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母との関係

私の母はジャイアンだ。

昔でいうよろず屋を、
親子二代で営んでいた家に嫁いできた我が母上様。
店の隅に追いやられていた化粧品に目を向けた、
若き日の彼女は一念発起。
母には商才があったようで、
「この町にこの店あり」とまでは言わずとも、
地元の人に「〇〇」と言えば
ほぼ全員から「あ、あそこね」と返ってくるまでには店は大きくなった。

そしてそれは夫婦のパワーバランスにも大きな影響を及ぼすこととなり、同時に子供である私と姉にとってもまた然りだった。
母は絶対的存在として君臨したのである。
ジャジャーン!

一家の大黒柱という気負いも勿論あっただろうし、
それは大人になった今なら理解する。
とはいえ、仕事の疲れと家庭内のストレスが全部私たちに降りかかってくるんだからたまったもんじゃなかった。

突然イライラして怒られたり、
二言目には「誰のおかげで」や「出て行け」といった類の、無力な子供にはおよそ応戦のしようがない言葉で責められた。
母が納得するまで謝らないと許してもらえなかったし、少しでも反省の色が見えないと判断されると、さらにまた怒られた。
そりゃもう散々なのである。
のび太のくせに生意気だぞ!の世界である。

その上、なぜか極度の心配性。
おまけに過干渉。
子供の意見や意思は二の次、
「親の言うことを聞いておけば間違いない」は
何度聞いたかしれない。

あるいは、例えば体調が優れず寝ていたとする。
そんな時は決まって「昨日どこそこに遊びに行ったからだ」と嫌味を言われた。いつしか、体調が優れなくても必死で隠し通す癖がついた。
聞くも涙、語るも涙。

他にも、
喉がイガイガしてエヘンと言えば「うるさい」と怒られ、なんとなくソワソワしていると「トイレに行きたいのか」と怒られる。

もうここまでくると、書いていて笑いが込み上げるなぁ‥笑
「そんなやつ、おらんやろ〜。チッチキチ〜」
なんちゅうネタの宝庫。

昔、友人の結婚式に出席した際
「私が小さい頃にお皿を割った時、お皿はまた買えばいいけど、あなたが怪我しなくて良かったねと言ってくれる、その優しさが嬉しかった。」
という新婦のエピソードが披露され、私は仰天した。文字通り、天を仰いだ。ジーザス。

そんな家庭ですくすくと育った人にはわかってもらえないだろうけど、母と本音で会話ができたことは、ひょっとしてないかもしれない。

ところがどっこい、
そんな母との関係はまさかの展開を迎えることに。
つい先日のことだ。
私の息子のことで(つまり母にとっては孫)意見が衝突した。
はじめは、やはり母の気持ちを収めることに一生懸命だった私。が、どんなに歩み寄ろうとするも、母の私に対する嫌味は延々終わらない。

そして思った。
もういいや、と。

言いたいことも言わないで仲良くしたって意味がない。私の本当の気持ちをぶつけて関係がこじれるなら、もうそれでいいじゃないか、と。
もうほっといてくれ、そんな気持ちだった。

静かに静かに、キレる私。
全部ぶちまけると、なんと今度は母が折れてきた。

ジャイアンが本気で心の底から謝っている訳ではないのは、なんとなく透けて見えている。
(いや、ジャイアンが本気で心の底から謝らないことはないかもしれないが。ごめん、ジャイアン)

だが表面的とはいえ、
ジャイアン‥いや母が歩み寄ろうとすること自体がアンビリーバボーなのだ。
天地がひっくり返っちゃったのだ。
「その時、歴史は動いた」なのだ。

そしてそれ以上に私を驚かせる、
私の中に湧き起こる爽快感、充実感。
え、なにコレなにコレ。
本音を言うって、こんなに気持ちのいいことだったのね!再び天を仰ぐ。ジーザス!

そりゃ私にとっちゃ、何十年分の思いの丈だったんですものね。
詰まっていたパイプが一気にガーッと通ったんですものね。

「誰であろうと私の心を土足で踏み躙ることは絶対にさせない」とガンジーは言ったそうな。

誰にも私を傷つける権利はない。
私は傷つけられることを許可しない。
私は私を大切にする。
そう自分で自分に宣言すること。
そうすれば不思議と相手も変わる。
変わるべきはまず自分だったんだ。
自分の意識を変えると、問題が問題でなくなるんだ。それって本当だった。

母の性格は何も変わっていない。
きっとこの先も変わらない。
それに対する私のスタンスが変わっただけ。
でも、そう決めた私が発する何かが
確実に二人のあいだの「場」に現れるのだと思う。

変わるべきはまず自分。
そのことに気づかせてくれた存在という意味では、
ジャイアン‥あ、いや母に感謝なのかもしれない。
心の友よ〜‼︎


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