見出し画像

他人の子を𠮟れなくなった時代

子どもがまだ小さかった頃、スーパー銭湯によく行っていた。
水風呂に入っていた時、ちょっとプールのような感覚がしたのだろう。子どもたちが頭まで潜ってしまった。すかさず、近くにいたオジイが「こら! 潜ったらダメだって書いてるだろ! お父さんがちゃんと注意しなさい!」と、まあ、えらい剣幕で怒られた。
それ以来、うちの子どもたちはスーパー銭湯に行かなくなってしまった(笑)。
知らない人に叱られる(怒られる)のは、誰でも気分の良いものではない。じゃあ、叱らなくも見過ごしても良いかと言うと、それは時と場合による。

エレベータの中で、うるさくしていた子どもがいた。みんな、(うるさいな)という目で(私も)見たと思う。その時、その子どものお母さんは、私を含め他の人の視線を感じ取ったのだろう。「ほら、静かにしないと、怖いおじさんに怒られるよ」と言った。
正しくはない。
怖いおじさんに怒られるから静かにするのではないはず。怖いおじさんがいなくて、やさしいおばさんだけなら良いのか?

水風呂のオジイは、態度変容を促すような言い方ではなかった。(ったく、水に潜りやがって、このクソガキ、むかつくな)という精神状態が見て取れた。だから、あまり素直に言うことを聞けないのだ。いや、もちろん、すぐ水風呂からは出たが。
ショッピングセンターで走っていた子どもを怒鳴っていたオバアもいた。「危ないぞ! 走ってんじゃない、こら!」
危ないのは誰か?という話だ。子どもか? いや、ぶつかってしまうかもしれない自分(オバア)なのだ。

いまの世の中、叱り下手の大人と、叱られ下手の子どもだらけなのだ。

子どもたちが走って危ないと思うなら、走らないように態度を改めさせたいなら、「ほら、あそこにぶつかったり、転んでケガしたりするから、走らないで歩くようにしましょうね」と言えば、子どもも納得する。
そこには子どもに対する愛情が垣間見えるからだ。
そう、叱るという行為には愛情が不可欠なのだ。
本当に危ない(大ケガをする、死ぬかもしれない)緊急事態には、大きな声で怒鳴っても良いと思う。大人が本気で怒るほど危険な状況だという場合は。

本題に戻る。
という訳で他人様の子どもを叱るのは難しいのだ。
良かれと思って、他人の子を叱っても親が感謝しない。どこのだ誰だか知らないおやじが何ですか、うちの子に?となる。
学校の先生が叱ってもクレームを入れる親もいる。うちの子がすごく叱られたって言ってるんですけど? 昔は、こんなこと言う親はいなかった。子どもが少なくなって希少価値となり、親は子どもを、必要以上に大事に育てているからだ。
一方で、再三繰り返しているが、叱るほうの問題。こちらも下手になってるので、一時の感情で叱る大人(先生も)多い。さらに、困った状況としては、「そこは危ないから上らないほうが良いよ~」と柔らかく言っても最近の子どもには効き目がない。(ふん、おっさんに関係ねえだろ)と子どもは思う。
知らない人間に関与されたくないというメンタリティが大人にも子どもにも渦巻いているんですね。
態度変容を求める時の言い方、トーン、声の大小、アフターフォロー、いろんな要素とテクニックが、「叱る」には必要なのだ。

「叱り方教室」が、そのうちできるかもしれませんね。

他人の子どもを叱るのは本当に難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?