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私は特別な存在 10/22の夕刊

いや厨二病とかではなく。
あれあるじゃないですか。哲学的ゾンビ。
簡潔に言うとクオリア(意識とか主観?て言ったら良いの?)を持たない存在で、普通の人間と同じ様に振る舞う存在です。
仮に哲学的ゾンビがいるとするなら、その人間が哲学的ゾンビなのかどうかっていうのはその人間にしか分からない。
という感じの所謂思考実験的なアレです。
思考実験なので実際に哲学的ゾンビが存在し得るかどうかは問題にはならないし、多くの哲学者は存在しないものと捉えてるそうですが、
ま、いないとは言い切れませんよね。
だってそうじゃないですか?
さっきも言った通り、その人が哲学的ゾンビなのかどうかは他人にはどう頑張っても知ることができないので。
全人類が本当にクオリアを持っているのかは確認取れません。

ちなみに私は普通のクオリアを持った人間です。
まぁ仮に私が哲学的ゾンビであっても同じことを言うと思うので他人から見たら全く信用ならない言葉なのですが。
そんなことはどうでもいいのです。
大事なのは私がクオリアを持っていると認識しているという所。
何を言いたいのかというと、私が哲学的ゾンビでは無いと確実に言える存在はこの私ただ一人だけなのです。
そこで、タイトルの私は特別な存在に帰結する訳です。


えっと、そこでやっと本題に入る訳ですが。
私のよくある思考の癖として、自分と他人を切り分けて考える傾向があります。
これはさっき言った私は特別な存在という考え方に基づいたもので、ホスト界の帝王ことローランドさんの言葉をお借りして述べると「俺か、俺以外か。」という感じです。
私から見たこの世の最も基本的な構成は私か、私以外か。になる訳です。

この思考の利点としては、ある程度の解釈違いなら受け入れる事が出来るという点です。
理解できるかは別問題だけど。
例えば、pixivに転がってたssが私の解釈と全く違ったとします。私は「それは違うんじゃないの~?」と思いはしますが、私以外が書いたssなので「まぁこの人にとってはこういう風に作品を解釈したんだろうなぁ~。」と思ってその作品タブを閉じるだけになります。
厄介すぎるオタクだと、「それは違う!ギャー!」となる人も一定数いらっしゃるかも知れませんが、私は自分は自分。他人は他人。というスタンスなのであんまりそうなることは無いです。
まぁ地雷は二度と自分の目に付かない様にしますけど。
例えば百合カプをTS男女カプにしたやつとか、きららキャラの彼氏持ち概念とか、見るだけで冷や汗が止まらないので自衛してます。
そういうのが好きな方は、すいません。
私は本当の本当に無理です。
これが受け入れるのはできるけど、理解できるかどうかは別問題という事例です。

逆に欠点は、二次創作のssが書けないことです。
自分の解釈に全てを委ねることになるので、自分の解釈に自分で解釈違いを起こすと終わりです。
ずーっと自問自答を繰り返すループにはいるので。
あと、あんまり妄想をしないので。
こういうのいいなみたいなのを考えはしますが、基本的に私は人の作品から供給されてるもので満足してしまってるので。
とにかく受け身な性格なんですよ。
一方で、一次創作は二次創作に比べたら書ける方です。
一次創作は自分でしか書けないからね。

まぁこの話は以上です。
特にオチとかはないですね。はい。


日記の日付表記ですが、投稿した日時を基準に変えました。
翌日に書いたりすると日付に関係する言葉が使いにくくなるので。

あと書いてて気付いたけど、今回の文章いちいち直前の文章に理由付けしててきもいな。
なんか一辺倒な文章だし、言い訳してる感じがしてうざい。
まぁいっか。
ではまた。

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