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怖いけどやめたくない、文章を書くということ

note歴が3年になったようです。

はじめたのが2016年10月ということですね。キャリアチェンジを考えていた頃だったので、何か書かなきゃと思ったのかな?覚えてないけど……。

無駄にアーリーアダプターなのでいつも登録だけは早いのだけど、それから2年近く使わず(すみません)、やっと表向きに文章を書こうと決意できたのは2018年8月のことです。

そして、はじめて書いたnoteがバズりました。

それから調子にのって、何度かバズりました。おかしなバズもありましたが。

バズという表現は好きじゃないけど、たくさんの方に読んでいただけるのは驚きでした。

「言語化」というスキルについて、褒めていただくことが増えました。

言葉でわかりやすく説明すること、誰かが考えていたことを言葉にすることが得意なのかもしれないと少しだけ思い始めました。

インタビューライティングなどのお仕事もやらせていただくようになり、書いていたからこその巡りあいも増えました。

書いたものを人目に触れさせたことで、良いのか悪いのか、人生がけっこう変わってしまった気がします。


noteというプラットフォームについて何か言うのはおこがましいのでやめておいて、自分にとっての「文章を書く」ということについて、今一度考えてみたいと思います。

文章を書くことは、気づけば生活の一部になっていて、自分にとってはあまりにも身近な営みでした。

“読まれる”ことの原体験は、実は小学校のころにあります。作文で何度か表彰されることがあり、自分の考えを文章にしたものが誰かに読まれ、評価される嬉しさを知りました。

でも私の時代の小中高って、インターネットとかもそんなになくて。文章を書いて公開する術は、学校でやる「作文」くらいしかなかったんです。

だから中学・高校では毎日日記をつけたり、隙あらばひとりで文章化したりしていました。何かしら言語化しておく習慣はあの頃についたんだろうなと思います。ほんとしょーもない内容なので、封印必至ですが。


長年、「自分のため」にだけ書いていて、表に出すことをしてこなかった。歯磨きしている姿をYouTubeで公開する人がいないのと同じです。当たり前すぎるし機会もないし、怖さや恥ずかしさも勝っていました。

mixiとか、アメブロとか、はてなブログとか、実はコロコロと変えながらも「ブログ」はずっとやっていたのですが、ただそれを全然表に出してこなかったんですよね。探さないと見つからないような感じで。

あと、気持ち悪いと思うんですけど、今でもその習慣で暇さえあれば何かを書いていて、メモに500万倍くらいの文章が溜まっています。

書いて満足しちゃう。人からの反応に臆病すぎて、「公開」までたどり着けない。そんなのが溢れるほどあるのです。

これが普通じゃないと気づいたのは、けっこう最近です。とりあえず文章化してみて何かを考える、思考に文章を要する、というのは、誰もに当てはまることではなかったんですね。

自分の文章力が飛び抜けて高いとは思わないし、偏りもあると思います。

たとえば、わかりやすく説明するような文章や概念の言語化、黒子になって誰かの想いを伝えることはできるけど、自分発で心を揺さぶるポエティックな文章は書けません。小説とかもむずかしい。

けど、まあまあ書けるようになったのは、「仕事を通して書くしかなかった」からでした。

基本的なライティングのルールや作法は、学生時代にやっていた小論文添削のバイトで身につけました。(添削する側なのに身につけていて申し訳ない)

フリーペーパーで書かせてもらって、書いて報酬を頂く経験をしました。求人広告をつくるお仕事もやっていて、人を動かすコピーのなんたるかを学びました。

PRの仕事をはじめて鬼のようにプレスリリースを書き、鬼のようにプロのライターさんの原稿確認をして。ときに自分でPR記事を書かなければならない状況も出てきて……(本当はダメなやつ)。

「ライター」と名乗って働いた経験はなかったけど、思い返せば書く仕事をいろいろやっていました。だからフリーになったとき、成り行きで書く仕事を受けられて、ブランドコンセプトや公式サイトの文言など、書かせていただくジャンルが広がって。インタビューライティングでは素敵な編集者さんに恵まれて、さらなる学びがありました。

書くこと自体は昔からやっていたけれど、それが人目に触れ、他人からの評価を受けるようになったのは、ようやくここ数年のことです。

書くことは本当に怖いな、と、これまで何度か感じています。

意図や文脈そっちのけで切り取られた言葉が広がってゆき、インターネットの海を勝手に泳ぎ、突然たくさんの矢が向けられる。「言葉は刃物」というけれど、こっちから刃物を投げつけることもできるし、書いたほうが傷つけられることもあるのだなと恐ろしくなりました。


最近は、ほんとうに書いて公開することに対して腰が重い。。

だからnoteもあまり書けないし、書いてもすぐに消したくなる。

昔からブログも作っては消し、作っては消しでやってきました。バーンと出して消したくなってしまうのが嫌なので、あまり公開もしないようにしています。だから、そこそこ認知してもらえているこのnoteがまだ消えてないのって、私の長い「書く歴」上では奇跡に近い。

本当に恐怖なのだけど、素敵な出会いもたくさんあるし、なるべくやめたくないなと思っています。だから、お願いだから、お手柔らかにお願いしたい。

文章を仕事にすることに対しても、そんな理由ですごく抵抗や迷いはあるのですが、海外にいたりすると「日本語で書ける力」は自分のスキルとして認めていくしかないし、育てていかなければなとも思います。

書くことそのもののスキルももちろん向上が必要だけど、それ以上に私の場合は、書いて表に出すことへの抵抗感、書くときの心理的ハードルを、つぶすほうが大事かも。

文章を書く、というのは本当にあれですね。ハードです。でもかなりの可能性を感じたりもします。動画の時代とかいわれるけど、人は言葉によって動くというのは、たぶんしばらく変わらない。

何と戦っているのかわからないと思うけど、今はそれを書くのにも勇気がいるので、やめておきます。noteの影響力が強すぎてね……。

頑張って向き合っていきたいです。4年目もよろしくお願いします!


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