最後の就学相談会(その10)  《守りについて》エピソード1

《お兄ちゃんといっしょ》

「この子は親が守らなきゃいけない子だと思ったの」
だから、この子を守るための学校を探した。いくつも学校を見て回った。ふつう学級には大勢の子どもがいて、この子一人を見てもらうことはできないだろう。だから、少人数の落ち着いた場所の方がこの子を守れると思った。この子の安全も、気持ちも、学びも、守ってあげられると思った。だから隣の学区まで車で送り迎えするのも苦にはならなかった。

でも、数カ月たったある日、朝の車の中でこの子が聞いた。
「いつになったら、お兄ちゃんと一緒に行けるの?」
あれ、この子は、お兄ちゃんといっしょに学校に行くつもりだったんだ。

あまりしゃべらない子だった。
自分の考えていることや、気持ちを口にすることがほとんどなかった。
親が良かれと考えてあげたことを、この子はいつもうれしそうに受けいれてくれた。
私たちがこの子を大切に思っていること、大好きな気持ちはちゃんとこの子に伝わっていると思っていた。

そんなこの子が、車の前方を見つめながら、「お兄ちゃんと同じ学校に行きたかったな」とつぶやく。
今までずっとその気持ちを抱えて、毎日、この車に乗って通っていたんだ。
お兄ちゃんと一緒に行ける日を心待ちにしながら。
この子の気持ち、この子の決意が、不思議なくらいはっきりと聞こえた。
そういえば、ずっとこの子のためにと動き回ってきたけれど、一度もこの子には聞いたことがなかった。

「あなたはどうしたいの?」
聞いても仕方ないと思った。
学校がどんなところか、支援学級がどんなところか、この子は知らないのだから。
この子に聞いてもしかたない。この子のために考えるのが親のつとめだと思った。この子を守ることだと思った。

ちがった。
この子の声をきいたとたん、「そうだね」、「そうだよね」と思った。
ずっとお兄ちゃんが学校へ行くのをみてきたんだったね。
学校がどんなところか、お兄ちゃんを通して、ずっと感じてきたんだよね。
そして、自分も1年生になったら、お兄ちゃんと一緒に行ける、行くものだとずっと思っていたんだね。この子を守るには、この子の声をきいて、この子の思いを守らなくちゃね。

一度この子の声を聞いたら、思い当たることは無数にあった。
いくつもの場面を思い出した。
ランドセルを買いに行った日。
ランドセルを背負いながら、お兄ちゃんと笑っていた笑顔。
この子は、「自分の思い、自分の考え」を、「言わない」んじゃなかった。
いつも、この子は、表現していた。

       □

《転籍》

その日の内に、先生に伝えた。「お兄ちゃんと同じ校区の小学校に転校したいと思います。」
入学前はよく話を聞いてくれた先生の表情がくもった。
いつも丁寧に話を聞いてくれた教育委員会の人も首を傾げて、先生とよく相談してくださいというばかりで、手続きは進まなかった。
でも、翌年、2年生になる時には、お兄ちゃんと一緒に通えるだろうと思っていた。

でもだめだった。
この子の気持ちを伝えても、「子どものいうことですから」と返されるだけ。
あっという間に、2年が過ぎようとしていた。
来年は、お兄ちゃんは6年生になる。
一緒に通えるチャンスはあと一年しかない。

この子はまた何も言わなくなった。
親と先生の話を、この子はだまって聞いていた。
家の中の会話を、この子はだまって聞いていた。

もうだめなのかとあきらめかけたとき、就学相談会の小さな新聞記事をみつけた。
この子はもう2年生だけど、相談にのってもらえるだろうか。

3時間あまりこの子はおとなしく絵を描いていた。
相談会が終わってから「支援学級の2年生だけれど、ふつう学級に転籍することはできるだろうか」と尋ねてみた。

「どこにお住まいですか?」と聞かれた。
住所を告げると、「…ああ、それなら大丈夫ですよ」と軽い返事が返ってきた。

            □

《いける? だいじょうぶ?》

「本当ですか? でも今まで2年近く話を進めてもらえなかったんですが」
「大丈夫、大丈夫。親一人だとあまり話を聞いてくれないことが多いから、一緒に行きますよ。転籍、転校の要望書を出せば、まだ2月だから、4月には間に合いますよ」

あまり簡単に言うから、はじめは信じられなかった。
信じられなかったけど、うれしかった。
もうだめなのかと、あきらめかけていたから。
お兄ちゃんはもう6年生になるから、この子が一緒に通える最後のチャンスだった。
間に合うかもしれない。本当に大丈夫かもしれない。
この子の願いをかなえてあげれるかもしれない。

そう思い始めた時、黙って絵を描いていたこの子が、私の顔を見上げて聞いた。
「いける? だいじょうぶ?」
「うん、大丈夫だって。今度こそ、お兄ちゃんと学校に行けるって」
会の人たちもみんな、この子に声をかけてくれる。
「だいじょうぶだよ。お兄ちゃんと一緒に行けるから、心配しなくていいよ。みんなで応援するからね」


その週のうちに、会の人と一緒に転校の要望書を出して、教育委員会と話し合いをした。
私がびっくりしたのは、この子が自分で教育委員会の人にお願いしたことだった。
「おねがいします」「おねがいします」と何度も繰り返した。

小さいころから言葉の遅れがありますと言われ、人見知りで、人前で話したことなんてないのに。
親の私でさえ、教育委員会の人たちに、強く言うことは苦手なのに。
会の人たちが、「もうこの子は2年も待ったんです。大丈夫だよってこの場で言ってください」と強く迫ってくれて。

そのときだった。
この子は、自分から「おねがいします」「おねがいします」と言い始めた。
はっきりと課長さんの目をみて。
このおじさんが大丈夫と言えば、自分の願いがかなうのだと、分かっているようだった。
この子の声に押されて、私も、会の人たちも、大丈夫ですよねと話し続けた。

4月、この子はお兄ちゃんと手をつないで学校に向かう。

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