「つながり」という罠

今日はノー残業デー。業務内容は全く変わらないのに強制的なノー残業。上司の頭の中はノープラン。「そもそもお前らの仕事は時間内に終わるだろ。俺は大した仕事なかったぞ」と言わんばかりに押し付けられるノー残業。自分の担当業務だけやってればそりゃそうだ。でもそんな時代は終わっていますよ。

 そして家には帰らず、社内で開いた外部向けのセミナーに参加。平たく言えば就活を控える学生に対してキャリアを考えるようにと仕向ける講演だった。某有名大の教授とそのゼミ生のトークは私のレベルを遥かに超えていったが、足りない頭で理解できるヒントはたくさんあった。

 まず、東京とローカル(3~5万人の小規模都市)の違い。働きがいという指標に対して、東京では給料が、ローカルでは人とのつながりが重要視されているとの調査結果らしい。金は貰えるが人のありがたみが薄いのが東京、金はそこまでだが他人からの感謝の言葉が原動力になるのがローカル。どちらの働き方がいいのか?というと「人それぞれ」という取り留めのない結論にはなるが、理解はできる。生活の満足度も、東京で暮らす人よりもローカルで暮らす人間の方が高い。会社というものがそもそも社会課題を解決するための組織なのだから、より密な人間関係の中で、「ありがとう」という言葉をかけられながら働くことができれば、満足度は高まるよね。

 問題は「つながる」という言葉があまりにも軽く、あまりにも美化された言葉として使われていることに違和感を覚える。田舎で人とつながりながら働くのは幸せだ、楽しいぞ、とキャリアの偉い先生に言われると、理想郷のようにも見えてくる。だが、この「つながり」は一朝一夕でできるものなのだろうか。人間誰でもできるものなのだろうか。自分の経験から言えば、田舎のおっさんは昼間から酒を飲むなんて当たり前だし、下世話なエロ話を所かまわず大声でするものだ。田舎のおばちゃんは近所付き合いにうるさく、やれ隣の人があーだこーだ、あの人の家族はあーだこーだとネッシー並みに長い首を突っ込みたがる。

 そんなコミュニティの中に急に入っていって、いきなり気に入られる都会人や部外者が一体どれだけいるだろうか。これはサラリーマンにも言えることだろうが、特定の「あなた」に対してコミュニケーションの仕方を変えないとやってけないのではないか。意識が高い黒縁メガネな人に、最近おしっこのキレが悪くてねえ、なんて話をしても「なんだこいつ」で終わってしまう。下ネタ大好き親父に「オープンイノベーションが今日のアジェンダで~」なんて話をしてもまず嫌われる。

 真面目な話には真面目な自分を。エロ話にはとことんエロ話を。真面目な話ができてエロ話ができるやつが人類最強だと私は思っている。自分が好きな人間とコミュニティを形成できるほど田舎は優しくない。人間模様に全身どっぷり浸かり、振舞わなければ生きていけない。学生に対して、キャリアの話や「つながり」の話をするのはもちろん良いが、人とつながる力や振る舞いを身に着けさせるのも、社会で働くおじさんの役割だ。ガリガリ勉強し、真面目にキャリアを考えなければ生きていけない時代にはなってしまった。だが、息苦しさを捨て、大いに遊び、大いに飲み、大いにキャバクラに行くようなオールド人間になるのも、たまには必要でしょう。

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