【不妊治療奮闘記】クラインフェルターとの向き合い方

たくさんの子供たちに囲まれた人生それは……、現実になるはずの小さな夢でした…。

私が結婚したのは男としては早い23歳の時。子沢山で幸せな家庭を作る事こそが、我が夫婦共通の夢でした。しかし、、、いつまでも子宝に恵まれることがないまま月日は流れ、意を決した妻が病院で検査をしました。この時すでに結婚から2年の月日が経過しています。「異常は無いですね…奥様は。」医師から告げられた検査結果。不妊の原因が女性だけとは限らない現実を知り、数日後私は、専用容器に採取した精子を持って病院へ向かいました。。。

みなさん、『クラインフェルター症候群』ってご存じでしょうか?。本来性染色体は、男性はXY・女性はXXですが、クラインフェルター症候群の患者は、XXYの染色体となっている、いわゆる遺伝子異常です。現代の医学をもってしても、詳しい原因は不明なのですが、一般の方にでも分かりやすい表現で言うと「無精子症」なのです。突然医師から告げられたこの現実は、これから二人を苦しめることになります。

例え妻に原因があったとしても一人の男としてその現実を受け止め、二人で一緒に困難を乗り越えるだけの覚悟は持っていました。しかし、まさかその原因が自分自身にあったとは思いもしませんでした。少なくとも私はその現実を受け入れる事が出来ず、穏やかだった日常に荒波が立ち始めます。ただ子供が欲しかっただけなのに自分は病気、異常者…しかも治らない…。幸せだったはずの日常からドン底に叩き落とされました。夫婦関係はギスギスしはじめ、当たり前だった日常が、非日常へと変わり始めます。今まで淡い期待を持っていた2人に、「子供が出来ないかもしない」という重い現実がのしかかります。この日を境に夫婦喧嘩が増えました。今思えば、もしもあの時子供を諦めていたら、我々は離婚をしていたと思います。

その後、病院で紹介状を書いてもらい最後の望みをかけて更に大きな専門病院へ。残念ながら、そこで再検査をしても結果は変わりませんでした。目まぐるしく変わる状況の変化に気持ちの整理もつかないままでしたが、無常にも時間は流れます。そんな中、一縷の可能性を病院から告げられます。それは、精巣を開いて中から精子を見つけるという「TESE精巣精子回収術」というものでした。簡単に説明すると、もし精子が無くても細胞組織を採取して培養する事が出来るというもの。それは、無精子症患者にとって希望の光とも言える施術でした。結果的に私はそれにチャレンジするのですが、この後に待ち受ける壮絶な経験をするとは、この時は知る由もありません…。

陰毛を除去され、手術衣の下は全裸。男といえども羞恥心はあるわけですが、二人の夢の為にはこんな事でくじけている場合ではありません。点滴をしながらオペ室へ移動。そして局部に麻酔をされます。めちゃくちゃ痛かった事以外の記憶は一切ありません。気が付いたらベッドの上でした。麻酔が切れると疼痛が暫く続きます。2、3日続きました。残念ながら、私の精巣から精子を見つけ出すことは出来ず、結局取り出せたのは精巣の細胞組織だけでした。一方妻は、近くの病院で排卵誘発をさせる薬を飲んでました。上手くいかない時は注射もしたと思います。私の手術日に合わせて治療してくれました。

手術当日、妻の体内から卵子を取り出し、私から取り出した細胞組織と顕微受精しました。複数の受精をした結果、3つの培養に成功し冷凍保存してもらいました。かなり確率は低かったと思いますが、それでも嬉しかったのを覚えてます。後日、一つ目の細胞組織を妻の身体へ戻し着床してくれるのを願いましたが、、、結果は着床しませんでした。どのような結果になっても受けいれるつもりでいましたが、やはり精神的ダメージは大きかったです。。藁をもすがる思いで子宝神社へ行ったりもしました。


二つ目の細胞組織を戻す時が来ましたが、もう正直不安しかありません。自分ではどうしようもないのですが、かなり精神的なストレスもあったと思います。結局二度目も着床することはありませんでした。あと一回分しかないという現実が、さらに2人を精神的に追い込みます。病院から私に、もしも次うまくいかない場合は再度「TESE精巣精子回収術」が出来ますがどうされますか?と聞かれましたが、残念ながら私には残された気力はありませんでした。めちゃくちゃ子供が欲しいのだけれども、それ以上に痛みへの恐怖が私を襲い掛かかります。低確率であることは予想はしていたものの、予想以上の重い現実を受け止め、妻と相談して断ることにします。もし次の三つ目がダメだったら子供は諦めよう。すなわちそれは、二人の夢をあきらめる事になります。まさに苦渋の決断でした。

そして三つ目の細胞組織を戻す時がきました。その日は今までで一番身体の状態が悪かったと思います。しかしここから奇跡がおきます。それまであまり信じてませんでしたが、神様っているんですかね?なんと三つ目で着床し、妻が妊娠をしました。地獄から天国とまでは言いませんが、一つの光が見えた瞬間でした。その小さな命は順調に育っていき、エコー写真を見せてもらった時には、段々とその実感が湧いてきたのを今でも覚えています。途中、切迫早産になるアクシデントもありましたが、妻は1週間ほどで退院出来ました。

そしてとうとうその日がやってきます。その産ぶ声を聞いた瞬間からもう涙が止まりません。2人で号泣し、とにかく妻には感謝の想いを伝えました。この4年という月日をもって、我々の不妊治療との戦いは幕を下ろすこととなりました。もちろん不妊治療は二人だけの力で何とかなる問題ではありません。我々を支えてくださった病院の方々や家族の支えに感謝しています。それから数十年、おかげさまで娘は元気に育ってます。私達みたいなケースは多からずあると思います。先が見えない厳しい現実につらい思いをしているかもしれません。また、諦めずに向き合い治療すれば必ず授かるとは言い切れません。ですが私はそういう方々を応援したいのです。諦めずに頑張ってほしいです。かつての私たちのように。。。

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