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貸与型奨学金の貸出基準はもっと厳しくするべき

@今日のニュース分析

貸与型奨学金は卒業後・大学後に返還する義務がありますが、給料の低さなどから奨学金の返済に苦しむ人も多いようです。給付型はともかく、貸与型は奨学金という皮をかぶった借金にすぎません。

私が思うに奨学金返済で苦しむ人を減らすためには、貸与型奨学金の貸出基準を厳しくするしかないと思います。具体的には現行の貸出基準に加えて、最低限の読解能力があるかを貸出前に調べる必要があると思います。

なぜなら文章を読んで理解する能力があれば、返済が厳しくなった時でも「減額返還制度」や「返還期限猶予制度」について調べて理解し活用することができると思うからです。ちなみにこれらの制度は日本学生支援機構が運営している奨学金での例です。

現状だと返済ができない人ほど救済制度について調べて理解したり、必要書類を作成することができていないのではないでしょうか。返済能力がない人や救済制度を活用できない人に給付型奨学金(=借金)を貸すのは優しさではなく、ただの無関心だと私は思います。

@わんこふの日記

昨日は「船の科学館」と「日本科学未来館」へ行きました。
船の科学館は本館が営業停止中で入れなかったのですが、南極観測船として使われた「宗谷(そうや)」は見学することができました。オレンジのカラーリングが特徴的な宗谷ですが、この船は面白い歴史を持っています。

実は宗谷は元々、ソ連の発注で作られた耐氷型貨物船でした。しかし第二次世界大戦などの影響もあり、完成後はソ連に引き渡されることはなく日本で貨物船として使われることになります。しかも竣工の約2年後には海軍の所属船となり、物資輸送などに使われたようです。戦時中には宗谷に魚雷が命中したのですが、奇跡的に不発で、逆に爆雷によりアメリカ軍潜水艦を撃沈しました。またトラック島大空襲では宗谷だけが無事に帰還しました。こういった出来事から宗谷は「強運の船」と呼ばれることもあります。終戦後は海外にいる日本人の引き揚げや灯油補給船として使われていましたが、1956年からは実に6回も初代南極観測船として役目を果たしたのです。

ちなみに第一次南極観測の際には南極物語で有名なタロとジロが乗っていたのですが、この時乗っていたカラフト犬はタロとジロだけではなく、なんと22匹もいました(ほとんどが南極に置き去りにされて死んでいます)。ちなみにタケシというオスの三毛猫(珍しいですね)と2羽のカナリヤもいました。当時はアフリカ大陸南部のケープタウンを経由するルートで南極に行っており、途中で赤道も通過するので、航海中は非常に暑かったようです。人間は扇風機で暑さを耐えていましたが、カラフト犬は暑さに弱いので(当時は高価だった)クーラーのきいた部屋で涼んでいました🐶また宗谷はローリング(横揺れ)が激しくなんと60度以上も傾くことがあったようです。当時の航海は過酷ですね、、、

船の心臓部は8気筒ディーゼルエンジンで、これが二基あったようです。8気筒なので、1基につきピストンが8個あるわけですが、ピストンの直径が48cm、高さが約1mと化け物級のサイズでした(ちなみに自動車のピストン直径はせいぜい7cm程度です)。

他に私が気になった事といえば、生活排水の処理方法です。まず宗谷の時代は汚水の浄化装置など付いておらず、(おそらく)垂れ流しでした。しかし現行の南極観測船は廃棄物処理室や生活汚水浄化装置が装備されています。つまり、技術や経済が発展して社会が豊かになるほど環境や弱者にやさしい世界になるという一例を示していると思うのです。経済が発展するとエネルギーの枯渇や環境破壊につながるという主張をする人がいますが、私はむしろ逆なんじゃないかと思います。

少し長くなりすぎたので、日本科学未来館に関する日記は明日書こうと思います!ではまた🐾

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