォンら学生リーダー3人に対し、香港律政司(法務長官に相当)が公共迷惑罪による社会サービスだけでは不足として裁判所に再審を申し渡した事件。2017年8月に懲役判決が下りたものの、2018年2月の控訴審で最終控訴裁判所がウォンら訴えを聞き入れた。】
【3「ジョン・ロールズ」:米国の哲学者】

律政司によるジョシュア・ウォン起訴事件において裁判長を務めたレオナード・ホフマン卿は最終控訴裁判所の非常任裁判官である。その際、ホフマン卿は、自身がRvジョーンズ(マーガレット)裁判【4】において採用した「誠実な理由による市民的不服従は、この国において長く栄光の歴史を持つものである」という言葉を再度引用した。最終控訴裁判所は市民的不服従の概念は、香港のように個人の権利を尊重するその他の司法制度にも同様に適用されると認めたのである。しかし、なぜ市民的不服従が栄光で文明的なのか? 最終控訴裁判所はそれ以上の解釈はしなかった。

【4「Rvジョーンズ(マーガレット)裁判」:2007年に行われた、イギリスで展開されたイラク戦争反対派活動家に対する裁判。同じように市民的不服従の手法が問われたようである。】

ジョン・ロールスの定義は、市民的不服従の振る舞いの部分だけを述べたものである。民主的不服従に関する、マーティン・ルーサー・キング博士の非常に著名な書籍『バーミンガム刑務所からの手紙』では、市民的不服従の意図する部分や市民的不服従の精神をもっと明確に述べている。その書簡は1963年4月16日、彼がアラバマ州バーミンガムでの公民権を求めるデモに参加して、刑を宣告されたときに書かれたものだった。

書簡では彼はこう書いている。《ある人間が不公平な法律を遵守しないのなら、まずそれを公開し、愛に満ちた心で罰を受けようとしなければならない。その人がある法律が不公正であるとその良心の指摘を受け、罰を受け入れるつもりで社会の良心を喚起し、その中における不公平に関心を集めること、それはその実、法律に対して最大の敬意を表明しているのである。》

マーティン・ルーサー・キング博士は、法律は時にその表面においては公平でありながら、それが執行されるときに不公平になるとした。《許可を受けずにデモをし、そのために逮捕されたが、実際にはデモを行う際には許可を受けなければならないという法律があるが、その法律が用いられるのであれば…市民の平和的な集会と抗議の権利は否定され、不公平になってしまう。》

彼はまたこうも述べている。《しばしば交渉を拒否する地域社会に対し、非暴力による直接行動は、危機を作り出し、さらに創造的な緊張を高めることによって、相手方に問題に直視させ、劇的に問題を見せつけ、それをもはや無視出来なくさせるのである。》

マーティン・ルーサー・キング博士は私に多くのインスピレーションを与えてくれた。私たちもまた、「愛と平和によってセントラルを占領する運動」にこの精神を植えつけた。マーティン・ルーサー・キング博士の市民的不服従の道に続いて、私たちは怒りや憎しみを扇動するのではなく、人間の心の自己犠牲的な愛と落ち着きを開こうと努力したのだ。

最終控訴裁判所では律政司によるジョシュア・ウォン起訴裁判において、Rvジョーンズ(マーガレット)裁判におけるホフマン卿の解釈を次のように引用している。《違法者と法執行者のどちらにも守るべき、いくつかの規則がある。デモ参加者の行為はバランスのとれたものでなければならず、過度の破壊や不便を与えてはならない。彼らの誠実な信念を証明することで、彼らは法律の処罰を受け入れるべきである。》

最終控訴裁判所は律政司によるジョシュア・ウォン起訴裁判において引用はしていないが、ホフマン卿はさらにRvジョーンズ(マーガレット)で次のように述べている。《一方で、警察と検察官の行為も制約されるべきであり、裁判官は判決を述べる際にはデモ参加者の誠実な動機を考慮しなければならない。》これら市民的不服従に関する規則も適用されるべきであり、最終控訴裁判所はそれに反対するべきではない。

市民的不服従の目的は、公衆の邪魔をすることではなく、公衆の社会的な不公平への関心を喚起し、社会運動の目標に対する人々の同意を取り付けることにある。ある人間が市民的不服従を行っていくことが判明した場合、それはそれによって引き起こされる不合理な障害を意図したものではない。というのも、それは市民的不服従に反するものだからだ。たとえ最後に彼の行動によって引き起こされた障害が、彼の予想を大きく越えたとしても。

