いちご白書をもう一度

4/20は母の命日。

39年前の4月20日 は今日とおんなじ火曜だった気がして、確認しようと日記を引っ張り出した。

当時の1冊目の日記が見つからない。(どこにやったんだろ?)
2冊目、3冊目… と、ついつい読んでしまった。

高校3年生、大学1年生…

18歳の私。

日記書いててよかった。

忘れていたこと、忘れちゃいけないこと、いっぱいあった。

恥ずかしいこと、消してしまいたいこともいっぱい。

あの頃の私が自分の気持ちと向き合い、拙いながらも一生懸命言葉にしてくれたおかげで18歳の自分に戻れたよ。

おいおいおい、受験直前にぐだぐだ日記書いてないで勉強しろ!って何度もツッコミ入れちゃったけどさー

いつかキミと行った映画がまた来る
授業を抜け出してふたりで出かけた

お風呂に入ってる時、なぜか「いちご白書をもう一度」を歌ってた…

悲しい場面では涙ぐんでた
素直な横顔が今も恋しい

そして、突然思い出した。
この歌を小さなバーのカラオケで歌って、誰かに褒めてもらったことを。

誰に……?

大学一年の頃に付き合っていたY君だった。

バーやディスコ、私の知らない世界に連れて行ってくれる彼は、田舎から出てきたばかりの芋娘にとっては「不良」だった。
浪人で一歳年上、タバコも麻雀もやるからよけいに「不良」に思えた。
私の友人は一目見て「軽そう… やめたがいいっちゃない?」と忠告した。

Y君は、家庭教師先のお宅にまで(先方の許可なく)私を連れて行った。
そして、初めての彼女だからと早々に私を自分の両親に引き合わせた。
両親は私を気に入ってくれて、その日はお泊まりした。

両親不在の日、彼は私を自宅に呼んだ。
すぐに友達3人がやって来て、彼らは麻雀を始めた。
麻雀わからない私は、手持ち無沙汰で課題のための読書。
時おり申しわけなさそうに目配せしてくる彼に微笑みを返し、何度か台所に立って飲み物を用意した。

真夜中過ぎ、よそ様の家でコップと灰皿を洗いながら、眠い頭で考える。

ここに来る途中、彼の親戚にばったり出会った… 
ああ、悪いことはできない、やっぱりお天道様は見ている、ご両親の留守中に上がり込むなんてやめとくべきだった…
しかも、友達と徹マンだなんて… 
私だってレポート書かなきゃいけないのに…
あの部屋、煙草モクモクで嫌だ…
ずっと体育座りしてるからお尻が痛い…

だけど、彼の友達はそれぞれ素敵な青年で、紹介してくれたのは嬉しかった。

夏休み、彼がバイトすることになった大型スーパーの家電品売場は、偶然にも私の叔母の家のすぐ近くだった。
様子を見に行った私は彼の姿を一目見たとたん吹き出してしまった。ふだんはいかにも「軽い」格好の彼が、スーツ姿できちんと真面目に勤務しているのが可笑しかったから。
「お客さんが、ちゃんとこっちの話を聞いてくれるったいね」と嬉しそうに話す、その笑顔を見て、ああ私はこの人のこういう誠実さ、あったかいところが好きなんだよな~と思った。

それからまもなく、彼は会う約束を何度もすっぽかし…

結局、私はフラれた。

はっきりカタを付けた日は、帰宅後すぐに一部始終を書き残している。
(以下、日記より一部抜粋)

でも、こんなとこで泣いたんじゃあ、彼はきっとすごく弱ってしまうだろう。困らせちゃいけない。
私は彼ばかりを責めちゃいけない。ありがとうと言わなくちゃいけない。
最後まで私はものわかりのいい女を演じたつもりだ。つとめて明るく、何気ない感じの…
彼にも言ったけど、一番残念なのは、あまりに短すぎたこと。お互いなんにもわかり合ってなかったこと。
私のいいところも悪いところも、あの人にすっかりわかってもらえはしなかった。それが何より悲しい。

(中略)

