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「定住して暮らす」という新しい旅

オーストラリアから帰国して、神奈川県の海のほうで暮らしはじめた。

その経緯やらここ数年の出来事などは改めて書こうと思っていたのだけど、急に衝動に駆られたのでとりあえずの雑記として残しておく。

今、暮らしを築くことが楽しい。長いことシェア型住居やらホテルやら実家を物置きにしたノマド暮らしやら、モノを減らしていつでも動ける状態でやってきたため、ある程度腰を据えて暮らすのは5年ぶりになる。

物理的にはかなり落ち着いているのに、自分としては旅していたとき以上に旅している感覚がある。“定住して暮らす”という長らく人生から排除してきた領域に足を踏み入れることが、今の自分にとっては何より新鮮で刺激的な「旅」だったのかもしれない。


2年前、私は単身オーストラリア・メルボルンへ渡った。スーツケースひとつで、Airbnbでひとまずの部屋を借りて。まずは3ヶ月ほど滞在するつもりだったけれど、荷物の量も意気込みも、一週間の旅とほとんど変わらなかった。

これを「すごいね」と言う人もいるのだけど、私にとっては何度目の行為かわからない。もう必要な持ち物はわかっているし、言語や文化のハードルで心をすり減らすようなこともずいぶん減った。初めての土地とはいえ、交通やインフラなどの勝手もだいたい予想がつく。旅のはじまりの不安とドキドキが入り混じるような感情は、もうほとんど湧いてこない。

知らない街はたしかに新鮮ではあったけれど、なんだか既視感のある光景だった。レストランやカフェに入り、少し観光地を見てみたりして、夜は知り合った人とディナーや飲みに行くなどする。新しい出会いや発見は多少ありつつも、なんだかどこかでやったようなことを繰り返しているだけだった。この街は違うんじゃないかと、シドニー、ゴールドコースト、ブリスベンと移動してみたけれど、私の感性はあまり動かなかった。

当時の私には、何かを変えたければ「行動する=場所を移る、自分が物理的に動く」しかなかったのだと思う。現地に行かなければ始まらない、自分で体験しなければわからない、考えてるだけじゃ何にもならない。そんな言葉たちはたしかに正しいのだけど、慣れてしまった人にはときに呪縛のように響く。

もう私は、旅みたいなことをしてもダメだ。現地に行ったって、足を使って動いたって、何も変わらない。外からの刺激にはもう心が動かない。海外に行ったところで何も起こらないことには薄々気づいていた。


しかしそんな動きたがりの葛藤は、コロナのおかげで強制終了させられた。ロックダウンにより日本との行き来どころか隣の州との州境すら跨げなくなり、思いがけず「ひとつの場所にとどまる」生活が始まった。

そのとき私は、バイロンベイという街の中心から少し離れたタウンハウス(一軒家的な)で、オーストラリア人と3人で住んでいた。ロックダウン中は毎日家にいることになったので、必然的に“暮らし”くらいしかやることがなくなった。

同居人はふたりとも、暮らしを楽しむ人だった。朝は必ずすべての窓を開け、フレッシュな空気を流すのがハウスルール。太陽の光を浴びて、庭にやってくる鳥たちに挨拶する。

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家の庭。朝は鳥の鳴き声がすごすぎてアラームいらず

テレビなど外界の情報を垂れ流す機器は家になかった。洗濯機はあるけれど、乾燥機や食洗機のような便利な時短アイテムはない。たっぷりの太陽に干す時間や、ゆっくりとキッチンに立つ時間も、惜しみなく楽しむ。

生活の工夫(彼女らにとっては普通のこと)もたくさんあって、ゴミ出し方法ひとつとっても東京スタンダードの私には新鮮に映った。「生ゴミ」という種類のゴミは存在しないことを学んだ(すべて庭の堆肥になる)。

明るく開放的な家で、料理をしたり楽器を弾いたり、思い思いの時間を過ごし、晴れた日にはウォーキングやサイクリングにでかけたり、夕方になればビーチにサンセットを見に行ったりする(当時は、軽いエクササイズのための外出だけは許可されていた)。

それが私のロックダウン生活。一般的にいわれる「憧れのスローライフ」を知らぬ間にやっていたのかもしれない。自然との共存を考えるほどなにもかもがシンプルになっていく、とても心地のよい暮らしだった。

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思わずガーリックをポートレートモードで撮りたくもなる


最高に快適な暮らしを楽しみながら粘ったけれど、いろいろ考えて日本に帰国することになった。

今はなんの苦労もなく日本の食材が手に入り、ネットショッピングをすれば翌日には届き、母国だから大きな買い物もできる。こんなに恵まれた環境なら、せっかくだしあの経験をもとに自分で“暮らし”をやってみるかと思えてきた。

最近の私は、スーツケースひとつに最小限の荷物を詰め込んだ生活から打って変わって、快適に暮らすためのモノを所有しにかかっている。無駄な消費はしていない自信があるけれど、自分だけの力では持ち上げることすらできないような大きな家具家電などを購入するのは、今まででは考えられないことだった(海外では家具付きハウスが多い)。

前みたいに思いつきで航空券を取って数日後に旅立つことはできなくなった。もしかしたら一ヶ月でも難しいかもしれない。ちょっと住んでみたい!の勢いで数ヶ月プチ移住などを考えるようなこともなくなった。

モノをひとつ買うごとに一箇所ずつ縛り付けられていくような感覚はあるけれど、なんだか新しい旅をしている気分だ。自分が動くことで未知に出会う旅から、自分が動かないからこそ未知に出会える旅へ。飽きっぽさは健在なので、次々に新しいことを試しては楽しんでいる。


「場所に縛られずに働く」という“だれかの憧れ”だった生活は、いっきに民主化して“みんなの選択肢”になった。2020年にアドレスホッパーのような生活を始めた人は多かったし、これからリモートワークをしながら海外に住む人も、好きな土地を転々とする人も増えるのだろう。

そんなご時世にこのコロナ対策ボロボロ空気どんよりの日本へ戻って、拠点を構えてモノを増やして、あえてフットワークを重くしているのは、時代への逆行のような気もする一方、なんとなく今はそのほうがいいと私の直観が伝えてくる。

この選択の裏には個人的な理由もいくつかありつつ、やはり海外に住んで活動をオンライン上に収める生き方になんらかの違和感を感じてしまったというのも大きかったりする。またそれは別のときに言葉にしてみようと思う。永久に日本から出ないと決めたわけではないし、先のことは全然わからないけれど。

コロナがなければ、たぶん私は今もふらふら移動して、たまに日本に帰国してはおいしいとこ(と美味しいごはん)だけ味わって、あーだこーだ言いながらビザを伸ばし伸ばし数年は向こうでやっていたんだろうけど。人生は予想外で面白い。

人それぞれの暮らしや住みかたの話、ライフスタイルや人生設計の話、聞いてみたいです。そういう話も、今年はいろいろしていきたい。おわり。

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