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リングネーム

 そこに血気盛んな男たちが集結していた。いつもは人通りもまばらな校舎の一角に、仰々しく置かれた特設リング。それを囲む局地的な人集りの一番前に、私は陣取っていた。

 リングの上では黒と白の縦じまのシャツを着た男子が、きびきびとレフリーをしていた。その大きな目、なんだか見覚えがあった。高校の時、片思いした人。でも彼は違う大学に行ったので、ここにいるはずがなかった。

 次の試合でレフリーが代わった。リングアナ風の男子が、いかにもな口調で選手を呼んだ。

「青コーナー、グレートサスケベ」

 覆面レスラーがぴょんとロープを飛び越え、リングに上がった。と思ったら、その場でひゅっと一回転し、着地した。

 試合が始まっても「グレートサスケベ」は軽やかだった。お馬鹿なリングネームだが本格的だ。颯爽と空中技を繰り出す姿を見て思い出した。私が高校時代好きだったあの人は体操部だった。

 覆面の下に光る目を追いかける。似ている。が、確信はできない。でもだからこそ、確かめたい。

 周囲が勇ましく盛り上がる中、私はおそらく皆とは違う理由で高揚していた。その胸のドキドキが、喉にのぼり、口からこぼれ、声になった。気付くとリングに向かって呼びかけていた。

「ひであきさん」

 歓声とも怒号ともつかない男たちの叫び声が飛び交う中、私の細い声は思いがけずよく通った。その覆面レスラーは一瞬、明らかに動揺した。そして、途中までの優勢な展開が嘘のように、負けてしまった。

 次の試合でレフリーが最初の人に戻った。キョロキョロと観客を見渡している。目が合った。さっきの覆面レスラーと同じ目をしていた。

 全ての試合が終わると、レフリーで、「グレートサスケベ」の中の人に違いない人が、私に近づいてきた。

「久しぶり。なんでここにいるの?」

「ここの生徒」

「プロレス好きなの?」

「うん。受験勉強中、夜テレビで見るのが楽しみだったの。おかげでこの大学に合格したよ」

 お互いの近況を色々と話し、彼が学生プロレスに熱心に取り組んでいるとわかった。彼は、覆面をしているのに本名で呼ばれて驚いた、と言った。ふざけたリングネームで真面目にプロレスをしている彼は、きっと今日、私のせいで負けた。

「グレートサスケベって、先輩につけられたんだけど、ちょっと恥ずかしいんだ」

 その照れた様子を見て、私が彼を好きだった理由を思い出した。そして、なんだか不器用な彼を、好きだなと、また思った。

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