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養子は可哀想ですか?

特別養子縁組の当事者であると告げると、可哀想だと言われる。

・・・というのは、比較的よく聞くことだ。

でも、養子は可哀想だと、発言する前に考えてみてほしい。
どんな側面から見て、可哀想なのだろうか。
実の親から「引き離されて」いるから可哀想なのだろうか。
実の親の元にいれば、可哀想ではない、のか。

「生みの親」と言うとき、恐らく「産みのお母さん」ということになると思う。
お父さんはいない、一緒には暮らしていない。それでも、片方だけでも、生みの親と一緒にいたら可哀想ではない、のか。

特別養子縁組の制度を使って子どもを迎える親は、比較的余裕がある親である確率が高かった。
特に、私たち世代の子どもを環の会を通して迎えた親は。
一方、中学生とか高校生で子どもを産み、育てることになる場合、当然ながらその産みの親は経済的に自立していないことが多い。
それでも、産みの親の元で育つ方が可哀想ではない、のか。

このように書くと、何だか産みの親側を責めているようにも見えるかもしれない。
でも、そうではない。
十月十日、お腹の中で守り育ててくれた。産んでくれた。
そして私が幸せで生きられる最善の策を考え、苦渋の決断の末、その選択をしてくれた。
感謝をしている。

その人が可哀想か、可哀想ではない、かなんて、他人が決めることではない。

特別養子縁組の当事者に対してだけではなく、日常会話の中でも「え〜可哀想!」そんな会話をすることは少なくないかもしれない。
何が可哀想で、何が「本当に可哀想」、なのか。その安易な言葉は誰かを実は傷つけていないか。
言葉を発する前に、一度再考してみることが必要なのかもしれない。

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