見出し画像

23-24冬の二拠点生活のわりとリアルな振り返り

冬が終わりましたね。白馬において正式な冬の終わりとは、すべてのスキー場が営業を終了するGW最終日を意味します。

世の中的に春になってからはほとんど滑ってなかったのだけど、せっかくなのでこの節目に23-24ウィンターシーズンにやってみた葉山と白馬の二拠点生活について振り返ってみたいと思います。

こういう生活をしようと思った経緯や、やってみて今のところどうですということは中間振り返りに書いているので、こちらから読んでみてね。

シーズン後半は、前回の記事の最後にも書いた「この身をどこに置いて生きていくか」についてずっと考えていました。身体はひとつしかないし時間は24時間365日なので、その配分の最適解を探りたい。

住まい、仕事、移動、生命活動、食生活、人間関係の6つの観点から振り返ってみます。

二拠点生活の理由:どちらにもいたいというただの欲張り

白馬にも住むことにしたと言うと「仕事で?」とよく聞かれるけど、仕事と暮らしが繋がった生活をもう何年もしてきているので、その質問はもはや意味がよくわからない感じです。

ただ「仕事で?」という質問の裏に、そちらに住むのは外的要因によることなの?という意図が含まれているのだとすると、答えはNOです。私がそうしたいからそうしているというただの欲張りでしかない。どちらも欲しかったから自分の意思でこういう生活を作った。仕事や家庭の都合でやっている人も多いので、この前提の違いは大きいと思ってます。

ちなみに二拠点の理由として「自然を求めて」という人は多いけど、私の場合は「雪山と海」の二拠点なのであまりそれは当てはまりません。自然が身近にあることはすっかり当たり前になってしまっているという贅沢。

それぞれの自然

住まい:どっちにも借りてる

もともと住んでいた神奈川県葉山の自宅はそのままに、昨年の12月中旬から長野県白馬にも部屋を借りています。滞在割合は冬の間は白馬のほうが多く月15-20日くらい、どちらでもない地に旅行することもあったので、葉山には月7日未満の帰宅でした。

家の環境や置いてあるモノ、かけているコストをトータルで考えた「設備充実度」は、葉山70%、白馬30%くらいの感覚です。

葉山の家は、海岸まで歩いて10分。
白馬の家は、スキー場まで歩いて10分。

我ながらなんて素晴らしい場所を確保してるんじゃ、とびっくりします。

葉山は全部揃った専有空間ですが、白馬のほうはキッチン・お風呂・洗濯機がシェアの共同住宅です(個室内に洗面所がついているのは大きい)。こちらは事務所感覚で使っているようなところもあります。逆転しているけど。

仕事:リモート自営業だけど、地域に入りつつある

仕事はフリーランス的で、仕事の都合でどちらにいなければ、というのはありません。ただ、リモートといっても常に在宅ワークではなく、人と会って話したり現場に出たりという機会は多いので、特定の場所へ行くことも大いにあります。

ミーティングなどはほとんど自分主導で、私がいなければ行われないものが大半なので、何かに予定が縛られたり不都合なスケジューリングになってしまったりということはない。もちろん相手の予定と合わせることは必要だけど、自分でコントロール可能なのは二拠点する上で大きいかな。

そしてパソコン作業や会議はどこからでもできるけど、地域に根ざした活動や、特定の地で行われる自然相手のプロジェクトとかもあるので、そういう意味ではフルリモートではないのかも。もうリモートの概念がよくわからない。

カフェで仕事という意味では白馬のビューが最強
葉山もワーキング環境の快適さはいい感じ

移動:長距離運転がやっぱりしんどい

基本的に移動は車。片道ノンストップで5時間かかります。運転は好きなほうだと思うけど、やっぱりわりと疲れてしまう。私の場合は「眠気」が本当に大敵で、カフェインが効かない身体なので何をしても眠くなってしまい、眠気に負けるとSAで仮眠するしかなく、いつもなんだかんだ7時間くらいかかってしまいます。調子がいいときは無休憩でいけるのだけど。

