「真理について」覚え書き

「理論上あり得るが、現実には存在しないものは、『真理ではない』と言い切れるか?」


たとえば、数学の問題を想定しよう。
「縦の長さX、横の長さY、高さZの長方形を想定する。ここでX>0,Y>0,Z=0とする」
この時、面積はXYである。
さて、ここで問題となるのは、現実においてそのような面積は存在できるのか?という事だろう。高さ(あるいは厚み)の存在しない面積を現実で実現できるだろうか?個人的には出来ないと思われる。
さて、この場合、数学的に導かれているが真理ではないのだろうか?(そもそも、数学によって導かれたものは真理であるという仮定が隠れている)
仮に、高さ0の面積が「真理」なのであれば、「真理」は、必ずしも現実世界に存在できる必要はない事になる。
さて、更に考えてみると、「そもそも人間という生物に『真理』が得られるかどうかも分からないのではないか?」「なぜ、『真理』は知的な生物なら到達できると信じるのか?」「なぜ、『真理』を論理的な思考によって獲得できると信じるのか?」などの疑問が生まれる。
「真理が生物学的な人間の生存可能な領域内に潜んでいるという保証はない」

個人的には、まだ妥当だと思える結論を導き出せていない。これらの問いに取り組んでいる研究などはあるのだろうか?探してみる価値はあるだろう。

「真理が設計図のようなものだとしたら、現実世界は建造物かもしれない」

正しい設計図だとしても、正しい建造物であるとは限らない、という可能性。
あるいは、正しい設計図であり、正しい建造物が創造されたとして、それが必ずしも「人間」に都合が良いとは限らない。
それが仮に、地球全体または宇宙全体などにとって役立つものだったとしても、「人間」に役立つものだと必ずしも言えない。
「真理が人間に微笑むはず」というは、ストーカーが「私があの人を好きなように、あの人も私の事を好きに違いない」と言っているような印象を受ける。
科学者や哲学者などの知的な探求者とは、真理という対象にストーキングを行う者たちなのだろう、と現時点の自分は結論を出す。

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