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【ぶんぶくちゃいな】そして大海は劉暁波氏の聖地になった

「天安門四君子」の一人、劉暁波さんが亡くなった。2008年に中国に立憲制を求めて起草された「零八憲章」起草メンバーとして逮捕され、2009年末に「国家転覆扇動罪」で11年の実刑判決を受けて服役中だった。

2010年にはノーベル平和賞を受賞、本人不在、さらには夫人の劉霞さんも政府に軟禁されていたため、授賞式に向かえず、受賞者の椅子は空っぽなまま賞が贈られた。その日から「空の椅子」という言葉やそのイメージは、そのまま劉暁波氏を指す象徴となった。

だが、今年5月に病院内の検査で劉氏が末期の肝臓がんであることが分かり、6月初めに病院に移送された。同月末に初めて、夫人の劉霞さんが友人にあてたビデオメッセージが公開されて、大騒ぎになった。本当にごくごく少数の人しか知らなかったようで、「手術はできない、放射線治療もできない」とビデオの中で泣く劉霞さんの姿に暁波氏と親しかった人たちも衝撃を受けた。

以上のことは、これまでの日本のメディア報道で散々語られてきているので、目にした人も多いだろう。香港など劉氏のことを自由に報道できる地域では「Wikipediaから引っ張ってきたような解説ばかり」と嘲笑されるほど、メディアではその存在が繰り返し繰り返し報道されている。

そりゃそうだ。香港は今、次々と中国政府がふっかけてくる無理難題と圧迫感に苛まれている。かつてイギリス植民地において享受できていた自由が、「祖国」に回帰した今、逆に削られていることに気がついている。知らないうちに社会に多くの「語られないタブー」が出現し、あちこちでそれに足を取られるようになった。自由や民主を中国国内で求めた劉氏への共感は過去ないほど高まり、その死に「末期と分かって放り出した」とますます中国政府への不信感につながっている。

かくいうわたしは、劉氏とは面識がない。知り合いに彼と親しい友人がちらほらいるので、何か起きたときにはその話を耳にしていたが、残念ながらご当人にお目にかかったことはない。

なので、ここで劉暁波氏についてわたしが知ったかぶりをして語るのは、あまりに故人に対しても読んでくださる方に対しても失礼だ。

それでも、そんなわたしでも劉氏の死は知らぬふりをして通り過ぎることができないほど大きな出来事なのである。

同氏の人となりについては、氏とも面識のある、時事通信社元北京駐在記者の城山英巳さんが出稿した記事をフェイスブックで公開しておられるので、そちらをご参照いただきたい。そして、わたしにできることとして、同氏とその死がどんなふうに中国の人々に語られているのかの現状をお伝えしたい。

●「知られていない」という「事実」

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