非暴力は「愛と平和によってセントラルを占領する運動」の原則である。市民的不服従の行為とはセントラルを占領することであり、それは運動の最終段階なのだ。市民的不服従が行われた時、デモ参加者は道路に座り、手と手をつなぎ、警察の逮捕を待ち、抵抗しなかった。私たちが計画し、達成したいと考えていた占領に見合ったものだった。それによって発生した障害は妥当であったと信じている。

私は市民的不服従において違法者が取るべきことをしたと信じているし、他の人もまた彼らがやるべきことをやったと思っている。

<民主の希求>

市民的不服従において、市民的不服従の方法がバランスの取れたものであるかは根拠なしに語られるべきではなく、その行為の目的を考慮する必要がある。

それは、香港を愛する香港人のグループによる出来事だった。彼らは香港の深い矛盾を解決する門を開くには真の普通選挙を導入することによってのみ可能だと信じていたからだ。

私は彼らのうちの一人だった。同じように民主主義の夢を追求する人々とともに、私たちの憲法における権利の実現のために私たちは30年以上待ち続けてきた。私はまだ大学で法律を学んでいたときに香港の民主化運動に関わるようになった。そして私の息子が大学を卒業したが、香港にはいまだに民主が実現されていないのである。

マーティン・ルーサー・キング博士は前述の手紙において、「抑圧者は自発的に決して自由を与えようとはない。自由は抑圧された者が戦い取るものだ…我われの素晴らしい法学者たちが言うように正義を遅らせようとするのは正義を否定したに等しい」と述べている。我われが正義を求めることが、権力者にとって、私たちの計画された行動が逆に迷惑となるのだ。

「香港基本法」第45条では、行政長官選出方法の最終目標として、広範な代表的な意味を持つ指名委員会によって指名された後に真の普通選挙によって選出すると規定している。

国連人権委員会の「市民的及び政治的権利に関する国際規約」第25条ではこう規定する。《すべての市民は、第二条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な制限なしに、次のことを行う権利及び機会を有する。(b) 普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行われ、選挙人の意思の自由な表明を保障する真正な定期的選挙において、投票し及び選挙されること。》【5】

【5:条文訳は外務省サイトから引用。】

「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第25条(b)の「普通かつ平等」について、国連人権委員会は「一般的意見25」にてその理解と要件を記している。第15段落で、《選挙による公職に立候補する権利及び機会の実効的な実施のためには、 投票権を有する者に対し立候補者の選択の自由を確保することが必要である。》と述べている。第17段落では、《政治的意見は、 立候補の権利を剥奪する事由として利用されてはならない。》【6】としている。

【6:条文訳は日本弁護士連合会サイトから引用。】。

全国人民代表大会常務委員会では2004年に「香港基本法」の附属書一および二において行った解釈により、行政長官選挙方法を改定する憲法手順が大幅に変更された。行政長官が立法会に選出方法の改正案を提案する前に、2つのステップがさらに加えられたのである。行政長官は改正の必要があるかどうかについて、全国人民代表大会常務委員会に報告しなければならなくなった。全国人民代表大会常務委員会は、香港特別行政区の実状と徐々に手続きを進めるという原則に基づいて決定を行う。関連する法案が立法会議員全体の3分の2の同意を経て可決されると行政長官の同意を経て、全国人民代表大会常務委員会に提出して承認または報告が行われるのというものである。

2014年8月31日、全国人民代表大会常務委員会は憲法改正手続の第2段階を完了し、行政長常務官の選出方法を決定した。全国人民代表大会常務委員会は、行政長官は普通選挙により選出されるという決定の他に、選出方法に具体的かつ厳しい規定を行ったのである。

指名委員会の人数、構成および同委員の選出方法は第4次行政長官選挙委員会の人数、構成および選出手段に従って定める。指名委員会は、民主的手続きによって行政長官の候補者を2名から3名だけ指名することができる。各候補者は、指名委員会の全メンバーの半数以上の支持を受けること。

全国人民代表大会常常務委員会が定めた手順によれば、全国人民代表大会常務委員会は、行政長官から提出された報告を承認するか否かを決定するだけで、指名委員会の構成と指名手続には詳細な規則を設定できないはずだ。全国人民代表大会常務委員会は自ら定めた手続きすら遵守していない。