でも、彼は「本気だった」と言ってくれた… それだけでいい。
大学の角のところで別れーーーー別れたとたん涙がにじむ。あーあ、やっぱりね…
今考えると、彼の前で泣いて最後くらい少し困らせた方が良かったかなとも思う。
     
(以上)

なりふり構わず頑張って話をする場を作ったのに、フラれた理由は「はっきり」してもらえず。
それから何ヶ月も、私は部屋で一人になると、フラれた自分が惨めでかわいそうで泣いた。

就職が決まって髪を切ってきた時
もう若くないさとキミに言い訳したね


自分自身の経験とは関係なく、「いちご白書をもう一度」の中でいちばん好きなのは、この部分の歌詞だ。

私も大学4年生になり就活大苦戦。
夏を過ぎ、秋を過ぎた頃になってようやく一社に拾ってもらった。

そろそろ引っ越し準備をという頃、Y君が就職が決まったお祝いをしたいと言ってきた。

ファミレスで食事している間、彼はずっと「いや~すごいね」と、褒め言葉を連発。
就職が決まったこと、知名度のある企業であること、念願の東京勤務であること、みんなすごい!と。
それもそのはず、当時彼自身は3留して退学処分となっていたから。

彼はいつもの調子で屈託なく笑いながら「いや~本当にすごいよ」と繰り返した。
身内でもないのに自分の前途を心から祝福してくれる人がいる、それは本当に得がたいことだ。
これからまた新たに「知らない世界」へ踏み出そうとしている私へのあたたかい見送りに感謝した。

心の痛みはもう消えていたように思う。

数年後、誰かが教えてくれた。
彼はどこか地方の私立大学に入学したらしい、と。

さらに月日が流れ…

Y君と約30年ぶりで再会した。

オフィス街のスペインバルで食事をしたあと、カフェでコーヒーを飲みながら、私は思いきって尋ねた。

あの時… どうして私はフラれたの?

彼は少しためらいながらも「はっきり」と、短く答えた。

ああやっぱりそうだったのか。

彼は、それだけが理由で、私について言えば何の落ち度もない、悪いのは自分だ、と言ってくれたけれど…
私はもうあの頃の私じゃなくて、その点に関しては自分も悪かったのだと十二分にわかっている。
だから、ちゃんと今の気持ちを言葉にして謝った。
心から反省できるようになったのは、歳を取って(そう、まさに、「もう若くないさ」ってやつ)いろんな経験をしたから… 
たぶん中年になってからだね。

最後に会った時は23歳と22歳だったふたり。

30年は長い。
彼の外見はすっかり変わっていて、かなり戸惑った。
けれど、話していて次第に、ああ確かに彼だと感じることができた。
あの笑い方、穏やかな声…
少し遠慮がちな話し方、でも、言葉遣いはストレート。

しかしーーーー
彼が私との間にあったあんなことこんなことを完全に忘れてしまっていて、それは私にとっては信じられないくらいショックだった。
そこ、別れの原因とも密接に関わることで…
すごーく大事なところ。

「30年ぶりの再会」を含め、これまで3度会う機会があった。
が、結局彼は大事なことを思い出してはくれなかった。

もし思い出してくれたなら…

それと煙草をやめてくれたら(笑)

私は彼の気持ちに応えた… のかもしれない。

私だって日記を読み返さなければ忘れてたこといろいろある。

授業を抜け出してかどうかわかんないけど、一緒に映画を見に行ったこと。
それは「いちご白書」じゃなくて(笑)「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」だったこと。

ふたりで話して、長い夜を過ごしたこと。
優しい、甘い、時間…

やはり、彼だけのせいじゃない。
あの頃の私もまた、彼を苦しめていたと思う…

このコロナ禍、どうしてるのか気になってたし、連絡してみようかな。

そして、聞いてみよう。
いちご白書を褒めてくれたのは、19歳の時のあなただっけ?と。

雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔があざやかによみがえる…

キミも見るだろうか、いちご白書を
ふたりだけのメモリー、どこかでもいちど

まあ、あんな大事なことさえ完全に忘れてたくらいだから、まったく憶えてないでしょうけどね~~

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