きっと誰かに刺さる悪口を書き連ねてみる①
中学生のころ、妹と大喧嘩していた時期に、ある言葉を妹に対して言って大泣きさせたことがある。
「妹ちゃんって、鏡に映ると顔かわるよね」だ。おしゃれに熱心な妹が鏡に向かって何十分も髪の毛をいじくりまわしていたときに言った。
妹は泣きながら親にチクった。私は戸惑った様子で、「なんで泣くの、ただどっちもかわいいと思って事実を言っただけだよ」と弁明した。結果、私は怒られなかった。
だが、あの言葉を発した際、私は明確な悪意を持っていた。
人間の顔は、見慣れた鏡越しの方がなんとなく美しい感じがする。つまり、「あんた熱心に髪なんていじっちゃって、鏡で見た自分のことかわいいと思っているかもしれないけれど、実際はそんなことないからね」という悪意のニュアンスが文脈や口調から妹にだけ伝わり、親には伝わらなかった。
この頃から、私は誰かにだけ刺さる悪口を思いつくたびに快感を覚えるようになった。
自分の頭がよくなったように錯覚するときの気持ちよさに近い。
このような悪口を私は「マイルド悪口」と呼んでいる。最近はずいぶんと洗練されてきて、パターン化されてきたので紹介する。
以上である。
マイルド悪口の類似概念として、「テクニカル悪口」というものがある。
京都人的発想の悪口という点は共通しているのだが、マイルド悪口に比べて切れ味が鋭すぎる。面白くはあるのだが、確実に見ている側の心にダメージを与える。
私がやりたいのは、もっとライトに、マイルドに、どこかにいる「誰か」を恥ずかしさのあまり真っ赤にさせて、布団の中でバタバタさせたい、そんな悪口だ。
テクニカル悪口が「包丁」であればマイルド悪口は「針」といったところか。
以下、私が最近思いついたマイルド悪口を書き連ねてみる。
マイルド悪口の例
メンダコとか愛でてそう
メンダコが好きな人の中でも、メンダコが好きなのではなく、「メンダコが好きな私が好き」な人。そんな人に言葉の針を向ける悪口だ。
別にこれはメンダコである必要はなく、爬虫類とかでもよい。「変わっている私」を演出したい中二病女子の心をぐさぐさにできる。
「好きそう」ではなく「愛でてそう」にすることで、本当にメンダコがただ好きなだけの人を対象外にする。そんな技術も盛り込まれている。
ちょっと変わったものを「私って○○好きなんだよね」と喧伝する人にイラっとしたら、「わかる、お前って○○とか愛でてそうだよね」と言ってみよう。こうかはばつぐんだ。
ハシビロコウのぬいぐるみとか買ってそう
動物園のおみやげコーナーで働いている知人が言っていたのだが、売り上げNo.1はライオングッズでもなくゾウやキリンでもなく、「ハシビロコウのぬいぐるみ」らしい。
ハシビロコウとは、くちばしの大きな眼光の鋭い鳥で、あまり動かないことが特徴だ。
よくテレビやネットでも取り上げられている、珍獣的な人気のある鳥だが、なぜか一部の人にとっては「知る人ぞ知る鳥」のように思われているようだ。
よく考えれば、動物園に行ってもそんなにおみやげを買おうとはならない。
「ハシビロコウなんて買っちゃうセンスの俺」みたいな人が、おみやげ屋さんの経営を支えているのだ。
ブームの過ぎた漫画とか曲にハマって「ブームの過ぎた漫画とか曲にハマっちゃう私(笑)」とか思ってそう
メンダコとハシビロコウの悪口は、一見すると非悪口に見えなくもないので、「テクニカル悪口」の範疇にも入るかもしれない。
だが、今回の悪口はかなり悪意が前面に出ている。こういうタイプの悪口があるのも、「マイルド悪口」の特徴だ。
よくネットで見かける言説として、「人気アニメの放映中は逆張り精神で見れなかったが、ブームが去ってから見てみると面白くてハマってしまった」というものがある。
これを一ひねりしてみるとあら不思議。「逆張りを自認しているが順張りにも柔軟に対応できちゃう困ったちゃんで頭のいい私アピール」となる(言いすぎか)。
とにかく普通のよくある意見や感想に、ひとつまみの悪意を加えて「○○してそう」と言う。それがマイルド悪口の極意だ。