車移動に関してはいろいろと思うところがあります。効率や時間を考えたら公共交通機関もいいけど、私の好きな地域はどこも車が必要。それに移動にはモノの運搬も伴うし、途中の地域でも制約なく動きたいので、結局車になってしまう。移動時間を生産的にするためにはどうしたらいいかな?と考えているけど、限界があります。

深夜移動しがち
いろんな乗り物に乗ってはいる

生命活動:光、水、空気、音などによる生命体としての変化

住んでみて意外と大きいなーと気づいてしまったのが、生命体として必要不可欠なエネルギーのバランスが変化することによって受ける影響のこと。

思えばもう5年以上、海抜ゼロメートルの海街で暮らしているから、たぶん肉体がその環境に適応しはじめているんですよね。急に標高が高く気候も違う雪国に暮らしはじめたら、ずっと身体がだるいし、朝なぜか起きれないし、メンタルも鬱気味になるし、うまくいかない。

天候によってメンタルが左右されるとかよく聞きますよね。太陽光がどれだけ浴びられるかや、飲んだり浴びたりする水の質、吸って触れる空気の温度と湿度、自然が発してくる音(鳥の鳴き声とか)の違いで、今まで保たれていた生命活動のバランスが崩れてしまったり。

そろそろ現実を認めるならば、この観点では圧倒的に葉山のほうが身体に合っているようです。どうしよう。

心身の平穏が保たれる土地

食生活:あまり健康的ではない明らかな二極化

食生活についてもあまりポジティブではないです。

葉山にいると基本的に菜食で、新鮮な魚や野菜を自炊して食べています。外食するにしてもヘルシーなお店が多いので、意識しなくても健康的な食事ができる。お酒はほとんど飲みません。

一方で白馬にいると、付き合い柄の外食が多くなってしまうのも理由だけど、なんだか肉と酒ばかり摂取している……。いや嬉しいことなんですよ。ご馳走していただけることや供給していただける食事もあるし、本当にありがたい。だけど現実として、白馬で崩れたバランスを葉山に帰った週で整える、みたいな感じでした、ずっと。社交が続くと身体が悲鳴をあげています。その意味でも、二拠点だからなんとかなっている部分は大きい。

自分の選択による部分も大いにあるだろうし、白馬の人に申し訳ないから言うか迷った。だけど事実として私自身の食生活はひどい形で二極化してしまい、ストレスになっています。

こういう食事を食べていたいんだけどね

人間関係:雪山と海、いる人たちは全然違う

地域によって人種って本当に違いますよね。人種とか書くとちょっと差別的になってしまうかもしれないのだけど。住んでいる人たち、性格も嗜好もライフスタイルもなにもかも違う。

どう違うかは言語化が難しいです。だけど自分が同じ行為をしたとして返ってくる反応は違うし、見られ方も変わる。会話のキャッチボールのリズムとか進み方も、コミュニティの色も違う。人間関係の濃密さや、噂の回り方も笑。

海外なら違いすぎて「異文化」として諦めがつくことも、日本では同じ日本人だし日本語を話すから、その違いがやたら引っかかってしまうことがある。昔はどこにでも住めると思っていたけど、その違和感がわかってきた最近は、災害などで長く暮らした地元に住めなくなったおじいちゃんおばあちゃんとかが不安になる気持ちがよくわかるんですよね。慣れ親しんだ土地で、コミュニケーションの取りやすい人間関係で生きていくことって、人間にとって大事なのかも。

どちらのコミュニティも好きは好きです。違いはあるけどそれがいい。

現実的なところはそんな感じ。あとは「居場所」について感じている抽象的なことがいろいろとあるから、またそれは次回にでも。そしてこの先の展開も、次々回にでも。いろんな発見があって面白い冬でした。ありがとう。


さらに書くための書籍代・勉強代に充てさせていただきます。サポートいただけると加速します🚀