全国人民代表大会常務委員会が定めた厳しい条件に従って行政長官が選出されるとなれば、歓迎されざる人はすべてフィルターにかけられて落とされるため、香港の有権者は本当の選択肢を持てなくなってしまう。これでは普通選挙という意味とは一致しない。

これらの香港人が市民的不服従を採ったのは、香港社会と世界の懸念を喚起するためだった。中国政府は、不当に憲法上の約束に背き、その憲法責任を損なった。私たちが行っているのは、私たちの行動に反対する人々を含め、私たちとすべての香港人の憲法上の権利を保護するため、私たちの主権国に約束を果たすよう求めるため、香港の憲制を根本的に改革するため、そして香港の未来にさらなる正義をもたらすためである。

<平和的デモの権利>

これは、平和的デモと言論の自由の自由の権利に関わる出来事である。

「愛と平和によってセントラルを占領する運動」のもともとの計画は、2014年10月1日の午後3時から人々がチャーターロードの歩行者区域、チャーターガーデン、そしてクイーンズスクエア【7】に集まるというもので、最長でも2014年10月5日を超えないとしていた。私たちは3つのタイプの人々が来るだろうと期待していた。

【7「チャーターロード、チャーターガーデン、そしてクイーンズスクエア」:香港セントラルの元政府庁舎の足元、元最高裁判所を囲むように位置する道路と公園で、植民地時代から政府への抗議の声を上げる場として利用されてきた。】

第1の人たちは、市民的不服従に参加することを決意した人たちである。彼らは合法的に認められた時間制限の後も、チャーターロードに座り続けるつもりだった。彼らは、「愛と平和によってセントラルを占領する運動」の意向書において、2つ目、3つ目の選択肢を選んだ人たちである。第2のタイプは、自分は市民的不服従には参加しないが、第1のタイプを支援するだけにやってくる人たちである。合法的な時間が過ぎれば、彼らはチャーターロードを出て、チャーターガーデンまたはクイーンズスクエアに行く。彼らは、「愛と平和によってセントラルを占領する運動」の意向書で最初の選択肢を選んだ人たちである。第3の人たちは、市民的不服従に参加するかどうかをまだ決めていない人たち。合法的期限が近づく最後の瞬間にチャーターロードに居残り続けるかどうかを決めるつもりの人たちである。

警察にはセントラル占領の市民的不服従市民のデモ参加者を排除するために十分な時間があると、私たちは考えていた。何千人もの人たちが参加するだろうと予測していたが、私たちは参加者に非暴力で規律を厳格に守るよう求めていた。私たちは、すべての参加者がそれに従うとはいえないまでも、ほとんどの参加者が確実に従うように詳細なアプローチを準備していた。

私たちが「香港基本法」第27条により保証された平和的デモの自由に対する憲法上の権利を行使する。これはまた、「香港基本法」第27条によって保証された言論の自由と密接に関連するものである。「香港基本法」第39条では、「香港人権法」第16条および第17条の憲法保障条項により表現の自由、表現の自由および平和的集会が保証され、これらの条項は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」第19条および第21条に準拠したものであり、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」が香港に適用される部分である。

元の計画が実際に執行されていれば、「公安条例」における未認可による組織的集合に関する一部規定に違反する可能性はあったが、私たちが行おうとしていた集会は公衆への不合理な障害にはならないと考えていた。占領されるスペースは、道路を含めて祝祭日には一般に自由に公開使用が認められているからである。染料を計画した期間のうち、最初の2日間は休日であり、残りの2日間は週末にあたっていた。

集会の場所が政府ビルそばのティムメイアベニュー、立法会ロード、ロンウイロード【8】の歩道及び道路(以下、「デモ区域」と呼ぶ)に移り、集会のテーマ、指導者、組織及び参加者の構成は変更されたものの、その精神は変わらなかった。 2014年9月27日と28日に、人々はデモ区域での集会に参加するよう呼びかけられた。これは、それは依然として、市民が平和的デモの自由と言論の自由の権利を行使するものであった。

【8「ティムメイアベニュー、立法会ロード、ロンウイロード」:2011年に香港特別行政区政府本部が議会とともに移転した、香港アドミラルティの新設政府総合ビル周囲の道路。】