声とかでかそう
「声がでかいね」は悪口ではない。だが「とか」が入ると途端にそれは悪口だ。
声がでかい人間にも数パターンいるが、体育会系ツーブロックみたいな普通の声でか人間にはマイルド悪口なんて刺さらないだろう。
これ以上は……わざわざ言わなくても伝わるだろうから言わない。
メルカリで買ったものについてる手書きのカードはすぐ捨てちゃう私、とか思ってそう
もとは「メルカリの手書きカードを捨てられない私、とか思ってそう」だった。だが、これはマイルド悪口ではない。誹謗中傷寄りの悪口だ。
メルカリの手書きカードを捨てられないのは一般的な優しさ。その悪口を言ってしまえば、ただの暴言である。
そこで、内容を一ひねりしてみる。マイルド悪口の対象とは、中二病的な自意識を持つ人だ。カードを捨てて、なおかつそれをかっこいいと思っている人をからかうのがよい。行動を刺すのではなく、相手の「私」という自意識をしっかり刺しにいこう。
「然し乍ら」とか書いてそう
「然し乍ら」「有難う御座います」みたいに書いてしまう人には2種類いると思う。
ひとつは、単に知識がなくてとりあえず漢字変換しているタイプ。もうひとつは、「漢字の方がかっこいい」と思っているタイプだ。
このマイルド悪口の対象は後者だが、前者をも後者に見立てて対象としてしまうような悪意がある。面と向かって言うと喧嘩の種になりかねない。
そういうときに便利なのが、「お前中学生の時は絶対『然し乍ら』とか書いてただろ」みたいに応用することである。過去をほじくる体にすることで、笑いに昇華しやすくなる。
布団カバーのなかでゴロゴロに丸まった布団をいつまでも直さない自分に酔ってそう
「怠惰な自分に酔ってそう」でもいいのだが、これではターゲットが広すぎる。怠惰な自分に酔っているひとなんてごまんといるのだから、これではのれんに腕押しだ。
そういうときは、具体性を持たせてターゲットを絞るのがよい。「丸まった布団を直さない」という体験がある人だけに狙いを定めるのだ。
マイルド悪口は、ターゲットでない人にも「これ誰かに刺さりそうだな」と思わせてなんぼである。
ウォーターサーバーの熱湯の出し方がわからないけど使い方を教えてくれる人がいないのでいつまでも冷たい水を飲んでそう
これもひとつ前の悪口と同じで、具体性を持たせて対象を絞るやり方である。
「コミュ障そう」では間口が広すぎる。ウォーターサーバーに限定することで、より深く刺すことができる。
気を付けたいのは、「使い方を聞けないので冷たい水を飲んでそう」では「コミュ障そう」というただの悪口と大差ないことだ。
「教えてくれる人がいないので」とすることで、原因を教えてくれない人に一応押し付けることができる。そうして悪口の度合いを調整しているのだ。
センター試験の点数とかIQテストの結果を本当はちゃんと覚えてるけど「えー、何点だったかな、興味ないから忘れた」とか言ってそう
「センター試験の点数覚えてそう」でも立派なマイルド悪口なのだが、「忘れた」と言わせることで自意識をさらに責めている。
「共通テスト」世代の人はまだ点数を覚えていてもおかしくないので、「センター試験」としてみた。
DMとか送ってくる性欲マシマシの異性アカウントを「遊んでくれる人」って呼んでそう
これは5年ほど前にTwitterかどこかで見た悪口をマイルド悪口に変換したものだ。人間の承認欲求とインターネットリテラシーのなさを刺すタイプのマイルド悪口である。
さらに言えば、「承認欲求のある私」「インターネットリテラシーとか無視しちゃう私」を懲らしめている。そうとも読める。
ちなみに、「遊んでくれる人」を使うのは女性のイメージがあるが、男性でもそういう人はいるのだろうか。ちょっと気になる。
マイルド悪口はまだまだたくさん! 次回へ続く。
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