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誰が本当の友人か―友人関係に常識感を求めすぎてしまった結果

私はその程度の位置づけだったか……
都合良く利用されていただけだったか……

気にしなければいいとは頭でわかっていても、そんな考えが頭の中を支配する。

そんな考えの引き金となった出来事がつい最近起きた。
友人(仮にAさんとしよう)と私は、あるSNSで双方フォローをしていたのだが、Aさんが私のフォローを外していたことがわかった。

SNSでのフォローを外すなんて、ネットの世界ではよくあることでしょ、と思うかもしれないが、少し説明させて欲しい。

Aさんとは数年来のリアルでの関わりがあって、それからSNSでも繋がるようになった。
関わるうちに共通点がいろいろあるとわかり、二人で会うこともあれば、他の友人を交えて会うこともあり、小旅行にも行ったりする仲だった。
SNS上での交流もあったため、この一年くらいはコロナ渦にあって今までより直接会いづらい状況だったが、なんとなく相手の状況が知れる感じではあった。

一回目の緊急事態宣言が解除された後、久しぶりにAさんと会う機会ができた。
比較的私の自宅から近い距離にAさんの気になるお店があるらしく、私を誘ってくれた。
久しぶりに会って、よもやま話が尽きないのではないかと思ったら、久しぶりすぎてか、あまり話も盛り上がらず、Aさんは次の予定もあったため、ほんの1時間ちょっとの時間だった。

お店から私の自宅が近いと述べたが、徒歩20分ほどの距離を歩いて家に帰宅したら、ちょうどAさんからLINEのメッセージが来た。
どうやら、Aさんがお店に忘れ物をしたらしく、お店から連絡をもらったそうだ。
お店に忘れたものは、貴重品のような類ではないけれど、少し高価なものだし、Aさんとしてはよく使用するものだったが、Aさんは次の予定に向かうために、すでに電車に乗っていたようで、引き返していないそうだ。
忘れ物のために、また別の日にあのお店に行かないといけないとしたらAさん不便だろうから、自宅が近い私が取りに行ってあげた方がいいのかな?
とはいえ、私が取りに行ってもまた直近でAさんと会う予定もないし、かえって本人が都合がよいときにお店に直接取りに行くなりするかな?
と考えていた次の瞬間だった。

Aさんから、「子羊ちゃん(私)さえよければ、お店に忘れ物を取りに行ってくれないかな? その後、私が子羊ちゃんに会いに行って、忘れ物を引き取ります」というメッセージが届いた。

私の自宅から比較的近い距離にあるとはいえ、その方面に日常的に用事もないので、忘れ物を取りに行くだけそのお店に行くのは面倒なのだが、まあ私自身、Aさんのために取りに行ってあげようかなとさっきまで思いを巡らせていたところだし、Aさんがその後私に会いに来て忘れ物を取りに来ると言っているから、Aさんのお願いにOKすることにした。

しかし、この時点で、「私が子羊ちゃんに会いに行って、忘れ物を引き取ります」っていうのは、文字通りにとらえるとしたら、なんだか胡散臭い話だなと思った。
もし私に「会いに来る」のであれば、たぶんAさん本人がお店に直接取りに行くのと労力的には変わらないはずだと思ったからだ。

案の定、その胡散臭い話は想像したとおりになった。

後日、私はお店にAさんの忘れ物を取りに行った。
私に「会いに来る」と言っていたAさんは、コロナ禍であまり積極的に外出が推奨されていないような状況下でありながら、人出の多いターミナル駅を忘れ物の引き渡し場所に指定してきたのだ。ちなみに私はそのターミナル駅に出向く理由は、当初何もなかった。
それもこれも、私自身がAさんの依頼に胡散臭さを感じながらもNoと言わなかったからもう仕方がない。しばらく、この違和感が薄くなるまで、以後彼女から距離を置こうと決め、忘れ物の引き渡しに応じた。

その後、しばらくしてAさんによるSNS外し事件である。
びっくりした。
むしろ、私がSNS外ししたいとすら思ったくらいだったなか、なぜAさんに対して、善意で対応したと思っていた私がその仕打ちを受けたのだろうか。
考えすぎなだけかもしれない。むしろ、最初は自分の考えすぎなだけだと思いたかったけれど、直感的に違う。
この数年の関わりや直近で、Aさんと関わるたびに感じていた、いくつか積み重なった違和感を経てきた私にとっては、崖から突き落とされるような衝撃があった。

もやもやする気持ちを紛らわせようと、何かに集中しようとしても、ふとした時にもやもやがよみがえり、その度にイヤな気分になる。

こんなとき、Bさんなら何て言うかな?
私が悩み事を抱えているときに、スマートに手を差し伸べて話を聞いてくれる友人、それがBさんだ。

Bさんに話を聞いてもらったら、客観的に状況を整理する手伝いをしてくれて、少し気が楽になった気がした。
「そういう人は本当の友人とは言えないかもね。だったら早くに縁が切れてよかったのかもね」、と。

友人に裏切られ、友人に助けられる。
Aさんの一連の行動に対して、私はあまりいい気持ちはしなかったが、これは友人の新陳代謝だったんだと思うようにしている。

もし友人関係悩んでいても、新たな出会いのために「さよなら」する友人の新陳代謝があっても良いものだと思って、前を向いてみて欲しい。

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