同様の集会は、2012年9月3日から8日にかけて反国民教育運動【9】におけるデモ区域でも行われた。その時は、市民はまだシビックスクエア(政府ビル東側前庭)に入ることが出来たことを除けば、2012年9月の反国家教育運動における占領空間は、2014年9月27日と28日において警察がデモ区域へのすべての通路を封鎖するまで占領されていた空間とほぼ同じである。

【9「反国民教育運動」:2012年夏、香港政府が新学期から愛国教育を含む国民教育課程を必須化することを決めたことに対して巻き起こった反対運動。夏休みを徹して行われ、最終的に政府側が「強制」を撤回するに至った。当時若干15歳だったジョシュア・ウォンがデモの先頭に立ち、注目されるようになった。】

2012年の反国家教育運動以来、このデモ区域は公衆参加型の大規模な公的集会を組織して、香港特別行政区政府に反対することができる公共空間として広く認識されてきた。言い換えれば、公衆はデモ区域を香港市民が集まり、平和的デモの権利を行使するための重要な場所だと認識しているということである。

私たちも抱いていたこのような公衆認知に基づき、2014年9月28日の早朝に「オキュパイ・セントラル」を予定を前倒しして宣言したときには、私たちには他の場所ではなくデモ区域に人を集めるつもりであった。デモ区域外の場所を占領することは、当時の私たちには想像することができなかった。誰もそんなことは考えていなかったはずである。

梁国雄【10】による香港特別行政区訴訟案において、最終控訴裁判所は《平和的な集会の権利は、政府(すなわち行政当局)による積極的な責任を伴うものであり、合法的な集会が平和的に行われるための合理的で適切な措置を採る必要がある。しかし、政府は合法的な集会が平和的に行われることを保証することはできないため、いかなる措置を採るかについて政府は広い裁量権を有する。何を合理的で妥当とするかについては、個々の場合におけるすべての状況に照らして決定する。》と指摘している。

【10「梁国雄」:元立法会議員。根っからのマルキスト、社会主義信奉者だが、中国政府とは一線を画す。】

例えば、検察側の証人として出廷した黄基偉・刑事部長は、あまりにも多くのデモ参加者が隣接する歩道に集まったため、警察はデモ参加者の安全を考えてデモ区域の道路を封鎖したと証言している。政府に反対する人たちが平和的に集まり、香港特別行政区政府に対する不満を発散するために公共の空間を設けることは、香港社会にとっての公共の利益となる。たとえデモ区域を長期的に集会が選挙することは「公安条例」に違反するものの、公衆に共通する損害をもたらすことはない。影響を受ける公衆はほんの一部であり、生じた不便さは比較的小さいものである。

楊梅雲氏が香港特別行政区を訴えた裁判【11】において、最終控訴裁判所のキーマル・ボカリー常任裁判官はこう述べている。《『香港基本法』第27条では、集会、行進あるいはデモは路上の路上の自由通行に何らかの妨害が加わるというだけで撤回されてはならないと保証している。本官は、造成される妨害が不合理、つまり引き起こされた干渉が合理的に公衆に許容されるレベルを超えたという場合を除き、集会、行進またはデモの保障は失われてはならないと考える。この件について、本官は、大型で大規模な集会や行進やデモの参加者には、そのような大規模な活動のみが効果的な意見表明に役立つとする理由があると考える。また、最もはっきりと考慮すべき関連要因として、妨害の深刻度と妨害の時間的長さがあると考える。しかし、その他の関連事項として、香港は以下の点についても考慮すべきだと考える。それは、関連する妨害が発生する前に、1回あるいは数回、ある種あるいは多くの方法で妨害行為を起こす人はいなかったかということである。合理的な公衆の許容度を予想するには事実とレベルの問題でもあり、この質問に答えるにおいて、裁判所は必ず、なんの前提もなく関連する自由を守ることは、まさに合理性の定義であり、合理的かどうかを判断する要素の一つとしてのみ用いられるかどうかを決定するだけのものではないことを記録しておくべきである。》

【11「楊梅雲氏が香港特別行政区を訴えた裁判」:詳細不明。】

デモ区域の集会に参加していたデモ参加者は、デモ区域の道路が警察によってブロックされたため、障害にはならなかった。警察は、デモ地域の安全を守り、安全で平和的な集会の権利を行使させるため、デモ地域の道路を閉鎖した。たとえデモ区域がある程度の障害となったとしても、デモ参加者が平和的デモのための憲法上の権利を行使していることを考えると、その障害は不合理とはいえない。

