WNNN_wanonuno

元雑誌編集者→wanonunoディレクター. 創業75年で幕を閉じた家業大西旗店のイズムを継承し、和の布の魅力を伝えます。We tell the charms of traditional cloths in a HIP & POP way.

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元雑誌編集者→wanonunoディレクター. 創業75年で幕を閉じた家業大西旗店のイズムを継承し、和の布の魅力を伝えます。We tell the charms of traditional cloths in a HIP & POP way.

最近の記事

む? noteについて。

何ごとも無理は禁物です。 ふと、思ったのです。あれれ。何のためにnote始めたんだっけ、って。4回書いたところで、はて、と。書くべきテーマをメモに書き起こさなきゃと、TO DO(すべき)になってしまったりして。いかん、いかん。継続はチカラなり、と言うけれど、無理したら絶対ぜったい続かないことを知っている。 「徒然なるままに、想いを記したい。のこしたい、そんなふうに考えております」と、はじめてのnoteに書いてある。と言って無鉄砲に書いても読む人に迷惑じゃないか、とか。考え

    • そして意義を考える。

      「え、原価率ってなんですか」とか言いながら初速を上げ、周りの多大なるチカラを借りながらHP制作に向け動きはじめたワタクシ。とはいえ、中身がしっかりしていないと始まらない。どんなコンセプトで? 何を?どんなふうに? というワケで、心を鎮めてブランドの方向性がなんたるか、をまずは考えてみたのでした。 何をしたいブランドなのか まずwanonunoを知ってもらうためにはどうしたらいいのだろう。良いプロダクトを生み出しているブランドであっても、その存在が認知されていなければ意味

      • 値付けとか。未知との遭遇。

         両親が布にまつまるあらゆるものを受注していたのは知っていました。暖簾にのぼりに社旗に手ぬぐい、Tシャツや風呂敷などなどその種類が多岐に渡ることも。ですが、どの工場にどの商品製作をいかに発注するか、オーダー時にどんなポイントに注意するかなどなどわからないことばかり。そして先ず手始めに、特に困ったのはコレでした。 エ?値付けってどうやるのん?  特に困ったのがズバリ値付け。何故かといいますと、いままでのわたしの主職である制作進行やライターの仕事には仕入れがなかったのです

        • ワノヌノを始めたワケ。その2

          前回に引き続き、ブランドを立ち上げたワケを綴らせていただきます。せわしなく業務をこなす日常を送るとついつい忘れがちな原点回帰ができるので、備忘録としても良きですね。さて記してみたいと思います。 専門学校に通うも中途退学 意気揚々と通学するのですが。並行して昼間にはじめた地元浅草の出版社でのアルバイトが楽しくて、楽しくて(出版社は当時のバイト先、銀座線田原町ドトールのお客さんに紹介してもらった)。タイミングよく大好物なジャンルであるHIPHOPのファッション&カルチャー雑誌

          ワノヌノを始めたワケ。その1

          こんにちは。両親が店仕舞いをしたからって、なぜわたしがブランドを立ち上げディレクターになるに至るか。について、をば。 両親と商売に育てられた幼少期 なんて大それたこと言うてますが。振り返ると商いとはこうあるべし、人としてこうあれ、的な家訓を叩き込まれたような気もしています。たとえば。スタッフの方々が朝晩、店と自宅を繋ぐドアを開けて挨拶しにきてくれてくれたり、バブル期後の両親の憔悴ぶりを体感し、さらにはその事情を知った周りの人の対応を実際に見聞きしたことで、人間の性を垣間

          ワノヌノを始めたワケ。その1

          はじめまして。な自己紹介。

          わたしはワノヌノディレクター。 wanonunoというブランドを展開中のオオニシです。はじめましてです。齢43歳。2歳の娘がおります。縁あって昨年から手ぬぐい、法被、風呂敷、暖簾といった和の布を使った日用品のブランドディレクターとなることに。事業内容は、企業・ブランド様からオーダーを受けたアイテム制作をメインに、最近、オリジナルアイテムの製作に取り掛かりはじめました。 3代目。旗屋の娘として。 生まれは台東区合羽橋。祖父が創業した合羽橋本通りの旗屋を継いだ両親の長女とし

          はじめまして。な自己紹介。