2014年9月28日にデモ参加者がフェンウィックピア・ストリートとハーコート・ロードに向かったが、やってくる人々はその路上ではなく、デモ区域に来るように呼びかけられた。人々がデモ区域にやってきてデモ参加者と合流できるよう、警察はデモ区域につながる道を開放するよう求められた。デモ区域への道を警察が閉鎖しなければ、すべてではないにせよほとんどの人がデモ区域に入ることができ、道路は占有されることはなかったはずである。それによって催涙弾を使用する必要も起こらなかったはずだ。

警察は市民がデモ区域で公開集会を開けるようにする責任を負っているが、警察はデモ区域を閉鎖し、人々が公衆集会に参加するためにデモ区域に来ることを妨げた。デモ区域の参加者には、デモ区域に人々を招き、デモ参加者と合流するよう声をかけただけであり、デモ区域外に障害を起こす意図はなかったし、またはそれを引き起こすことすら不可能だった。

警察は、大量の人たちがデモ区域外からデモ区域に入ろうとしているのを見ても、無責任にもデモ区域への道を開放することを拒否した。デモ区域外で起きた障害とその後起きたすべての出来事に対して、警察は責任を負うべきである。

警察が87発の催涙弾という過剰な武力を使用してから、すべてが変わってしまった。あれほどの催涙弾が発射されるとは誰も予想しておらず、現場は私たちのコントロール可能な状況を超えてしまった。その時になって私たちは最も大事なのは、運動に参加した人たちを無事に帰宅させることだと感じ始めた。催涙弾発射後の数え切れないほどの日々の間、私たちはできる限りの力を尽くして路上占拠を終わらせようと努めた。

催涙弾発射後の数え切れないほどの日と夜の間、私たちはできる限りの力を尽くして路上占拠を終わらせようとした。学生リーダーが主要政務官と対話できるよう働きかけたす。私たちは、撤退の手段として市民投票を受け入れることができるかどうかをさまざまな当事者と話し合った。我われは染料空間での投票を準備した。最終的にはそれは機能しなかったものの、私たちは本当に最善を尽くし、思いつく限りの方法でその目標を達成しようとした。最後に、私たちは2014年12月3日、警察に自主した。アドミラルティの占領は2014年12月11日に収束した。

<不適切な訴追>

これは不適切に公共迷惑行為の容疑で起訴された裁判である。

ホフマン卿がRvジョーンズ(マーガレット)裁判で指摘したように、検察もまた、市民的不服従のルールを守るべきであり、彼らの行為も制約されるべきである。

「ケンブリッジ・ロー・ジャーナル」48号1989年3月号55-84ページに掲載されたJ.R.Spencer氏の論文「Public Nuisance - A Critical Examination」(公衆の迷惑 - 重大な検査)には、次のように書かれている。《近年、公共迷惑で起訴されたほとんどすべてのケースには、以下の2つの状況のうちいずれかを見ることができる。1.被告の行為が明文化された法律に違反したものの、通常軽微な罰であるべきなのに、検察官はより大きい、または過分な痛みをもたらそうとする。次に、被告人の行為は明らかに全く刑事責任を伴わないものであるが、検察官は彼を告訴するためにその他の罪名を見つけることができないというものである。》ビンガム卿はRv Rimmington裁判【12】において、この検察官の公共迷惑罪を使った訴追に隠された動機に対するJ.R.Spencer氏による批判を採用した。

【12「Rv Rimmington裁判」:イギリスで500通を超える民族差別的な嫌がらせの手紙が複数の人に届けられた事件の裁判】

明文化された適切な一つの容疑によって市民的不服従事件の違法行為をすべて論じることができるならば、なぜ公共迷惑行為という容疑を使って訴追するのかという質問は合理的であろう。たとえそれを手続きの乱用とはいわないまでも、この裁判を担当する検察官がホフマン卿がRvジョーンズ(マーガレット)裁判で指摘し、採用された市民的不服従のルールに違反しているのは間違いない。なぜなら、彼は行為を規制しようとしていないからである。

これは、不適切に陰謀や扇動を罪名にした訴追である。

同様に、市民的不服従と平和的でもの権利に関する出来事において、陰謀や扇動を罪名に訴追を行うのは過剰行為である。陰謀の起訴事実として、検察から提出された証拠は私たちの公開発言です。定義によると、市民的不服従は公開された行動でなければならない。もしこれらの公的発言を起訴事実として用いるならば、すべての市民的不服従を萌芽段階で潰してしまう。市民的不服従は光栄なことからまったく意味のないものとなり、出現しなくなってしまう。さらにひどいことに、社会に萎縮効果をもたらし、合理的な発言の多くは潰されてしまう。言論の自由に対する制限はこうして強化されていくことになる。

香港のコモンローにおいては扇情罪について未だ議論があり、しかし、このような犯罪があるとしても、市民的不服従と平和的デモの自由の権利に書かわる事件が陰謀と扇情の罪名で起訴されることは、過剰であり、不合理であり、不必要なまでの過失責任の拡大である。

主要容疑が人に疑念を抱かせる公的迷惑であることからして、扇情によって公的迷惑を引き起こしたとして訴追するのは、さらに過失責任を明らかな不合理なレベルに広げたことになる。検察官の行為がそれほど過剰で不当なく、起訴容疑も適度なものであれば、私たちも抗弁するつもりはない。いずれにせよ、告発が過剰で不合理であるため、私たちの抗弁が法律の処罰を拒絶しており、違反者に対する市民的服従ルールに反していると見なされるべきではない。

いくつかの問題については、私の立場では答えにくい。検察官がRvジョーンズ(マーガレット)裁判でホフマン卿が摘した市民的不服従のルールに反している場合、結果はどうなるのか? 誰がその間違いを正すのか?

<法の支配を守る>

結局のところ、これは香港の法の支配と高度の自治に関わる裁判である。

法の支配と憲法を研究する香港人学者として、私は司法の独立に頼るだけでは香港の法の支配を支えることはできないと考えている。真の民主主義体制がなければ、政府の権力は濫用され、市民の基本的権利は完全に保護されることはできない。民主主義がなければ、「一国二制度」の下における香港の高度な自由へのますますひどくなる侵害に抵抗するのは難しい。「雨傘運動」の後、香港が民主を達成するための旅の道のりは終点までまだまだ長い。

最終酵素法院のロバート・タン元常任裁判官が退任前の法廷でこう述べている。《裁判官が法の支配を守り、香港の価値と適用を永遠に変えないと決意したところで、ネックとなるのは裁判官に対する社会の心からの支援である。それはどういう形での支援なのか? 私は全面的かつ徹底的な支援でなければならないと考える。もし裁判官が不当に攻撃された場合、その立場を守って支援していただきたい。ただし、特定の出来事が起こったからと彼らの支援を表明する必要はない。それでは足りないし、それではおそすぎるかもしれない。皆が力を会わあせて社会における法治にふさわしいムードを育てていくべきである。私たちは、香港が報道の自由と選挙の自由を持ち続けるために、あなたの投票に重要な役割を果たしてもらうために声をあげるよう努力しなければならない。信じて欲しい、自由の代価は常に警戒し続けることであると。さらに重要なのは、永遠にあなた自身の力をあきらめたり、過小評価したりしないこと。もし社会全体が法の支配を支持すれば、それを奪い去ることは簡単にできなくなる。決してそれを簡単にさせてはならない。》

私たちは皆、香港で法の支配と高度の自治を守る責任がある。私はここで、私の人生における長い時間を過ごし、今に至るも香港の法の支配を守り続けており、またそれは香港の高度な自治において不可欠な部分である。私は決して諦めず、また香港の民主主義のために戦い続ける。

私は、法の支配が市民的不服従に正当な理由を与えてくれると信じている。市民的不服従と法の支配には、正義を追求するという共通の目標がある。市民的不服従はその共通の目標を達成するのを確実にする有効的な方法であり、少なくとも市民的不服従は、長期的にその他の方法でもその目標を達成できるというムードを生み出すムードをもたらす。

もし我われが本当に罪に問われるとしたら、その罪名は香港が苦しんでいるこの時期に希望を振りまいたことでしょう。わたしは刑務所に入ることを恐れたり、恥ずかしいと思ったりしない。この苦い一杯を避けることができないのであれば、わたしはなんの悔いもなくそれを飲み干すでしょう。

【最終弁論訳・了】

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